prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「エスケープ・フロム・L.A.」

2008年02月12日 | 映画

「ニューヨーク1997」のジョン・カーペンター自らによるセルフリメーク兼パロディというか確信犯的焼き直しだが、突然ピーター・フォンダとサーフィンを始めたり、ハングライダーで空から襲撃したりといった70年代的小ネタがところどころ面白い。
ラストでターゲットになるのがキューバで、無法地帯を支配する独裁者がゲバラとカストロを足して二で割ったみたいな格好なのが変な感じ。未だにキューバはアメリカにとって喉元に刺さったトゲみたい。
合衆国大統領がまた独裁者で、作者はタバコもうっかり吸えない健康ファッショも気にいらないみたい。どいつもこいつもまとめてふっとばすアナーキーなラストが痛快。
(☆☆☆)


「東京ゾンビ」

2008年02月11日 | 映画

ゾンビだけでなくオカマやスカトロほか色々悪趣味なものが並んでいて、まじめに見る映画じゃないのはわかってるけれど、だからといって笑えるわけではない。
こういう安くてバカバカしくて、それでちゃんと見せるのって相当難しいのではないか。哀川翔と浅野忠信がハゲとアフロで顔合わせするっていうのでは足りない。ときどき湿っぽくなるのも困る。
ラスト時間が逆行する構成と、ゾンビがつかみかかってくるのを柔術の技でしのぐのが、ちょっともっともらしくて面白かった。
(☆☆★★★)


「麦の穂を揺らす風」

2008年02月10日 | 映画
イギリスについてはとにかく居丈高に暴力にまかせて弾圧してくる描写であまり細かいニュアンスはないが、いったん条約が結ばれた後でアイルランド人の中でそれに一応従おうとする者とあくまで完全な独立を勝ち取ろうとする者の間で対立(古語を使うと内ゲバというのか)が起きてしまい、それぞれある程度の「正しい」ためにかえって和解できずに兄弟の間が引き裂かれる、というあたり、やりきれなく重い。

20世紀終盤から現在にかけてというのは革命や独立運動が必ず何が正しいかを巡って争いの再生産に陥って、かつて革命とか民族自決といった言葉が持っていた輝かしさを失ってしまった時期という気がする。
ただ、ある程度常識になっていることを改めてなぞった感じで、典型的な分、今でも世界で起こっていることに通じる一方で、ちょっと映画自体カッコに入っている感じもする。
(☆☆☆★★)



「the EYE3」

2008年02月08日 | 映画

「3」といっても、前二作とはまるでストーリー上の関係はない。というより、この映画自体、「幽霊を見る10の方法」という副題がついて百物語みたいな趣向から始まるように短編を団子の串刺し式に並べて長くしたみたいな構成であまりスジが通っておらず、どうにもダレるし、あちこちにコメディ調の趣向が入る分、ますます緊張感に欠ける。
香港・タイ合作といっても、若者たちが主役なので、ハローキティとかミッキーといったおなじみのキャラクターグッズばかりぞろぞろ出てくる。
(☆☆★★)

「母べえ」

2008年02月07日 | 映画
出だしで特高として登場するのが笹野高史というのがちょっと意外な配役で、ひょろっと背が高くて中折れ帽をかぶっている姿が一瞬笠智衆みたいに見える。家の前では寒そうにちぢこまっていたのが中に入ると一転して強面になるのが芸が細かい。よくある強面一辺倒とは違う。
他の特高たちにせよ、吉永小百合の父親で警察署長をしている中村梅之助にせよ、検事役の吹越満にせよ、体制側の人間たちが強面な仮面の裏に張り付いたその時の空気と惰性に流されるあやふやな感じを出している。
署長なり大学教授なりの夫が建前としての忠君愛国思想を並べたあと、夫人が尻拭いのように隠れてフォローするという型がさりげなく描かれているのもリアル。

一方で、「庶民」の大勢順応性、風にそよぐ葦ぶりも「宮城参拝」の落語みたいな笑いの中にきっちり描いている。
そうしたディテールが重なって、昔の話という感じではなく今のイヤな同調圧力的な空気(KYってイヤな言葉が流行るね)にかなりストレートにつながっている。

戦前のインテリたちの猛勉強ぶりの感じがよく出ている。カント、ヘーゲル、ニーチェといったドイツ近代哲学を出世のための肩書きのためではなく、本当の近代国家のあり方を考えるために学んだのだろうし。その(狂ってた時の)ドイツと同盟している皮肉。
最近、佐藤優の「獄中記」(やはりヘーゲルやハーバーマスといったドイツ哲学がちょくちょく出てくる)を読んだばかりなので、獄中で本が読めるというのが非常な救いになるというのがなんとなくわかる。

