鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

新聞に代わる新たなメディアの仕分け人が求められる

2010-01-13 | Weblog
 12日夜、NHKテレビ「クローズアップ現代」を見ていたら、「新聞、押し寄せる変革日米は」と題して新聞業界の苦境を取り上げていた。冒頭、米国では98年に50もの新聞が姿を消し、全米での新聞発行部数はこの2年で1000万部減って3000万部となった、と報じていた。サンフランシスコ・クロニカル紙の営業担当者が百貨店の重役に広告を出すように言ったところ、その重役は「実は新聞を購読していない」と言って断った。傍らにいた女性の広報担当者も「私もそうだ」と言っていたのも衝撃的だった。
インターネットの普及で新聞に頼らなくても情報が入手できるようになったためで、米国より販売収入のウエイトの高い日本の新聞社には痛い。ゲスト解説者として登場した立花隆は過去10年、東大でジャーナリズム論を講義してきており、毎回学生に「毎日新聞を読んでいるか」と聞くことにしており、以前は3分の1くらい手を上げたのに最近は200人のうち5人しかいない、という。立花隆は新聞は世の中のことを知ろうとする場合に最初の手がかりのベースとなるもので、それが崩れていることは大変なことだ、と警告する。
番組はこの後、米ケンタッキー・ポスト紙が廃刊となったコビントン市で起きた状況をルポし、投票率が低下するなど新聞がなくなった影響が大きいことを強調する。ジャーナリズムの空白を誰が埋めるのか、と投げかけ、米議会で新聞社の救済法案が上程されたり、新聞社を解雇された元記者が資産家や労組などの出資を得て権力を監視する情報発信のサイトを立ち上げる動きがあることを伝えた
そして最後に立花隆にコメントを求めたところ、立花隆は「たとえ新聞がなくなるとしてもなんらか代わりのものが出てくる」といったようなことを言い、先行き悲観していないと語った。確かにその通り、たとえ新聞が無くなるようなことがあっても代わりを果たすようなものが現れてくることだろう。が,立花隆がいうような情報入手や判断の基盤となるようなものができるには相当な時間がかかることだろう。
 それともうひとつ気になったのは立花隆が新聞に対して抱いているであろう幻想である。立花隆のような戦中派に有りがちなのだが、新聞社には優秀な頭脳が集まっている、と思い込んでいる。自分がかつて新聞記者をめざしたころの思いが残っているのだろう。が、とんでもない、いまや新聞記者になろうと志す大学生など
稀有な存在なのである。いまや斜陽産業となった新聞社に入ろうとは誰も思わないだろう。最近の新聞記事が面白くない理由のひとつにこうした事情がある。
情報をとって発信する新聞社の代わりはいくらでも出てくるだろうが、今度はそうした群小メディアを選り分け、仕分ける新たな役割を担う人が必要となってくるこだろう。
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