prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「それでも恋するバルセロナ」

2009年07月17日 | 映画
ウディ・アレン作品を席数540の非ミニシアターで見るのは初めて。しかも結構入っていた。

スカーレット・ヨハンソンが演じる、中途半端に表現欲を持っているが何を表現すればいいのかわからない芸術家未満のキャラクターに、1978年のアレン作品「インテリア」のメリー・ベス・ハートがだぶる。ハートの場合はその焦りから母親に当たり、自殺に追い込んでしまうという悲劇になるのだが、ここでは救いの手が差し伸べられ、何をすればいいのかつかめる。

その救いの神がヨハンソンのアヴァンチュール相手の画家ハピエル・バルデムというのなら普通だけれど、画家の元妻ペネロペ・クルスというのがユニーク。バルデムもクルスからモチベーションをもらうわけで、男も女もともに芸術家は美神(ミューズ=ミュージックとミュージアムのの語源)の恵みを受けている図になる。

一時的にでも三人で「結婚」しているという不思議な関係は、単に性風俗的に風変わりというだけでなく、一種の芸術家論でもあるし、アレンの好色さと創作力の結びつきの告白でもあるだろう。
(☆☆☆★★)


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「ソルジャー・ストーリー」

2009年07月16日 | 映画

第二次大戦中・1944年のアメリカ南部の軍事基地内で起こった黒人下士官殺害事件と、その捜査の過程を追う舞台劇の映画化。原作・脚色ともチャールズ・フラー。
当然、黒人と白人の人種差別問題がベースにあるわけだが、そこからの問題の手繰り寄せ方が、「市民ケーン」ばりの過去の場面を交錯させる構成とともに、何重もの厚みがあって見ごたえあり。

人種間の階級差に軍隊内の階級差が交錯し、さらに野球の技量に長けた特別待遇の兵士たちと、その中でもさらに音楽の才能にも恵まれている人気者の黒人がいるという設定だが、彼らがその才能を生かして階級を破ろうとする単純な話にはまったく終わっていない。

特に複雑なのが殺される軍曹の設定で、黒人とはいってもかなり色が白く、長いキャリアを軍隊で積んで軍曹にまで出世し、それだけに「仲間」の黒人に白人より高圧的に当たる、という、いわゆるアンクル・トムか思わせるだけでも十分にややこしい。
が、話はそこで終わらず、軍曹の前の戦争のパリでの原体験が回想で語られる。そこである黒人が「猿の王」としてお面をかぶせられて見世物になっていた、という「人間動物園」か「キング・コング」(コングの黒人の象徴としての一面は、現在ではかなり有名のはず)を思わせる光景の長いモノローグが続き、演出(ノーマン・ジュイソン)はここだけ例外的に舞台演出的になりながら、鏡の使い方など映画的な処理を加えて見事。
この屈辱から黒人は「道化」であってはならないという心情が生まれて暴走したらしいとわかる。スポーツや音楽でみんなの「気に入られる」のも道化ととるような原理化した理屈だが、異様な迫力がある。

もう一つ、戦争で実戦に出て行くことは黒人にとっては「社会的に認められること」だという理屈は、とにかく戦争は悪という紋切り型が未だに跋扈する日本にいると考えにくいが、一種目を開かされるような感じがある。なぜこれが「ソルジャー」ストーリーという題名がついているのかも。

教会のオルガン弾きの黒人兵が、ずっと型通りの演奏をしていたのが、ラストでちらっとだけゴスペル調に崩す、それを聞いた白人の牧師が一瞬妙な顔をするあたりの複雑なニュアンス。
バーの場面など随所にはさまれる音楽シーンの処理が光る。

25年前の映画なので、デンゼル・ワシントンがタイトルで四分の一の扱いになっている。オスカー助演賞をとった出世作「グローリー」と似た、白人に反抗的な役柄で、最近の融和的なイメージとはずいぶん違う。
(☆☆☆★★)