浅野忠信のちょっとひょろっとして浮世離れした、地上から一センチ浮いたような感じをユーモラスに生かした。
さすがに吉永小百合もちょっと年が合わないんじゃないのと思わせるところがある。かといって他の人ができる役でもない。溺れた浅野を助けにカットを割らずに抜き手をきって泳いでいくのはお見事。
笑福亭鶴瓶が寅さんの遠い親戚みたいな勝手な生き方をしている役で、最期もなんか山田洋次が昔寅さんの最期の構想として話していたのと似ている。

浅野がドイツ語で「野ばら」を歌っているのは、黒澤明が「八月の狂詩曲」で使っていたオマージュだろう。
もう一曲、メイン・テーマのようになっているのがバッハの「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ」(「惑星ソラリス」のテーマ曲)で、佐藤しのぶのソプラノ独唱でフューチャーされている。音楽担当は冨田勲だが、以前「宇宙幻想」というアルバムで同曲をシンセサイザーで編曲していた。

特高の部屋に貼っている日本地図には当然ながら朝鮮半島と台湾が入っている。
玄関の向かいに貼ってあるポスターが最初の女の子なのがやがて古ぼけて、何やら防毒マスクをかぶった男のになるあたり、スタッフの仕事ぶりは実に細かい。
(☆☆☆★★)


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母べえ - goo 映画

「アース」

2008年02月06日 | 映画
映像は本当にすごくてよく撮ったと感心するしかないのだが、北極から南極まで、というよく考えてみると曖昧な構成でそれぞれ違う意味で「すごい」映像がずうっと続くと、撮影技術とそれを支える資本の人為的な力の方をむしろ感じてしまう。似たような映像をテレビで見ていてもあまり気にならないのだが。

地球温暖化というテーマだったらもう政治的イシューになっているのだから、発展途上国と先進国の関係とか資源の分配といった具体的な各論に入っていかないと、さほどの興味をひかない。

カメラマンの中にムタ某という日本人と思しき名前あり。
(☆☆☆)


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「カッコーの巣の上で」

2008年02月05日 | 映画

原作はインディアンの一人称で書かれていて、薬のカプセルを壁にぶつけると中から小さな機械が出てくる、あれがアタマの中に巣くって患者を操っているのだろうといった精神病者の妄想としか思えない描写があちこちに出てくるのだが、(舞台版も“チーフ”のモノローグを軸にして展開する)この映画版の脚色ではそうした描写をすっぱり切り捨てている。

木村威夫がこの映画について「狂った映像が一つも出てこない、役者はみんなうまいけれど」と評していたが、どう見ても仮病のジャック・ニコルソンをはじめ、他の患者たちも「狂っている」感じはしない。
ダニー・デヴィートやクリストファー・ロイドなど、出演当時は無名だったのだろうが、その後有名になった役者が混ざっているので「役者がやっている」のがわかるせいもある。

だから、患者たちが「自分の意思で」閉じ込められて管理されている、という設定が、良くも悪くもかなりあからさまに管理社会一般の寓意として読み取れる。
そうしてみると、患者たちが全員白人男性で、看護士(というより、刑務所の看守のイメージ)が全員黒人、さらにその上に看護婦たち(=女)がいるという、シャバでの「上下」関係が転倒している世界であることに気づく。
「歪んでいる」のではなくて、論理的に逆転している。

看護婦長がしきりとどもりの青年にその母親を引き合いに出してプレッシャーをかけるのは、当人が真綿で首を絞めるように母親的にソフトなファシズム体質の持ち主であることの現われだろう。

作られてから33年も経って見ると、ジャック・ニコルソンがかつて得意とした、体制に当たって砕けてしまうニュー・シネマ(死語?)のアンチヒーロー役としては最後のものと見え、だから長いことおあずけを食ってきたオスカーの最初の受賞につながったのかな、と思える。今では長いこと受賞できないで腐っていたとは信じられないものね。


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「the EYE2」

2008年02月04日 | 映画

幽霊の心霊写真風の「リアル」な描写で怖がらせるだけでなく、冒頭の電話でのやりとりが後になってヒロインが自殺未遂をしてから出没しだす女の幽霊の正体がわかってくるあたりにつながってくるなど、ストーリー(一作目とまるで関係ない)が意外と手をつくしていて楽しめる。
もともとのトラブルの原因である男の扱いが中途半端なのは物足りないが。

ヒロインが自殺しようとしてビルの屋上から飛び降りてもなぜか死ねないで繰り返し飛び降りる、というのは高橋洋(「リング」の脚本)のエッセイで読んだ「ビルから飛び降りて自殺した人間は死んだことがわからないで何度も飛び降りを繰り返す」という話と似ている。もともと、どこの話なのか。
ここではストーリーの根本にある輪廻の因縁と関連しているのだろうが、ポランスキーの「テナント」の(映画が原作に付け加えた)クライマックス風でもあり、かなり強烈。

