マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

天の栄光の先取り・・・『乳と蜜の流れる地』 そして 『御聖体』

2019-05-10 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 5月10日。金曜日。立夏真っ只中。27度の夏日。

          
      毎週金曜日は、聖書好きが我が家に集まって、『聖書100週間』  
   今日の通読範囲は、蜜の流れる地・カナンの地への入場、民数記 25章~35章』

 

    今年も満開・・・   『都忘れ』
  
  『永遠の輝き』

       今年も、忘れることなく、小さな我が家の庭に咲く。

       
      『永遠』とは何か?
   『永遠』とは、無時間的な超越性でなく、『限りのない時間の継続』 を表している。

では。

      『永遠の神』とは何か?
 時間を超えた彼岸の神よりも、むしろ初めも終わりもなく、『無限に存在する神』 を言う。


更に。

       『永遠の命』とは何か?

        霊魂不滅とは異なり、
『永遠の命とは、唯一まことの神と、神がお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。』ヨハネ17-3
     人間がキリストを信じて神との新しい関係に入ることです。
 それは、現在すでに神およびキリストとの交わりとして与えられている『新しい命』 である。

同時に、

   なお、この世にある限りは、『終わりの日に完成されるもの』として待望するのです。
そして、
     『永遠の命』は、この世のものは過ぎ去っていきますが、限りなく続くのです。
                             
聖書辞典より。

 

 

『今日の通読範囲 乳と蜜の流れる地(国)への入国

『モーセとアロンに導かれて、部隊ごとに、エジプトを出た人々は、次のような旅程をたどった。

      イスラエルの人々は、第一の月の十五日にラメセスを出発した。
    すなわち、過ぎ越しの翌日、すべてのエジプト人の前を意気揚々と出て行った。

         それから、42か所に宿営し、40年かけて前進し、

彼らの宿営は、ヨルダン川に沿ったモアブの平野にあるベト・エシモトからアベル・シティムに及んだ。』

    
                                    民数記 33章1-49節
    ヨルダン川を渡れば・・・
        そこは、『乳と蜜の流れる地』です。
            神が、準備下さった『天国』です。

 

40年間の荒れ野での経験。
 神は、昼は雲、夜は火の柱でイスラエルの民を導き、イスラエルの民と共にいてくださいました
 民は神の力によって道中の国々の攻撃に打ち勝ち『約束を守り果たす神』 を体験しました。

40年後の、『乳と蜜の流れる地・カナンの地』への入場。

 『砂漠』はそこを進む民や家畜にとって、餌となる緑も水も食料も少なく、過酷な土地だったことでしょう。
それに比べ、
 『カナンの地』は羊や山羊が食べる緑も多く、人の母親の乳も多く出るようになった、夢のような土地だったことでしょう。

   
        『乳と蜜の流れる地・カナンの地』への入場は
     砂漠での様々な苦労や不安や恐れ、更には 罪の意識からも解放されて、
             安らぎと豊かさを経験でき、
      『天の国・祝福された世界・天の栄光』の『事実』の
  
          前体験、先取りではなかったでしょうか。 
                        
                以上。私の『聖書100週間』の感想の一部でした。お粗末様です。

 

そして。

今日は5月10日。復活節第三金曜日。

『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、ユダヤ人たちにイエスは言われた。

      「はっきり言っておく。
   人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
        
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、

       
       永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。

    わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。
          
         わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
     いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。

   生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、
         わたしを食べる者もわたしによって生きる。
          
          
これは天から降って来たパンである。

         このパンを食べる者は永遠に生きる。」』
               ヨハネ福音書 6章52-59節

 

     『永遠の命』は、
  『唯一まことの神と、神がお遣わしになったイエス・キリストを知ること。』 なのですね。

     
       『聖体』は、
          キリストの過ぎ越しの記念であり、
    わたしたちは『聖体拝領』によって『天の祝福と恵み』 に満たされます。
      それゆえ、『聖体』は『天の栄光』の先取りなのです。
                『カトリック教会のカテキズム』より。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お風呂に入って・・・”天国!天国!”なんていいますね。 お元気で!