鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

演奏会で指揮者なり、だれかの解説があってもいいのでは、と思った

2010-01-28 | Weblog
 27日は東京・赤坂のサントリーホールでの読響日響名曲シリーズ演奏会へ出かけた。プログラムを見ると、指揮者は読響初出演のマリン・オルソップとこうした演奏会では初めての女性指揮者で、ヴァイオリニストと一緒に登場したのを見る限り、人の良さそうな表情の持ち主だった。女性の指揮ぶりはどうかな、と思って見ていたが、男性指揮者と変わるようなところは見られず、強いていえば団員に対する姿勢がソフトに行われている点にそれらしさがうかがえた。
 前半はヴァイオリニストのライナー・ホーネックとのモーツアルトの「ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド変ロ長調K.269」の小品で、澄んだ音色をホールに響きわたせていた。続いて、ホーネックとヴィオラ奏者の鈴木康浩の2人が現れ、モツアルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調k.364」が演奏された。似たような楽器のソロ演奏を聴くのは初めてのことで、微妙な調べをヴァイオリンからヴィオラへ、ヴィオラからヴァイオリンへと引き継ぐ演奏の連続で、あたかも音色の違う楽器を1人で操っているような演奏を見せてくれた。演奏が終わると、すかさず会場から「ブラボー」と絶賛の声が飛んでいた。ホーネックも鈴木康浩もそれぞれの分野でソロ奏者としては一流の人のようで、それが共演したのだから「ブラボー」との声が飛ぶのは無理もない。4回くらいのカーテンコールで拍手が鳴りやまなかった。
 休憩のときに出入口を見ていたら、前半だけで引き上げる人がやたら多かったよいうな気がした。通にとってはヴァイオリンとヴィオラの共演だけが今日の見どころと思ってのことだったのだろうか、と思った。
 後半はブラームスの「交響曲第2番ニ長調作品73」で、どこかで聴いたことのあるような曲だった。N響なり、読売日響なり、この手の演奏会には結構来ているが、いつも会場入口で冊子をもらい、演奏プログラムに掲載されている解説を読んで、いきなり演奏を聴くこととなっている。で、思うのだが、指揮者なり、事務局の用意したコメンテーターが事前に曲目のねらいなり、成り立ちなりを話すような場があってもいいのかな、と思った。「題名のない音楽会」では司会の佐渡裕が懇切丁寧に解説してくれるので、音楽に疎い人にとって大変参考になるし、なるほどと思うことも多い。N響はプライドが高いのでそんなことはしないだろうが、読響くらいはそうしてもいいのではなかろうか。今回は女性指揮者なので、声を聞いてみたい、という気もあって聴きながらそんなことを思った。
 ブラームスの交響曲第2番は第3楽章では軽やかなメロディが、第4楽章では力強く勇壮な調べが響き渡り、眠気を覚ましてくれた。演奏が終わって、数回のカーテンコールを続いて、指揮者のオルソップがコンサートマスターの顔色を窺うような仕草をしてから、指揮台の前で頭を下げて引っ込み、幕となったあたりに女性指揮者らしい雰囲気が漂っていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする