麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第830回)

2023-10-22 08:55:21 | Weblog
10月22日

先週書いた川上弘美訳「伊勢物語」(河出文庫)を買いました。六十段を読みましたが、いちおう先週あげた小小説は、たしかにこれをもとにして書いたんだな、とわかりました。

あの課題を書いた二十歳のころ、輪廻転生はどうかわからないとしても、人間の意識は不死だと信じ切っていました。それは「不死だからいい」というのではなく、「人間は不死という刑罰を受けている」という意味で、です。今考えると不思議ですが、本当に信じ切っていました。「豊饒の海」や「火の鳥」の影響を指摘することもできますが、それだけではなく、自分の心と体の真ん中からそういう確信が湧き出ていた、と思います。

63歳の現在は、そんな確信も「体力」のせいだったかな、と感じます。エネルギーがありすぎて、こんな濃い自分がなくなるはずはない、と感じていたのだろうな、と。なぜならいまは、自分が薄まっている、と感じるからです。このまま薄まって、水を入れ過ぎた「ワタナベのジュースのもと」の味のように消えていくような、そんな気もします。

そんなことを考えながら、ひさしぶりにふと、大好きな、ボルヘスの「創造者」を開いたら、いきなり「私たちは不死についての議論に熱中して、夜になったというのに、灯をつけることさえ忘れていた。」という言葉が目に飛び込んできました。「熱っぽい口調よりも説得力のある淡々とした穏やかな声で、マセドニオ・フェルナンデスは、霊魂は不滅である、とくり返していた。彼の主張は、肉体の死はおよそ取るに足らぬことであり、死こそは人間の身に起こりうる最も無意味な出来事にちがいないということだった。」(「ある会話についての会話」より)。ときどきは今でもそんな気がする日もあります。また、「パイドン」を繰り返し読み、ソクラテスの描くハデスを信仰のように信じようとしている日もあります。

部屋を整理していると、自分でも忘れていた蔵書が出てくることもよくあります。ひと月前、新潮文庫の「青春・台風」(コンラッド、絶版)を見つけたときも、「こんな本、持っていたのか」と自分で驚きました。「青春」は、岩波文庫で読み、感動したという話は、ここでも書いたと思います。そのあと、この新潮文庫をどこかで見つけ、買っていたのですね。たぶん、まだ岩波文庫で読んでから時間がたってなくて、この本は読まなかったのだと思います。で、今回初めて読みました。もう、すばらしいの一言です。作者は、男というものを知り尽くしている、と感じます。私は「闇の奥」よりも、この二作(「青春」と「台風」)のほうが傑作だと思います。今回はとくに、初読の「台風」に感動しました。ハゲで、無口で、目の前のことしか考えておらず、船員からも、地上で暮らす女房や子供たちからも馬鹿にされている船長。その船長が、船が海上で台風に襲われ、恐怖に駆られて自分を見失う部下たちの中でただ一人、まったくいつもと同じようにそこに在る姿。それは男らしさの極致ともいえる姿です。そうして彼は、一等航海士にいつものように不器用に言うのです。大風と大波の中で。「船をいつも風上に向けておく。言うやつには言わしておけ。だが、最もひどい波は風といっしょにくるものさ。立ち向かう――常に立ち向かう――これが突破の唯一の道さ。船乗りとしてはきみはまだ若い。立ち向かうんだ。誰だってそれで結構やっていけるんだ。冷静な頭でな。」。涙がとまらなくなりました。

こんなときは、唯物論的に、人生は一回きりであり、だからこそ「立ち向かう」ことだけが大事なのだと思えてくる。死んだら終わり。それだけだと。

こういう気分の振幅を繰り返しつつ、安物のワタナベのジュースのもとである私は、たぶん水の中に消えていくのでしょう。ただ、「船をいつも風上に向けておく」ことだけは、できれば心がけたいと思っています。

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