prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「母べえ」

2008年02月07日 | 映画
出だしで特高として登場するのが笹野高史というのがちょっと意外な配役で、ひょろっと背が高くて中折れ帽をかぶっている姿が一瞬笠智衆みたいに見える。家の前では寒そうにちぢこまっていたのが中に入ると一転して強面になるのが芸が細かい。よくある強面一辺倒とは違う。
他の特高たちにせよ、吉永小百合の父親で警察署長をしている中村梅之助にせよ、検事役の吹越満にせよ、体制側の人間たちが強面な仮面の裏に張り付いたその時の空気と惰性に流されるあやふやな感じを出している。
署長なり大学教授なりの夫が建前としての忠君愛国思想を並べたあと、夫人が尻拭いのように隠れてフォローするという型がさりげなく描かれているのもリアル。

一方で、「庶民」の大勢順応性、風にそよぐ葦ぶりも「宮城参拝」の落語みたいな笑いの中にきっちり描いている。
そうしたディテールが重なって、昔の話という感じではなく今のイヤな同調圧力的な空気(KYってイヤな言葉が流行るね)にかなりストレートにつながっている。

戦前のインテリたちの猛勉強ぶりの感じがよく出ている。カント、ヘーゲル、ニーチェといったドイツ近代哲学を出世のための肩書きのためではなく、本当の近代国家のあり方を考えるために学んだのだろうし。その(狂ってた時の)ドイツと同盟している皮肉。
最近、佐藤優の「獄中記」(やはりヘーゲルやハーバーマスといったドイツ哲学がちょくちょく出てくる)を読んだばかりなので、獄中で本が読めるというのが非常な救いになるというのがなんとなくわかる。

浅野忠信のちょっとひょろっとして浮世離れした、地上から一センチ浮いたような感じをユーモラスに生かした。
さすがに吉永小百合もちょっと年が合わないんじゃないのと思わせるところがある。かといって他の人ができる役でもない。溺れた浅野を助けにカットを割らずに抜き手をきって泳いでいくのはお見事。
笑福亭鶴瓶が寅さんの遠い親戚みたいな勝手な生き方をしている役で、最期もなんか山田洋次が昔寅さんの最期の構想として話していたのと似ている。

浅野がドイツ語で「野ばら」を歌っているのは、黒澤明が「八月の狂詩曲」で使っていたオマージュだろう。
もう一曲、メイン・テーマのようになっているのがバッハの「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ」(「惑星ソラリス」のテーマ曲)で、佐藤しのぶのソプラノ独唱でフューチャーされている。音楽担当は冨田勲だが、以前「宇宙幻想」というアルバムで同曲をシンセサイザーで編曲していた。

特高の部屋に貼っている日本地図には当然ながら朝鮮半島と台湾が入っている。
玄関の向かいに貼ってあるポスターが最初の女の子なのがやがて古ぼけて、何やら防毒マスクをかぶった男のになるあたり、スタッフの仕事ぶりは実に細かい。
(☆☆☆★★)


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