5月7日。火曜日。曇り。気温が下がる。
風薫る新緑の頃・・・ 『立夏』
『我が家のもみじ』 ”いってらっしゃ~い!” 見送ってくれる。
今年の立夏は5月6日~21日。
新緑も濃くなってきて、夏に入りかけ、心地よい時期になりました。
そこで。
今朝は、速歩ではなくジョッグをしてみましょうと、少し走りました。
走る足元に・・・ 『雑草の花』
人知れず、可憐に美しい。
私のランを後押ししてくれます・・・”ガンバ!” ”ガンバ!”
体力Up!筋力Up! Up!Up! 夏山縦走に向けて、頑張ります。
そして。
今日は5月7日。復活節第三火曜日。
『今日の入祭唱』
『神を畏れるすべての人よ、
小さな者も力ある者も神を賛美せよ。今や、神の救いと力と支配が現れた。アレルヤ。』
ヨハネの黙示録 19章5節&12章10節
そして。
『今日の福音 イエスの御言葉』
神は、いつも、『パン』の形で、ご自身を与えて下さるのです。
『そのとき、群衆はイエスに言った。
「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、
どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。」
すると、イエスは言われた。
「はっきり言っておく。
モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、
わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。
神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」
そこで、彼らが、
「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、
イエスは言われた。
「わたしが命のパンである。
わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」』
ヨハネ福音書 6章30-35節
神は、人々に必要な『パン』を、いつの時も、与えて下さるお方なのです
それで、私たちは、『パン』を与えて下さる方が、神様であると知るのです。
神が下さる『パン』こそが、『見て神を信じることができる『しるし』なのです
今日は、時代を追って、神の下さる『パン』を見てまいりましょう!
よろしくお願いいたします
その昔。
旧約時代。
エジプトから脱出して、カナンの地(イスラエル)に向かう途中で、
飢えた民は、モーセに、『エジプトの方が良かった』とつぶやき、
モーセは、民のために、神に祈り求めました。
『主はモーセに言われた。
「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。
わたしはイスラエルの人々の不平を聞いた。
あなたたちは、こうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる。」』
出エジプト記 16章4節&12節
それでも、
民の信仰が育つのを願う神の思いに反して・・・
民は、『パンの奇跡』に、『神の業』を認めることが出来ませんでした。
更に。
新約時代。
『大勢の群衆がイエスの後を追った。男たちの数はおよそ五千人であった。
さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、
座っている人々に分け与えられた。』
マタイ福音書 6章1~11節
群衆は、
イエスが5つのパンを沢山のパンに増やし、十分に食べた時に、
イエスにおいて、『主の業』を認めるはずでした。
しかし、信仰は未熟で、主を認めることが出来ませんでした。
イエスを信じるとは、
①イエスは神から遣わされた方、又 ②イエスは『神の業』をなさる方、と認めることです。
更に。
最後の晩餐の夜。
『イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、
使徒たちに与えて言われた。
「これはあなたがたのために与えられるわたしの体である。』
ルカ福音書 22章19節
イエスは、最後の晩餐の席で、『パン』の形で、ご自身を弟子たちにお与えになりました。
イエスは、神から遣わされて、
『命のパン=イエスご自身=永遠の命』を下さるのです。
『パン』において、私たち『パン』を頂く者を、霊的に養って下さるのです。
そして今の時代。
『主は、御自分の体であるパンを弟子たちに与えられた後に言われた。
「わたしの記念としてこのように行いなさい。」』
ルカ福音書 22章19節
今も、イエス・キリストは、私たちに必要な『パン=御聖体=イエス・キリスト』を下さるのです
今は、イエス・キリストは、『御聖体』の形で、私たちの信仰を養い、育てて下さるのです。
いつの時代においても、
神が下さる『パン』こそが、
見て神を信じることができる『しるし』なのです。
ご一緒に『パン』の研究をありがとうございました。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
立夏を迎え、あっという間に夏が来るのでしょうか?今は新緑を楽しみましょう。 お元気で!