マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

GW七日目・・・『再宣教150周年の巡礼』 そして 『わたしは道であり、真理であり、命である。』

2019-05-03 08:00:00 | 休日(GW。夏休み。冬休み。休暇。)

4月3日。金曜日。快晴。 10日間の『GW第七日目』


    今日は『大阪大司教区・再宣教150周年の巡礼の旅』の四日目。
       全行程:5教会。304㎞(車)。9時間(8時~17時)。


第一訪問教会。

       『カトリック夙川教会』
   
       10時からのミサ中でした。 
                『再宣教巡礼帳』を掲げて・・・記念撮影


  娘は、中学時代、学校の寄宿舎住まいでした。
  舎監さんは、寄宿生たちに、毎日曜日、教会に行くように指導された。
  娘はカトリック教徒のため、学校のプロテスタント教会ではなく、
                一人、夙川教会に通った。

  13歳の幼い娘が、一人で、知り合いもなく、毎日曜日のミサに通った、     
        夙川教会を巡礼しながら・・・ 
当時の娘の心境を思いめぐらした。又 現在の娘の気丈さを作り上げた信仰心に思いをはせた。
                             私の目から涙が流れた。

  

    信仰心は、
    舎監の、生徒たちへの絶え間ない導き、
    又、1921年(大正10年)に夙川教会をパリ外国宣教会が設立して以来の
          神の導きがあってこそ、根付くものだと、改めて感謝した。 

 

第二の訪問教会。
           『カトリック堺教会』
 
 
    静寂の御聖堂で、『再宣教巡礼帳』を掲げて・・・記念撮影

  昔から堺では「物事の始まりはみな堺」という諺があるそうです。
  1924年(大正13年)にパリ外国宣教会の神父様が設立以来、95年間。
  今は大都会の中に立つ教会大きな教会(信徒数1700人)だが、
  当時の様子はどんなだったでしょう。ハイカラだったのでしょうか?

    

    巡礼をしながら・・・   
    ”本当に必要なものは何なんだろう?” と、心が研ぎ澄まされていきます。   
       先人たちが築き上げた信仰の重みが伝わってきます。

 

第三の訪問教会。
             『カトリック岸和田教会』

 
 祭壇前のお花を活けておられた女性にお声をかけていただきながら・・・
             『再宣教巡礼帳』を掲げて・・・記念撮影
 

  

  当教会のM神父様はお元気でいらっしゃることでしょう。
  M神父様も私も若かりし頃、共に働かせていただき、ご指導いただいた日々が懐かしい。

   信仰は、信仰に人生をかけておられる神父様方のお姿から学ぶことが多く、
     正に、神父様方は『牧者』であられると、感謝でいっぱいです。

 

 大都会・阪神方面から、自然豊かな和歌山へ

    目に飛び込む・・・   『美しい新緑』
  
       ”巡礼とは何ぞや?”
                    夫との会話も深みを増してくる。


第四の訪問教会。

        『カトリック尾形町教会』

    
 『聖書』が、一人もいない静寂の聖堂の、朗読台の上でなく、
  朗読台前に、信徒席に向かって、開かれて、置かれている
    その聖書への、教会の信頼に感動して・・・
        『再宣教巡礼帳』を掲げて・・・記念撮影

 
  『聖母の御像』横には、『教会のモットー』書いて掲げるそうです。
     今は、『四旬節のモットー』だそうです。

   『思いやり』『大胆』『忍耐』『誘惑と戦い』『絶えざる祈り』

 
   司式を司る司祭様からの眺めは『大きな十字架』のステンドグラス。
     聖堂の入り口のドアも美しく輝くステンドグラスでした。
          一人祈る夫もコウゴウシイ?

 

第五の訪問教会。
本日最後の訪問教会です。

       『カトリック豊中教会』
 
    

   祭壇正面は『イエスを抱き示す聖母マリア様』でした。
優しい感じの祭壇前に、『再宣教巡礼帳』を掲げて・・・記念撮影

   
      『国の有形文化財(建造物)』に登録された教会は、  
入母屋屋根、色瓦葺、真壁仕上げの平屋建て。木造和風の教会として貴重な存在です。


 
 『聖堂入口』
   
 1939年(昭和14年)に、パリ外国宣教会の司祭によって設立された教会です。
 今は、昨夏に『イスラエル巡礼』にご一緒させていただいたN神父様が主任司祭でおいででした。 

   運よくお目にかかれたN神父様は、神様を心底愛しておられる神父様です。
   イスラエルの死海に浮かびながら『御言葉』の解説をいただいた時の話で、
      笑いあいました。巡礼のご褒美でした。

       

『巡礼』とは、                           
 巡礼の根本的なかたちは、『遠方の聖地に赴く』、
というところにあります。
        日常空間あるいは俗空間から離脱して、                 
  非日常空間あるいは聖空間に入り、そこで聖なるものに接近・接触し、          
   その後ふたたび、 もとの日常空間・俗空間に復帰する行為。です。

 

    私たち夫婦も、今日、ひたすら、『遠方の聖地に赴く』一日でした。
       
       『ひたすら、無心に、歩く。』これに意味がある。
         自分と向き合い、内省することになる。

         夫婦二人だけの巡礼にも、意味がある。
 巡礼課題の『三つの祈り』の『再宣教150周年の祈り』も空で覚え、合唱することとなる。
       信仰者の互いを、認め合い、尊敬することとなる。

 

         皆様もご一緒くださり、ありがとうございました。お疲れさまでした。

 
そして。

『今日の福音 イエスの御言葉

     『そのとき、イエスはトマスに言われた。

    わたしは道であり、真理であり、命である。
   わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」』
                    ヨハネ福音書 14章6-14節

 

  イエスは、私たちが歩むべき『道』です。
      それは、人に仕える道。苦しみが待ち受ける道かもしれません。
  イエスは、私たちが信じるべき『真理』です。
      それは、人類の罪の『贖罪』となって、死んでくださったことです。
  イエスは、私たちの『命』です。
     それは、死ぬべき私たちの命が、イエスの愛によって、復活するということです。

 

イエスは、御父・神の元へ帰還するために、神から私たちに与えられた『道、真理、命』
      沢山の宣教師さんたちが、『イエスを教えるため』に日本に来たのです。
        宣教によって、『道、真理、命』を知ったのです。
     私たちも、『自分の姿』で、宣教してまいりましょう。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
”10日間もある!”と言っていたGWも、残り3日です。どのようにお過ごしになられますか? お元気で!