「となり町戦争」

2009年07月15日 | 映画

原作読んだ時、これおもしろい映画になるのではないかと思ったのだが、うーん、そう簡単に思えてしまうところに罠があるのかな。

となり町と戦争が始まったらしいというのに、日常生活には一見変化らしい変化はない、ただ見知らぬ女性と夫婦のような生活をしなくてはいけなくなったり、知らないところで死者が出ているらしい、といった平和な日常と戦争とのキワキワみたいなおもしろさが原作のキモで、さらに戦争が実は身近な存在であってもそれに気づかないだけでいるのかなといった「リアリティ」にまで至っているのが原作の面白さで、(考えてみると、エヴァンゲリオンの人類の何割かが死滅したらしいのに平気で学校に通ったり交通機関が使えたりしている世界観と結果として近いのかもしれない)、そのリアルと寓話性の同居というのは相当に難しい挑戦だったようで、どちらも不徹底なまま終わった観。残念。
(☆☆★★)



「劔岳 点の記」

2009年07月14日 | 映画
評価の難しい映画。出来栄えそのものより、作るための苦労を見に行くようなもの。
本物主義で撮ってきた映像はもちろん見ごたえ十分だけれども、ではこれまでこれに匹敵する過酷なロケを敢行した映画がないか、日本の自然を描いて並ぶものがないかというと、そうでもないだろう。苦労もしていない見るだけに人間が何を言うと言われたら、それを言っちゃおしまいだろうし、ドラマが弱いと言っても意味がない。

作中人物も作者たちも、目的があって登るのではなく、昇ること、「苦行」に身をさらすこと自体が自己目的化している。うっちゃりをかけるようなラストからして、確信犯的にそうしているのだろう。
ラスト、「仲間たち」とスタッフ・キャストの名前が横並びで流れる中、監督・撮影の木村大作の名前で出ていなかったのではないか。寝ぼけていて見落としたか?
将来的に「八甲田山」のような微妙な評価に収斂するのだろうか。


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「卍(2006)」

2009年07月12日 | 映画

文芸ポルノというのか知らないが、谷崎潤一郎原作云々は口実みたいなもので、ふつうのポルノとして見るとヒロイン二人がきれいにエロチックに撮れていればいいのだけれど、なんかギスギスしている。井口昇監督らしいぶっとんだ笑いもないし、いいところなし。
(☆☆)


「ベオウルフ/呪われし勇者」

2009年07月08日 | 映画

全部CGで厚化粧した、技術に淫した映像っていうのも、ずいぶんグロテスクなもの。見ていて大げさでなしに気分が悪くなる。またぞろ3D(立体)映画だよりというのも、何やっていいのかわからなくなった苦し紛れとしか思えない。
(☆☆★)


「アメリカを売った男」

2009年07月07日 | 映画

クリス・クーパー扮するスパイの性格劇的な色合いが濃厚で、異様に信仰心が強い、というより信仰に対する執着心が強く、自分の価値をいつも確認しているような不安とプライド、猜疑心などがないまぜになっている、というよりいろいろな要素が未整理に投げ込まれた観で、クーパーの演技力をもってしてもごった煮みたいになっている。
(☆☆☆)


「富士山頂」

2009年07月06日 | 映画
実際の富士山頂での過酷な作業を再現した山岳ロケの実写精神が見もの。撮影の金宇満司はのちに石原プロ一家になったはず。
見ていないけれど、「黒部の太陽」「栄光への5000キロ」なども実写精神では共通しているのではないか。

先日、本物のドーム取り付け工事の映像を見たが、ヘリコプターに吊られたドームに人が乗ったまま風に運ばれて宙に浮かんでしまうなんて場面があったが、そこまでは再現できず。

それにしても、なんで石原プロ作品をビデオソフト化しないのか理解に苦しむ。「アラビアのロレンス」や「2001年宇宙の旅」だって、ソフト化しているものね。何か別の権利関係とかの事情があるのではないか。

芦田伸介扮する官僚がなんで左遷されるのか、上司と業者と使命感との板ばさみになったらしいのだが、具体的に何がまずかったのか、よくわからない。
洋画字幕みたいにセリフを言い切らず途中で切れてしまうのが多いのがひっかかる。
(☆☆☆★★)


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富士山頂(1970)(1970) - goo 映画

「レスラー」

2009年07月05日 | 映画
主人公の必殺技・ラム・ジャムって、ダイビング・ヘッドバットではないか。ダイナマイト・キッドは今生きてるのか?(後註 生きてます、一応)

最近の三沢光晴の死亡事故もあるし、まだ40代・50代でステロイドの副作用の心臓発作で死ぬ選手がぞろぞろいるのを考えると、ああいう「痛ましさ」を当人の生き方だけに還元するのには抵抗を覚える。業界の構造的な問題もあるだろうし、よりエスカレートした試合を求めるファンだって、その構造のうちに入っているだろう。そのファンが主人公にとってすべてっていうマイクパフォーマンスにやや違和感を覚える。