主演のスー・チーはロリっぽい顔とセクシーさのアンバランスが、妊婦の精神不安定とうまく噛み合っている。
(☆☆☆★)

「スキャナー・ダークリー」

2008年02月03日 | 映画
昔、俳優のライブアクションを人の手でトレースしてアニメにする技法(ロートスコープ)で「指輪物語」がアニメ映画化されていたが、今ではデジタル処理で実写の輪郭線を浮き出させたり着色したりできて、著名な俳優が似顔でなしに大勢出ているせいもありアニメというより実写を画像処理した印象が強い。
というより、こういう本物とコピーの二分法自体意味がなくなってきているのが、いわゆる現実と幻覚が同等のドラッグ中毒者のリアリティに対応してもいるのだろう。
ただ、ひとつひとつの映像は最初斬新で目を奪うが、アングルやつなぎは常識的な実写映画のそれで、さほど飛躍や展開がないのでだんだんダレてくる。

ジャンキー暦のあるウィノナ・ライダーが出てきて「絵」になった上でけれどヌードを見せたりするのは楽屋落ち的サービス。
(☆☆☆)


「周遊する蒸気船」

2008年02月02日 | 映画

ジョン・フォードが初のアカデミー監督賞をとった「男の敵」のすぐ後に撮った南部喜劇。
鯨のハリボテの見世物、というのが出てきてその中で酔っ払って寝ている黒人にヨナと名づけるあたり、風俗的に面白い(「政治的に正しく」はないだろうけれど)。

駅馬車でも酔いどれの医者が酒をやめてウィスキーを暖炉に放り込むとボッと燃え上がるシーンがあったけれど、ここではそれどころではなくて大量に備蓄されていた「ポカホンタス」(これまた時代色が出ている名前)なる怪しげな酒を蒸気船のボイラーに放り込んだらニトロ(亜酸化窒素の方)を吹き込まれたガソリンエンジンのごとくやたらパワーが出てスピードアップするのが笑わせる。
時間が81分と短いのも嬉しい。


「モーターサイクル・ダイアリーズ」

2008年02月01日 | 映画
スティーヴン・ソダーバーグ監督、ベニチオ・デル・トロ主演によるゲバラ伝が二部作として製作中だそうだが、ゲバラが今なお人気があるのは、若くして亡くなったのでイノセントなままでいられたからだろう。
虐げられた人々を助けたいというナイーヴな正義感にまっすぐつながっていく若さとイノセンスが良く出ている。
風景と音楽と南米の人々のローカルな魅力も大きい。

出会った人から直接影響を受ける外的な力学のドラマというより、もっぱら流れ去る風景の中に出会いを受け止めた側の内面の変化として一見淡々として、しかし再三現れる喘息の発作の扱いなどかなり計算しながら組み立てられている。

題名になっているモーターサイクルを捨てるプロセスが間接的に貧困層に仕返しされる格好になっているのが面白く、その後自分の足で険しい野山を踏破し船に乗り、それまで知識としてしか知らなかったハンセン病患者たちの村に入っていくにつれ、ゲバラ役のガエル・ガルシア・ベルナルが髭を生やして顔つきが変わっていくのが見もの。
(☆☆☆★★)



「トゥモロー・ワールド」

2008年02月01日 | 映画
どういうわけかピンク・フロイドの「アニマルズ」のジャケットを再現してブタの風船が宙に浮いているシーンがあったり、キング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」、ディープ・パープルやジョン・レノンなどの70年代ロックが使われている。
「THX1138」「ソイレント・グリーン」「オメガマン」(「アイ・アム・レジェンド」と同じ原作)など、70年代にやたらディストピア未来SF映画が流行ったことがあったが、その一本「赤ちゃんよ永遠に」('72)の設定を逆にして展開を同じにしたみたい。つまり人口爆発で産児制限された世界ならぬ子供がなぜか生まれなくなった世界で、しかしただ一人生まれた子供を守っての逃避行という展開は同じ。

違うのは「ブレードランナー」以後の作品だからか、未来世界が白っぽいぴかぴかしたプラスチック製ではなく、じめじめした荒廃した廃墟になっていること。
叛乱を起こした銃を手にした群衆が「アッラー・アクバル」と繰り返し唱えているのは、ヨーロッパがイスラムと軋轢を起こしている現在の状況を反映してはいるのだろうけれど、描き方としてはなんだかひっかかる。
また、子供を出したら展開が決まってしまうというのも仕方ないけれど、実際には世界のあちこちで子供がばたばた殺されてもいるわけで、なんかご都合主義的。

すごいのは廃墟を縫って人物に不即不離にぴたりとくっついていく長まわしのカメラ(CG技術で複数の素材をまとめてそう見せているという-ウィキペディア)で、その間着弾はあるは爆発はあるわ、どれくらい撮影に手がかかったかと思わせる。
(☆☆☆★)