6月29日
鷗外全集第五巻読了。普通の意味での「創作」は、これですべて読み終えたことになります。残りの膨大な史伝は死ぬまでに読めるものだけ読もうという感じです。
「風景を~」には、さまざまな自分の心の様相(と、その心の様相にとっての「世界の雰囲気」。しかし、「自分」と「世界の雰囲気」は結局同じもの)、つまりそのつどそのつど「自分が自分と呼んでいる(た)もの」が複数の人物に分けて収めてあり、ノートにメモを始めたときから全編を脱稿するまでの数年間、それらがどういう位置関係にあるのかを考えることで、私は自分を整理することができました。私にとって創作の第一の目的は、完成度の高い文芸作品を作ることではなく、物語の形を借りて、自分にとっての普遍的な問題を固定することです。そうしておけば、いつ、どこでも、その作品を開けばすぐにその問題を頭の中に再現することができるから。いってみれば創作は「麻里布栄用覚醒のための基礎問題集」と言えます。そうしてそれは、ほかの誰かの役に立たないものでもあるまいと思っています。もちろん、成熟した大人の皆さまには読むに値しない書物ですが。
鷗外全集第五巻読了。普通の意味での「創作」は、これですべて読み終えたことになります。残りの膨大な史伝は死ぬまでに読めるものだけ読もうという感じです。
「風景を~」には、さまざまな自分の心の様相(と、その心の様相にとっての「世界の雰囲気」。しかし、「自分」と「世界の雰囲気」は結局同じもの)、つまりそのつどそのつど「自分が自分と呼んでいる(た)もの」が複数の人物に分けて収めてあり、ノートにメモを始めたときから全編を脱稿するまでの数年間、それらがどういう位置関係にあるのかを考えることで、私は自分を整理することができました。私にとって創作の第一の目的は、完成度の高い文芸作品を作ることではなく、物語の形を借りて、自分にとっての普遍的な問題を固定することです。そうしておけば、いつ、どこでも、その作品を開けばすぐにその問題を頭の中に再現することができるから。いってみれば創作は「麻里布栄用覚醒のための基礎問題集」と言えます。そうしてそれは、ほかの誰かの役に立たないものでもあるまいと思っています。もちろん、成熟した大人の皆さまには読むに値しない書物ですが。
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