鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

額の上に「橋がかかった」うれしさ

2009-09-01 | Weblog
 このところ、鏡を見る度に額の上あたりに手を左から右になでつける。そしてニヤリとする。というのはすっかり禿げ上がっていた頭の毛が若干ながら戻ってきたからだ。鏡を見てすっかりツルツルとしていた額の上に橋がかかったような感じとなってきたのだ。2、3年前にかみさんが「うぶ毛が増えてきた」と言っていたが、それが伸びて黒くなってくるのになかなか時間がかかっていて、見た眼に写るには至らなかった。
 髪の毛については神経を使う職業柄か、若いころから円形脱毛症になったように後頭部から禿げが広がっていき、遂には額の上にまで及び出してしまった。亡くなった親父も禿げていたので、遺伝的な要素もあるのだ、とも観念していた。ただ、放置しているのも癪なので、なんとか髪の毛を増やしたいと思って、あれこれ、努力してきた。まず、養毛剤については「リアップ」、「紫電改」など新しい養毛の化粧品が発売される度に真っ先に購入して、試したり、洗髪料にしても人にいいと聞いては購入して、努力してきた。が、広がる勢いには抗しきれず、ここ数年は諦めて、自然に任せるしかない、と思い始めていた。
 会社のなかで、上の人や下の者に気を遣い、取引先への配慮など細かく神経を使うことが何よりも髪には差し障ったのだろう。つまり、ストレスが頭に溜まって、正常な髪の成長を妨げているに違いない、と判断したのだ。ストレスが内蔵にいくとガンになるケースが多いが、髪の毛にいく限りガンとはならないとの説があるが、いつかそれを聞いて「禿げはガンにならない」とうそぶいたりもしていた。
 それが、昨年春あたりから変化が出始めたのだ。丁度、前の会社の社長から退任を言い渡された時期と重なる。退任については「年とって、不要になったので、後進に道を譲ってくれ」と宣告されるもので、決して快いことではないが、精神的には気を遣って過ごすことがな無くなり、極めて伸びやかな気持ちになり、すこぶる爽快なものである。
 それが髪の毛にも反映されるのか、急にうぶ毛が目立ち始めた。当時、後輩らが送別会をしてくれたが、そのお礼の挨拶にまじえて「髪の毛にも大きな変化が出てきた。今度会う時には黒々としているから、憶えていて下さい」と冗談半分で付け足した。
 その言葉通りになってきたから、うれしい限りだ。大学の同窓生と飲んだ際にそのことを言い、つい「ツルツルがふさふさになってきた」と口を滑らし、「ふさふさはないだろう。せいぜい、ふさふさの『ふ』程度だろう」と混ぜっ返されるが、たとえ少しでも戻ってきたというのは若返ったようで、楽しい。
 親父も晩年に禿げていた頭に髪の毛が生えてきていたのを自慢していたことがあったが、あれも自由気ままな立場になったことからきていたのかもしれない。
 髪の毛の「橋がかかった」ことによる変化としては以前は外出には帽子が欠かせなかったのに、最近はそれほど帽子をかぶろう、とは思わなくなったことがあげられる。東京・新宿の伊勢丹に行ってはパナマ帽やハンチング帽、ボルサリーノ帽などを夏、冬用に10個くらい買ったが、いまはそんな気持ちも失せてしまった。
 もちろん、「橋がかかった」とはいってもその歩みはのろい。毎日鏡を見ていても目立つほどではない。ある日気がついたら、若干増えていた、といった程度のものでしかない。鬘メーカーがテレビのコマーシャルで3段階増毛法とか、5段階増毛法などといっているが、それをもじって言えば20段階、もしくは30段階増毛法程度のものでしかない。禿げるのに数10年かかっているのだから、逆も真ということなのだろう。
   
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