試合前の選手同士の打ち合わせ、カミソリを隠し持って額を切るなどの手口を画面で堂々と見せるが、WWEの中継でおなじみだから意外性はない。
ただし、プロモーターやブッカーといったプロレス界のおえらがたは顔を出さず。仲間のレスラーはみんないい奴ばかり。業界内部だって、相当ハードで不人情ではないかなあ。

リング外のエピソードは役者はいいのだけれど、話が途中で終わっているみたいな印象。
ミッキー・ロークのカムバックの仕掛けは成功しているけれど、ちょっと期待が大きすぎたみたい。
(☆☆☆★)


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「若親分」

2009年07月04日 | 映画


三波春夫が特別出演して先輩の浪曲家・梅中軒雲右衛門を演じる。出番は少ないとはいえ、おそらくかなりの思い入れのある出番だったのではないか。
ヤクザ役といっても、市川雷蔵だと女のロマンス部分が「婦系図」みたいなしっとりした雰囲気。海軍士官らしい端正なたたずまいも絵になる。

旧大映作品らしく、端正な画面作り、特に照明が見事。放映(BS11)の画質も良好。
クライマックスの提灯行列の画面効果はいいのだけれど、斬りあいとは別撮りでカットバックになるのが残念。
(☆☆☆)


「ぜんぶ、フィデルのせい」

2009年07月03日 | 映画

左翼運動が担った希望と失望を、子供の目を通して描いているのが興味深い。どれだけ高邁な理想を掲げようと、子供にしわ寄せが行ったのでは何やっているかわからず、しかも子供ひとりも納得させられないとはどういうことだ、と思わせる一方で、なぜあれだけ左翼が世界で勢力を獲得したかの基本である、一人だけではなくみんなが幸福になる必要があるという理想と、合して和せずの自立心とは押さえている。
そのあたり、最近あちこちで猖獗をきわめているガキっぽい安直なサヨク批判とはわけが違います。

ずうっと女の子が機嫌が悪い顔をしている映画も珍しい。弟がわりとノンキなのがおかしい。

監督はコスタ・ガブラスの娘のジュリー・ガブラス。となると、どうしても「社会派」監督のコスタ・ガブラスが父親としてはどうだったのだろうかと気になってしまう。
(☆☆☆★★)



「ダーウィン・アワード」

2009年07月02日 | 映画

擬似ドキュメンタリーの方法を一歩進めて、いつもドキュメンタリー・カメラが主人公二人にくっついて撮っているのに、カメラマンが目の前で起こっている危機にあまりに何一つ干渉しないので、見ている方がいつのまにか忘れていると、思い出したようにカメラの存在がしゃしゃり出てきて、しかしあくまで何もしないのがギャグになっている。

変な死に方をした人たちの足跡を辿る旅と、連続殺人と、保険金詐欺かどうかを調査するプロセスとがアミダくじみたいにあっちこっちにずれながらひとつの答えにはたどり着くといった構成。
この間の「スター・トレック」でウィノナ・ライダーがいっぺんに年取った役で出てきてぎょっとしたが、2006年製作の本作ではふつうの容貌。あれは役作りで老けたのだと信じたい。
(☆☆☆★)


「エリザベス : ゴールデン・エイジ」

2009年07月01日 | 映画

暗い城の中で陰謀と監禁と近親憎悪が交錯する前作に比べると、外部の人間であるウォルター・ローリー(これで見ると、「風と共に去りぬ」のレット・バトラーみたい)とのロマンス混じりでクライマックスがスペイン無敵艦隊との海戦というあたり、かなり開放的になっているのはのだけれど、代わりに軽くなった感じも強い。

衣装デザインがあちこちエリザベスに天使の羽を思わせる飾りをあしらわせ、ローマ教会やスペイン王室などカソリックの方が「悪者」に見える扱いにしているのも、なんだか安直。
無敵艦隊との戦いが、どこで勝敗を決めるポイントになったのかわからないのが困る。ローリー卿の活躍だけで決まるってことないでしょう。

衣装や、背景になる建築の巨大感(大俯瞰で人物を撮ったカットだと、あまりの高さに呆れる)などは見もの。
(☆☆☆★)