鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

登場人物の生き方、考え方に共感できなかった「悪人」

2010-01-11 | Weblog
 吉田修一著「悪人」を読んだ。吉田修一は芥川賞作家で、確か朝日新聞の連載され、単行本となってから大佛次郎賞をもらっていて、読もうかな、と思っていたのを文庫本となったので、読む気になった。推理小説風の書き出しで、著者にとっては新境地を開いたものかな、と思って読み進んだが、最後は純愛小説みたいな終わり方で、がっがりした。悪人とのタイトルがどこにそれらしさがあるのか、やや疑問の残る感じでもあった。
 「悪人」は福岡県のとある地方都市に住む床屋の一人娘が短大を卒業して生命保険会社に就職し、寮住まいをしている。どこにでもいる平凡なOLで、仲間と適当に仕事をしながらアバンチュールを楽しんでいる。ある日、イケメンの大学生連れと知り合い、メルアドを交換したことから、一人でそのイケメンと交際している空想にとり憑かれ、仲間にも吹聴するようになる。
 ところが、主人公はその一方で、出会い系サイトに登録して、見ず知らずの男と遊ぶことも行っており、そうした男とのデートなのに仲間にはイケメン大学生とのデートだと吹聴する癖があり、ある日の深夜に出かけた折りに殺されてしまうことになる。
 で、後半は出会い系サイトで知り合った男とイケメン大学生の足取りを追いながら、事件の真相に迫っていく。男は再び、出会い系サイトで今度は紳士服店に勤める女性を引っ張り出し、逢瀬を重ねるうちに一緒に逃げることになり、最後は捕まってしまう。最後に、逃亡劇の女性の首を締めようとするところを見つかり、殺人狂の疑いをかけられ、「悪人」らしき様相を呈したところでジ・エンドとなる。
 もちろん、小説なので、主人公の父親とか、殺人犯の家族である祖母などが登場し、ナイトクラブでイケメン大学生に迫る場面や、健康食品のセールスなどで舞台回しを務めるあたりは読ませる内容となっている。
 筆者の吉田修一はタウン誌の随筆の定期コラムを持っていたりして、身近なテーマ切り取って洒脱に論を展開するなかなか器用なところがあり、若手作家のなかでは注目される存在である、と思っていた。だから、タイトルからしてもう少し重厚な内容を期待していたのだが、通俗小説に毛の生えた程度のもので、いささか失望させられた。
 失望の内容を振りかえってみて、主人公はじめ登場人物のどこにも生き方なり、考え方に共感できるものがないからだ、と思い当った。小説を読むには登場人物に思いを寄せて、共感できるものを求めていくものではなかろうか。少なくともこの「悪人」にはそうしたものはなkった。現代の若者というものはそうしたものなのだ、ということなのかもしれない。そうした若者の生態を描いた小説として読む限りはそれなりのレベルのものであるのは間違いない、と思った。
コメント
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