マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

GW巡礼の旅の追加・・『大阪大司教区 再宣教150周年の巡礼』 そして 『キリシタン遺物資料館』

2019-05-11 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 5月11日。土曜日。雲一つない快晴。 

        
     今日は『大阪大司教区・再宣教150周年の巡礼の旅』の六日目。
  
       全行程:2教会キリシタン遺物資料館。9時半~16時半。8時間(車と登山)。

 
1週間前の土曜日。『巡礼条件:16の指定教会のうち12教会を訪問する』を、12教会訪問で、『再宣教巡礼』をクリアしました。
   そして。
今日の土曜日。 指定巡礼教会のうち、すでに訪問した12教会以外の教会、まだ訪問していない教会を、『追加巡礼』 することにしました。



第一訪問教会。

       『カトリック高槻教会』
 
  
  
 『高山右近像と高山右近記念聖堂』

  カトリック高槻教会は、
  高山右近が城主であった『高槻城跡』近くに建ち、
        その聖堂は、『高山右近記念聖堂』 として知られています。

   
 高山右近と高槻教会とのつながり。

   1563年(永禄6年)。高槻城(大和国沢城)第一代城主・高山飛騨守が、
                   キリスト教の教えに感銘を受け、洗礼を受ける。 12歳。
   1564年。 高槻城第二代目城主となる高山飛騨守の息子・高山右近も洗礼を受ける。 13歳。
   1573年。 右近は、キリシタン大名として、高槻城主となる。 22歳。

   高槻城を中心とする三島地域は、右近在城の間、キリシタンの一大中心地となる。

   1587年。 豊臣秀吉は、『キリスト教布教禁止令』を発布、宣教師の日本からの退去を命じる。36歳。
   1612年。 徳川家康は、『キリシタン禁教令』を発布、『キリシタン国外追放』を命じる。 61歳。

   
   1614年。 高山右近はマニラに追放される。 63歳。
   1615年。 高山右近、マニラで64歳。
   
   1949年。高山右近顕彰碑』が現在の商工会議所の場所に建立されました。没後334年後。
   1954年。『カトリック高槻教会』が創立されました。 没後339年後。
   1962年。 高山右近の臨終の地であるマニラ市郊外アンティポロにある『聖母大聖堂』を模して、
           高塚教会に『高山右近記念聖堂』が建てられました。 没後347年後。
   
   2017年。高山右近は、カトリック信者として、『列福』されました。 没後402年後。

    
    『高槻教会聖堂』                

     追悼式の始まる前でした。
                  『再宣教巡礼帳』を掲げて・・・記念撮影

 夫と二人で、
 最後尾で、『巡礼の課題:三つの祈り』を唱えました。

    『あらゆる苦しみに打ち勝った福者ユスト高山右近のように、
          わたしたちも、
 自分の中に宿った福音を生涯学び続け、一人でも多くの人に告げ知らせる者となりますように。』

        
        『高山右近像』        高山城跡公園


   『巡礼』とは、日常から離れ聖地に赴き、信仰を確信することである。
                       ・・・と。実感した次第です。

    

第二の訪問教会。    

           『カトリック香里教会』 
  
  

   『再宣教巡礼帳』を掲げて・・・
    復活された十字架上のキリスト と 御聖櫃 と 復活のろうそく
                              記念撮影  

       香里教会は、
   1931年(昭和6年):初代教会主任・ペトロ・マルモニエ神父を迎えて、創設。
         司祭召命を求めて祈り続ける教会で、
     司祭様になられた多くの少年を育てた教会と、お聞きしていました。
       今日は、教会の幼稚園の『体験一日入学』をしていました。  


       教会入り口を入ると・・・
       緑あふれる庭に佇まれる 『マリア像』
     
       幼稚園の園児のために・・・
       司祭召命のために・・・
       教会宣教活動発展のために・・・
       信徒の信仰の喜びのために・・・
               ・・・等々。
          祈り続けるマリア様です。


     『聖母マリア、わたしたちと共に歩んでください。
   聖フランススコ・ザビエル、わたしたちの宣教活動を励ましてください。
     福者ユスト高山右近、わたしたちの信仰を支えてください。』
                 『再宣教150周年の祈り』より。

         私たちも、祈り続けてまいりましょう。


今日の最後の巡礼。
第三の巡礼地。

         『茨城市立 キリシタン遺物資料館』     
    

      今年の長い10日間のGWをどのように過ごすか?          
       平成から令和への元年となった記念すべきGWであり、       
      ”有意義な10日間にしよう” と決めた私たち夫婦でした。
   『大阪大司教区・再宣教150周年の巡礼の旅』 12教会を巡礼しました。


