拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

佳作

2012-12-02 23:14:57 | インポート
ラララ・クラシックで音楽コンクールの話。MCの作家さんが、佳作とかとった人の方が次がんばるとか言ってて。思い出した。私、中学の時、音楽の先生に言われて(横浜市かなんかの)作曲コンクールに曲を出して佳作をもらったんだ。オーケストラ曲。独創性なし。もろ古典派(私、好きなんです。古い人間なんで。)。時間もなくて。当時、発育途中でやたら眠い。徹夜でがんばるつもりが途中で寝ちゃって(いっちょうらの学生服着たまま寝た。365日24時間その服着てたから臭かったろうな。)。当初の予定は大ソナタ形式(大好きなもんで)。ところが、時間がないため展開部を省略。再現部も提示部にダルセーニョしてごまかして(ひどい)。そんときは「かさく」とか言われて、かっちょ悪いと思ったけど、よく入ったもんだ。きっと、オーケストレーションの努力賞だったんだろう。県立音楽堂の授賞式に行ったんだけど、上位以外は、楽屋に呼ばれただけで何しに行ったかよく分からなかった。そんでも、自分で作ったやつは脳が覚えてて、全曲しっかり演奏された夢を見た。

時と場所による(その3)

2012-12-02 11:54:02 | インポート
そんなこと言ったら(って、どのことよ?)、フルトヴェングラーだって、1947年のベルリン・フィルとの第5と1950年代のウィーンフィルとの第5はまるで違う。テンポなんて倍くらい違うんじゃなかろか(誇張)。共通してるのはデモーニッシュな感じ。後者も遅いなりにもぞもぞ生き物のようにうねってます。熱気と円熟のどっちをとるか、という選択でしょうか。同様の選択、マリア・カラスのノルマは、1960年のスタジオ録音をとるか、1950年代のライブ(たくさんある)をとるか。1960年の方は、声がそろそろやばくなってますが録音がよく聴きやすい。私は断然、シミオナートと共演したスカラ座のライブをとる(シミオナートがすごい。音はひどい。「い」で韻をふみました。)。究極の選択とくれば、クライバー(カルロス)のバラの騎士(カルロスと断り書きを入れないと、オペラのマニアは絶対父エーリヒの録音の話を始める)の映像、ミュンヘンの熱気をとるか、ウィーンの円熟をとるか。これは降参。選べない。あえて言えば、オケは断然ウィーン。第2幕のワルツは……(言葉にできない)。歌手はミュンヘン。ルチア・ポップが出てるから(理屈なし)。

9(5)

2012-12-02 10:26:52 | インポート
その新世界のレコードには、交響曲第5番と書いてあった。その昔、新世界は、ドヴォルザーク作曲交響曲第5番でした。それが、他にもあるぜよで第9番になったのでした。そんで、私、中学の音楽の試験で、新世界の番号を問う問題で、「今9番、昔5番」という意味で「9(5)」と書いたら、先生におまけで正解にしてやったと言われた。あのねー、9か5がどっちが分からないから括弧を書いたんじゃないっていうの。

時と場所による(その2)

2012-12-02 10:19:50 | インポート
ベームだって、最後はゆっくりテンポの代名詞のように言われたけど、1960年代までは、早かった。バイロイトの指輪なんか、歴代の指輪の中でも早いほうだったし。それから、ベームとくれば、ウィーン・フィルとのモーツァルトが定盤ですが、私は、1960年代(50年代も入ってる?)にベルリン・フィルと入れたモーツァルトの交響曲全集が最高だと思う。ジュピターのジュピター(バラの騎士で、オックスが「ユッピテルッ」と叫ぶ。閑話休題)たるところとか。推進力がすごかった。なんだか、1970年代に入って急におじいさんになって、テンポがゆっくりになった感じ。おじいさんになった後も、日本でウィーン・フィルとやったブラームスの1番は名演の誉れが高いですが(私、ブラームスのことを書くと、なんだか女性の下着売場に入った気分になります。あ、あの、場違い、ということですから。)、同時期にスタジオで録ったやつはちんたらしてて覇気がない。私、ベームは、オペラの、しかもライブで本領を発揮する、という説に賛同します。そう言えば、私の父が持ってた古いLPの中にベームの新世界があって、ベームがまだうーんと若かったときのもの。写真は青年風だし、ライナーの解説では中堅指揮者扱いだった。

時と場所による

2012-12-02 09:45:55 | インポート
同じ指揮者も年代と場所によってスタイルは変わりますから。カラヤンも若い頃は白熱した演奏をしてたんであって、いうことを聞く手兵(BPO)を手に入れてからかんなでみがきをかけることに一生懸命になっちゃって、で、カラヤン嫌いの某評論家に巧言令色仁少なしと書かれたのですが(子供の私はこの評をうのみにした。いまさら、そんなこと言ってないなんて言わせないぞ。うちに動かぬ証拠(レコードのライナー)があるからなー)、歳をとって統率がきかなくなってきて、逆に「変な感じ」がとれたんだとか(そんな時に、私、生で聴いたんだ)。同時期でも同じってことはなく、名演の誉れ高いイエス・キリスト教会で録音した第九のレコード(1960年代。今ではCD)、ベームが頭にしみついていた私にとってテンポからなにからすべてが逆で、特に最後のプレストがちんたらしてて、まるっきりいいと思わなかった(生で聴けば違ったんでしょうが)。ところが、同時期に録ったビデオ映像、演奏者はほぼ同じなのに見違えるような熱気。最後は、それこそフーさんなみのアッチェレランド。これ、先に音を録って後から映像を足したようなんだけど、カラヤン自身の指揮動作が追っついてないほど。なんかのはずみでこうなるんですね。ちなみに、この映像、私、小学生の時、テレビで見てた。CMで聞いてた恐ろしげな音楽が第九の第4楽章のファンファーレであると知って(音楽の授業)、聴きたくなって、で、おおみそか、NHKで○響の第九を見たんですが(名前を伏せた意味がない)、なんだかなー、で、そしたら10チャンネルだったと思う(当時は、NET(教育チャンネル)だった。)、この映像が放送されて、子供心にだんち(団地ではありません)だと思った。