拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ジャイアン・と馬場

2015-08-13 17:40:01 | 言葉
今でも昨年末の有馬記念(わが愛しきジェンティルドンナがラストランで見事優勝したレース)の録画を見る。ジェンティルドンナのファンが集まるネットの掲示板には今でも熱い書き込みが後を絶たない。その掲示板に「荒し」のようにやってくる輩(それこそ「どこかの馬の骨」)がいる。この「馬の骨」は、みんなが「ジェンティル」と呼ぶのを「変」だと言い、「ジェンティ」と呼ぶべきと主張する。ばっかじゃなかろか(こっちは表ブログだが、裏ブログのクセが抜けない)。「ジェンティルドンナ」=”gentil”+”donna”=「貴婦人」だから、切るんだったら「ジェンティル・ドンナ」が当然なのだ。すると、この「骨」氏は「ジェンティ・ルドンナ」と呼べと言うのだろうか?まるで「ジャイアント馬場」を「ジャイアン・と馬場(ばんば)」と読むようなものだ(どらえもんのジャイアンがどこの馬場で走るの?って感じ)。ただ、言葉の切り方も間違いやすいものはある。バラの騎士の台本を書いた”Hofmannsthal”は、偉い人でもときどき「ホフマン・シュタール」と言うが(言ってる本人は、”s”が文節の頭だとして「シュ」と言って気取ってるが)、正しくは、”Hofmans”+”thal”、つまり「ホーフマンス・タール」だ。

「本官」の思想及び良心の自由

2015-08-13 07:28:17 | 日記
昨日ネット上にある写真が出回った。警察官が「本官も再稼働に反対です」と書かれたプラカードの横に立ってる、というもの。添えられたコメントに、その記事が削除されそうだ、とあった。最初に言っておくが、私は、原発はゼロになって欲しい派(ドイツのように再生可能エネルギーに大きくシフトしたい)。その私の第一印象=削除なんてとんでもない。プラカードは重要な表現手段。それをやめさせるなんて重大な表現の自由の侵害(公務員の政治的活動を禁じた公務員法の問題は別問題)。当局の圧力だろうか?とうとうそんなことまでするようになったか。ところがだ。他の人のコメントを読んで、そのプラカードに長い横棒がついてるのに気がついた。そう、そのプラカードは撮影者が警察官の前にぶら下げたもので、あたかもその警察官が「再稼働反対」と訴えているように見せかけたものだったのだ。これは逆に警察官が有する思想及び良心の自由の侵害だ。人は、いかなる思想だって持っていいし、それを言わない自由を有する(思想及び良心の自由)。この撮影者のやったことは、そうした警察官が持ってる思想及び良心の自由を侵害したものだ。警察官は、自分が言ってもないことを勝手に言わされてしまった。かりに内心で「再稼働反対」と思っていても、それを言わない自由だってあるのに無理矢理言わされたわけだ。こういうことをすると逆効果だ。まっとうにデモ行進をしてる人たちの足をひっぱる(DC版が裏ブログにあり)。