5月10日。金曜日。立夏真っ只中。27度の夏日。
毎週金曜日は、聖書好きが我が家に集まって、『聖書100週間』
今日の通読範囲は、蜜の流れる地・カナンの地への入場、『民数記 25章~35章』
今年も満開・・・ 『都忘れ』
『永遠の輝き』
今年も、忘れることなく、小さな我が家の庭に咲く。
『永遠』とは何か?
『永遠』とは、無時間的な超越性でなく、『限りのない時間の継続』 を表している。
では。
『永遠の神』とは何か?
時間を超えた彼岸の神よりも、むしろ初めも終わりもなく、『無限に存在する神』 を言う。
更に。
『永遠の命』とは何か?
霊魂不滅とは異なり、
『永遠の命とは、唯一まことの神と、神がお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。』ヨハネ17-3
人間がキリストを信じて神との新しい関係に入ることです。
それは、現在すでに神およびキリストとの交わりとして与えられている、『新しい命』 である。
同時に、
なお、この世にある限りは、『終わりの日に完成されるもの』として待望するのです。
そして、
『永遠の命』は、この世のものは過ぎ去っていきますが、限りなく続くのです。
聖書辞典より。
『今日の通読範囲 乳と蜜の流れる地(国)への入国』
『モーセとアロンに導かれて、部隊ごとに、エジプトを出た人々は、次のような旅程をたどった。
イスラエルの人々は、第一の月の十五日にラメセスを出発した。
すなわち、過ぎ越しの翌日、すべてのエジプト人の前を意気揚々と出て行った。
それから、42か所に宿営し、40年かけて前進し、
彼らの宿営は、ヨルダン川に沿ったモアブの平野にあるベト・エシモトからアベル・シティムに及んだ。』
民数記 33章1-49節
ヨルダン川を渡れば・・・
そこは、『乳と蜜の流れる地』です。
神が、準備下さった『天国』です。
40年間の荒れ野での経験。
神は、昼は雲、夜は火の柱でイスラエルの民を導き、イスラエルの民と共にいてくださいました。
民は、神の力によって道中の国々の攻撃に打ち勝ち、『約束を守り果たす神』 を体験しました。
40年後の、『乳と蜜の流れる地・カナンの地』への入場。
『砂漠』は、そこを進む民や家畜にとって、餌となる緑も水も食料も少なく、過酷な土地だったことでしょう。
それに比べ、
『カナンの地』は、羊や山羊が食べる緑も多く、人の母親の乳も多く出るようになった、夢のような土地だったことでしょう。
『乳と蜜の流れる地・カナンの地』への入場は
砂漠での様々な苦労や不安や恐れ、更には 罪の意識からも解放されて、
安らぎと豊かさを経験でき、
『天の国・祝福された世界・天の栄光』の『事実』の
前体験、先取りではなかったでしょうか。
以上。私の『聖書100週間』の感想の一部でした。お粗末様です。
そして。
今日は5月10日。復活節第三金曜日。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、ユダヤ人たちにイエスは言われた。
「はっきり言っておく。
人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。
わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。
生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、
わたしを食べる者もわたしによって生きる。
これは天から降って来たパンである。
このパンを食べる者は永遠に生きる。」』
ヨハネ福音書 6章52-59節
『永遠の命』は、
『唯一まことの神と、神がお遣わしになったイエス・キリストを知ること。』 なのですね。
『聖体』は、
キリストの過ぎ越しの記念であり、
わたしたちは『聖体拝領』によって『天の祝福と恵み』 に満たされます。
それゆえ、『聖体』は『天の栄光』の先取りなのです。
『カトリック教会のカテキズム』より。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お風呂に入って・・・”天国!天国!”なんていいますね。 お元気で!