麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第592回)

2017-12-10 00:21:52 | Weblog
12月10日


世界観。それがすべて。大きな、といっても人間ひとりの生の時間など大きいとはいえないが、それでもその生の時間の中では大きい時間単位でいえば、親や教師の世界観の影響をもろに受けざるをえないのが子供時代であり、そのまま一生をその世界観の中で生きる人間も少数はいるだろうが、少しでも考える能力のある人間なら中学になるころには、まるで思いつくままに増改築されたようなグロテスクな自分の世界観に疑問を感じ、それを片っ端から吟味し直さないではいられなくなるはずだ。世界観を作り上げている一つ一つの価値観の根拠を探り出し、それに意味があるのかを検証する。意味があるとは、それがゴキブリの「共食いをしようとも汚物にまみれようとも気にせず前向きに生き自分の子孫を残せば勝ち」という最底辺の生きる意味以上の意味がそこにあるかどうか、というところで判断される。簡単にいえば、私は、その吟味を高校二年の夏に終えた。そうして、すべての価値観に根拠はないという結論に達した。それを自分の言葉では「無意味化が終わった」と呼んでいた。つまり私は世界観を失ったのだ。性欲はゴキブリのように生を渇望し、認識はそれを無意味だと、瞬間ごとに自分に告げる。私はどうしたらいいのかわからなくなりとりあえず勉強は放棄することにし、考えることにした。意味のある世界観を新しく築かなければどうにも生きていけなくなったからだ。――私はそれを築けたろうか。結論から言えば築けたのだろう。だが、なんとか築けたのは、二十年も経ってからだった。アホらしい。大丈夫。子孫はいないから。
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