拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

暴言承知

2012-12-01 23:01:32 | インポート
私のカラヤン体験は、ベルリン・フィルではなく、フィルハーモニア管。生まれ育った町にあったレコード屋に行って、運命と田園のレコードを下さい、と言って(あてがあったわけではない。有名曲2曲だから、カップリングがあるに違いないと思っただけ)、そしたら、店主(マニアの中学生からかげ口をたたかれていた)が、あー、あのカラヤンのやつね、と、私、分からないんだけど、そうそう、と。で、出してきたのがフィルハーモニア管のやつ。この二曲が1枚のLPレコードに収まるのは快速カラヤンならではですね。その後、カラヤン=ベルリン・フィルの全集(3種類)を聴いたうえでの結論、フィルハーモニア管とのやつ(これ、疑似ステレオです。)、いい!さあ、もっと古いところいきますよー。1940年台のウィーン・フィルとの第九。私、初めてこれを聴いた時、指揮者名を聞かないで聴いたとき、告るぞ!○○○○”○○○ーかなと思っちゃった。ひえー、言っちゃったー。こんな発言が公になったら、私、クラシック愛好者村から追い出される。まさに暴言(猫を犬というがごとし……でも、祖先は同じだってよ。以下、言い訳)。だ、だって、すっごい迫力だったんだもん。しかも、音がずれずれ。迫力があって音がずれるっと言えば、あれしかないでしょ?しかし、(開き直ったぞ)カプレーティとモンテッキの両家にだって、ロミオとジュリエットが出た(相反するものにも共通点がある、ということを言いたいわけ。)。調子にのってもう一つ暴言。ブラームスのドイツ・レクイエムの楽譜を真面目に見たのは最近のこと。で、思ったんだけど、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスとの類似点は当然だとして、終曲、ヴァーグナーのパルシファルと似てるところがある(これも言っちゃったぞー)。

怠惰な人生に反省

2012-12-01 21:24:07 | インポート
一つ前の記事を書いてるうちに、どうしても確認したいことが。ベーム=ウィーン・フィルの来日公演での田園(ベートーヴェンの6番。名演の誉れが高い。)の第3楽章のクラリネットの早い下降パッセージがスラー。なんでタンギングしないの?も、もしや○(足じゃない)を抜いた?検証。スタジオ録音のCDと聞き比べればいい。で、聴いたら、す、スラーだった。まったくのゲスの勘ぐりだった。そうだよねー、おそれおおくもプロの奏者なら、あの位のタンギング、金メダリストの言を借りれば「he のつっぱりにもならない」(heはヘリウムではありません。)。それに、指揮者がベームだしね。○など抜いたら死ぬまでねちねちいじめられますもんね(ちなみに、カラヤンは、ここ、はでにタンギングさせる。)。私は、タンギングがろくにできません。理由は、ちゃんと練習しなかったから。歌が下手なのも練習をしないから。いけませんねー。人生途中まで一緒だった某さんの最近の活躍を見るにつけ、努力は報われ、怠惰はダメと実感。まだ若いから(?)これからがんばろ。何かで。

獅子子(ししこ)さん?

2012-12-01 20:24:26 | インポート
マリア・キアーラは、日本でオペラ・アリア・コンサートを聴きました。運命の力(ヴェルディ)のパーチェ・パーチェ、イタリア系の歌手のソロ・コンサートには必ずといっていいほど入ってる曲で、何度も聴きましたが、キアーラの歌はほんとに感動的だった。ところが、この時期、ブーイングおじさんがもっとも暗躍していた時期で(主催者は、予め、音楽家に、訳の分からないブーがとぶかもしれないが、気にしないで、と言っていたという。)、キアーラの絶唱に対しても心ないブーが。こんときの批評に、これほどの名演に対してブーがとんだのは残念だとありましたが(批評家もいいことを言うときはある。)、私だったら、どこにお耳がついてるの?と言ってあげたい。こうしたブーイングは、その昔、来日する音楽家が日本の聴衆を馬鹿にしていて、どんな演奏したって喜ぶ、って言って手を抜いてたことへの反動かも(相手が違うと思うけど)。子供の頃、超有名オケの来日公演をテレビで見ていて、アンコールの青きドナウで、先に行かなければいけないところ、ヴァイオリンの中で一人だけ「ミファミ、ミレ♯ドレミレ……」と繰り返してた。シャンパンでもお飲みになってたんでしょうか(ニュー・イヤー・コンサートじゃあるまいし)。ちなみに、パーチェ、パーチェを歌うのはレオノーラ、フィデリオの主人公はレオノーレ(イタリアだと「ラ」でドイツだと「レ」)。イタリア語でLeoneはライオンですから、そうすると、これらのみなさん、日本風に言うと「獅子子」(ししこ)さん?

狼藉者はニルソン

2012-12-01 11:23:54 | インポート
日本にはドラマティックソプラノが少ないっていうのはやっぱり体格でしょうか。かのビルギット・ニルソンは、相当大きかったようで、アイーダをよく歌ってたマリア・キアーラ(とっても上手。私が日本で最高のレオノーレだと思ってるYさんは、キアーラを、あの人いいわね、きれいで、と言ってた。そう言えばYさん、ギネス・ジョーンズのことも、ある時とってもきれいに見えた、と言ってた。)が、あるとき歌い終えて楽屋に戻ると、「とっても大きな女の人」が有無を言わさずキアーラを抱き上げて、あなた、なんて上手なの!ってほめてくれたんだとか。キアーラ、最初、誰だか分からなくて、こんな狼藉を働くのはどこの誰かと思ったら、ニルソンだったんだと(ニルソン自身は、あたしは農家の出だから大きいの、と言ってる。)。ニルソンは、最後まで高音を保ってました(1990年台、メトでレヴァインのデビュー25周年コンサートが開かれたとき登場したニルソン、さすがにまとまった歌は歌いませんでしたが、「ヴァイキングの子孫」らしくお祝いする、と言って、ブリュンヒルデの「ホヨトホー」を。相変わらずの力強く、かつ澄み切った高音でした。ニルソンより前のブリュンヒルデ、アストリッド・ヴァルナイの前が、キルステン・フラグスタートで、神格化されてますが、フラグスタートは後年高音がきつかったようで、フルトヴェングラー指揮のイゾルデでは、一瞬高音に飛ぶとこ(むずかしい)は、黒頭さんが代わりに出してるそうな。そう聞いて聴くと、分かります。