マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

新緑の頃・・・『立夏』 そして 『わたしが命のパンである。』

2019-05-07 05:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

5月7日。火曜日。曇り。気温が下がる。

      
     風薫る新緑の頃・・・   『立夏』
 
 『我が家のもみじ』           ”いってらっしゃ~い!”  見送ってくれる。         

         
          今年の立夏は5月6日~21日。
    新緑も濃くなってきて、夏に入りかけ、心地よい時期になりました。

そこで。

    今朝は、速歩ではなくジョッグをしてみましょうと、少し走りました。


              走る足元に・・・   『雑草の花』
           
                                                                                 人知れず、可憐に美しい。

               私のランを後押ししてくれます・・・”ガンバ!” ”ガンバ!”

     体力Up!筋力Up! Up!Up! 夏山縦走に向けて、頑張ります。

   
 そして。

今日は5月7日。復活節第三火曜日。


『今日の入祭唱』

『神を畏れるすべての人よ、
 小さな者も力ある者も神を賛美せよ。今や、神の救いと力と支配が現れた。アレルヤ。』
                   ヨハネの黙示録 19章5節&12章10節


そして。                      

『今日の福音 イエスの御言葉

        神は、いつも、『パン』の形で、ご自身を与えて下さるのです。


『そのとき、群衆はイエスに言った。
  
「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、

    どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。」

すると、イエスは言われた。

           「はっきり言っておく。
     モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、
    わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。
  
神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」

そこで、彼らが、
    「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、

イエスは言われた。

        「わたしが命のパンである。
 わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」』
                 ヨハネ福音書 6章30-35節

 

   神は、人々に必要な『パン』を、いつの時も、与えて下さるお方なのです
   それで、私たちは、『パン』を与えて下さる方が、神様であると知るのです。
  神が下さる『パン』こそが、『見て神を信じることができる『しるし』なのです

 

     今日は、時代を追って、神の下さる『パン』を見てまいりましょう!
                  よろしくお願いいたします


その昔。
旧約時代。


   エジプトから脱出して、カナンの地(イスラエル)に向かう途中で、
    飢えた民は、モーセに、『エジプトの方が良かった』とつぶやき、
       モーセは、民のために、神に祈り求めました。

         
       『主はモーセに言われた。
  「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。
 
    わたしはイスラエルの人々の不平を聞いた。
あなたたちは、こうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる。」』
                     出エジプト記 16章4節&12節


      それでも、
      民の信仰が育つのを願う神の思いに反して・・・
   民は、『パンの奇跡』、『神の業』を認めることが出来ませんでした。

 

更に。
新約時代。

   『大勢の群衆がイエスの後を追った。男たちの数はおよそ五千人であった。
  
    
    さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、
       座っている人々に分け与えられた。』
          マタイ福音書 6章1~11節 

 

   群衆は、
      イエスが5つのパンを沢山のパンに増やし、十分に食べた時に、
        イエスにおいて、『主の業』を認めるはずでした。
      しかし、信仰は未熟で、主を認めることが出来ませんでした。

 

  イエスを信じるとは、
  ①イエスは神から遣わされた方、又 ②イエスは『神の業』をなさる方、と認めることです。

  

 更に。
最後の晩餐の夜。


    『イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、
         使徒たちに与えて言われた。
  
    「これはあなたがたのために与えられるわたしの体である。』
                ルカ福音書 22章19節

     

 イエスは、最後の晩餐の席で、『パン』の形で、ご自身を弟子たちにお与えになりました。
      
         
          イエスは、神から遣わされて、

      『命のパン=イエスご自身=永遠の命』を下さるのです。
  『パン』において、私たち『パン』を頂く者を、霊的に養って下さるのです。

 

そして今の時代。
 

   『主は、御自分の体であるパンを弟子たちに与えられた後に言われた。
      
       「わたしの記念としてこのように行いなさい。」』
             ルカ福音書 22章19節


 今も、イエス・キリストは、私たちに必要な『パン=御聖体=イエス・キリスト』を下さるのです
   今は、イエス・キリストは、『御聖体』の形で、私たちの信仰を養い、育てて下さるのです。


   
      いつの時代においても、

          神が下さる『パン』こそが、
      見て神を信じることができるしるし』なのです。

 

                 ご一緒に『パン』の研究をありがとうございました。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
立夏を迎え、あっという間に夏が来るのでしょうか?今は新緑を楽しみましょう。 お元気で!