鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

続編が見たいと思わせるマイケル・ムーア監督の「キャピタリズム」

2010-01-07 | Weblog
 6日は東京・霞が関の東京地裁へ裁判の傍聴に出かけたが、松の内とあって裁判はごく少数で、傍聴してみようと思わせる裁判がなかったので、1階ロビーで本を読みながら時間をつぶした。午後は有楽町へ出て、そういえば知人のK氏からマイケル・ムーア監督の評判の映画「キャピタリズム」を見るように勧められていたことを思い出し、上映が8日までとなっていたこともあって観賞することにした。平日にもかかわらず話題作とあってまあまあの入りだった。
 いきなりローマ帝国時代の映画「ベンハー」の馬戦車のシーンから始まる。ローマ帝国時代も今の米国と同じく貧富の差が激しかった、といいたのだろう。米国ではローンを払えなくて立ち退きを食ったり、業績の悪い会社から突然解雇を言い渡されたりして、貧困に喘ぐ大衆が続出している。世界一の自動車メーカーだったGMは昔から業績にいい時でも従業員の解雇を行ってきた事実をあげ、マイケル・ムーア監督自身がGMの本社に「会長に会わせろ」と押しかけ、守衛から追い返されるシーンを映し出す。また、乗客の安全を任されているパイロットの年収が1万6000ドルでファーストフードの店員より安い矛盾も指摘する。
 この一方で、ゴールドマンサックス、メリルリンチなど金融大手の経営者は大衆を簒奪するような高給を食んでおり、あまつさえ政府の要職に就いて、国の予算を横流しするようなことをしている。グリンスパーン、ルービン、サマーズなどはいずれも金融界から政界に移った人で、私腹を肥やしている。米国を動かしているのは政治家ではなくて、ウオール街である、と語る。米国民の1%に米国の富みの99%が集中しており、米国は民主主義ではなくて金融資本主義となっている、とも指摘する。
 金融資本主義が過去10年行ってきたことは米国民がせっせと蓄えてきたお金で買った住宅をサブプライムローンで吸い上げる仕組みを作ってきたことだ。米FBIは04年頃にサブプライムローンの取り締まりに乗り出そうとしたが、9.11で効果を上げるに至らず、08年9月のリーマン・ショックで壊滅的な打撃を受けるに至った。ここでもマイケル・ムーア監督はウオール街のゴ-ルドマン・サックスはじめ金融大手の会社へ抗議に訪れるが、守衛にすげなく追い返されるシーンがあり、笑わせる。
 そんななか昨年オバマ大統領が当選して、流れが変わり、住宅から立ち退きを食っていた住民が住宅を取り戻したり、解雇された従業員が雇用を守られることになるが、問題の金融資本主義の大手の横暴ぶりがどう変わっていったのかの追跡はされていない。映画の製作時間が間に合わなかったのか、オバマが期待されていたほどでないのか、観客が一番知りたいところだったのに残念だった。
 映画は1930年代の大恐慌を克服したフランクリン・ルーズベルト大統領が登場し、米国民に基本的な権利を保証すると宣言するが、それから1年後に実現せずに死んだことを伝え、その理念は米国ではなく欧州、日本で生かされた、としている。米国ではいまだに人間として生きるために必要な人権が確立されていないし、医療制度や各種社会保障制度が確立されていない。マイケル・ムーア監督は「こんな国に住みたくない」、「だから、私は闘う」と宣言する。そして、映画はニューヨーク・ウオール街の金融大手の本社前で黄色いテープを張って、封じ込めようとしているマイケル・ムーア監督を映して、ムーア監督が「犯罪が行われている建物の外へ出なさい」と呼び掛けているシーンで終わる。
 なんとも風刺の効いた結末であり、いまの米国の置かれた現状をうまく切り取った面白い映画であった。マイケル・ムーア監督の映画は際もの的な記録が多く、これまで見ようとは思わなかったが、この続編を作ってくれるのなら、また見て見たいものだ、と思った。
コメント
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