       そして、今日は、
     ”『巡礼の旅の追加』をしましょう!” との夫からの誘いでした。
                 
一人で、黙々と、完璧な準備、をする夫です。

 
巡礼の旅の仕上げは・・・
   
     三島地域の、『隠れキリシタン』 の研究となりました。

  
    豊臣秀吉や徳川家康による『キリスト教信者流刑の令』により、
        高山右近は、他の信者たちと共に、マニラに追放され、
 他の信者たちは、その縁者までも含めて、死罪・流罪などの厳科に処せられました。

   信者たちは、表面は仏教を信仰しているように見せ、山奥く隠れるように、
         1614年:高山右近はマニラに追放されて以来、
              250年間、
       『隠れキリシタン』となって、信仰を続けていたのです。

      
   それは、九州・浦上の潜伏キリシタンが、250年間信仰を守り続けてた後に
    大浦天主堂を訪ね、プティジャン神父に密かに信仰者であることを名乗り出、
           『信徒発見』がなされたのと同じことでした。
     

 1920年(大正9年)。千提寺山林の中腹から、『キリシタン墓碑』が発見されるまで、
           隠れキリシタンの方々が名乗り出ることなく、

        キリシタン宗に関係があるという確証がなかったのです。

  その後、続々と、山中や民家に隠されていたキリシタン遺物』 が発見されました。


     『隠れキリシタン』 が隠れ住んだ 『三島地域の山々』 
   
   『隠れキリシタンの住んでいた山々の模型』     於。キリシタン遺物資料館ロビー。

     
     『あふれる愛、万物の造り主である父よ、
        あなたは、
 フランシスコ・ザビエルを通してイエスの福音を日本の戦国の世にもたらしてくださいました。
        日本のキリシタンは、あなたの恵みに支えられて、
    厳しい迫害に耐え、司祭を通して再び秘跡を受けることが出来るまで、
         250年にわたって信仰を守り抜きました。
   あなたは日本における教会を、その殉教者の血の上にお建てになりました。

       1868年6月17日、
   ムニクウ神父が神戸に着任されたことで、大阪教区の再宣教が始まりました。
   再宣教150周年を迎えたわたしたちは、その信仰と使命を受け継ぎます。』
                 『大阪大司教区 再宣教150周年の祈り』より。

 

   私たち夫婦は、
        『キリシタン遺物資料館』を後にして・・・
   
   
    先人たち・隠れキリシタンの隠れ場所であった『三島の山』 に入りました。
  
   
    1時間ほど、三島の山奥を、
    信仰の先人たち:『隠れキリシタン』 の信仰を偲びながら、歩きました。

     
     山中で、
        私たち夫婦の 『再宣教150周年の巡礼の旅』記念に、
      すべてに感謝しながら、『巡礼条件:三つの祈り』を、唱えました。

       『再宣教150周年の祈り』 『主の祈り』 『信仰宣言』


         『あふれる愛、万物の造り主である父よ、
          あなたは聖霊の力強い働きにより、
      すべての人があなたを求め、見出すことができるように、
  いつくしみの手をさしのべて、みことばである御子を遣わしてくださいました。』
                    『再宣教150周年の祈り』より

 

  
 神様、巡礼を計画してくださった方々、ブログで巡礼をご一緒してくださいました皆様、
     私たちは、無事に、見事に、『再宣教150周年の巡礼の旅』を終えることが出来ました。
         心からの感謝を申し上げます

  巡礼を終え・・・
  私たちは確かに何かが変わりました。 私たち夫婦間にも、確かに何かの変化が生まれました。

           
     『巡礼の旅』は、
       確かに、私たち夫婦だけでなく、イエス様もご一緒、『三人旅』でした。
        私たちが気づけば、いつもイエス様は、私たちとご一緒でした。

   『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。』
                                     ヘブライ人への手紙1章1節

        『わたしたちも、自分の中に宿った福音を生涯学び続け、
        一人でも多くの人に告げ知らせる者となりますよに。』
               『大阪大司教区 再宣教150周年の祈り』より。

 

 皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様方はおいくつ位でいらっしゃるのでしょうか?
私ども夫婦は、人生の最終章:游行期を迎える年代になりました。それぞれの年代の花を咲かせたいものですね。 お元気で!

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