prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ミスティック・リバー」

2004年01月21日 | 映画
たとえば少年時代の性的暴行によるトラウマといったモチーフは、凡庸なミステリだったら犯罪の動機といった位置付けにもっともらしく置かれるのだが、ここではそれと核になる殺人事件と関係ありそうで関係なく、しかし関係あると<>ことで、次の展開を生んでいく、という奇妙に歪んだつながり方をしている。

犯人が捕まれば解決、という具合にいったん崩れたバランスが回復されて終わるのではなく、一つの暴力が玉突き式に取り返しようもなく発展していく迫力は、「許されざる者」を思わせる。警察がちゃんとやるべきことをしているのに問題は解決していないというのも、あからさまな暴力こそ目立たないが無法地帯じみている。

名前だけしか出てこない人物が重要だったりするので、ストーリーを追うのは少し難渋する。同じ名前の人物が何人もいて、幼馴染みがまだ近くに住んでいるなど、コミューンの狭さを感じさせる。
オープニングで車の中の男の指輪に描かれた十字架と、ショーン・ペンの
背中に彫られた十字架の対応。(ペンの二の腕には“刀”という字の刺青が彫られているみたい)
ペンは終盤かつてのセルフイメージだった「ワル」の面影を再生させ、ティム・ロビンスがこれまで何度か見せていた童顔の下の歪みを覗かせるといった、これまでのイメージを巧みに織り込んでいる。
冒頭、子供たちがホッケーをやっていてボールを下水に落としてしまい、後で成長したロビンスが下水に無数のボールが浮いている、という奇妙なイメージを語るくだりは、スティーブン・キングの「IT」で下水に住む“IT”を思わせる(広告ではキング原作の「スタンド・バイ・ミー」と比較していたが)。あれも少年時代とその喪失がモチーフだった。喪失を固まったコンクリートの上に残る書きかけの名前で見せた工夫がうまい。
イーストウッド作品では、鉄拳がしばしばカメラに向かって飛んでくるな、と思う。

劇中のテレビでジョン・カーペンターの「ヴァンパイア・最後の聖戦」が出てくるのは、妙な組み合わせ。

スタント・コーディネーターがバディ・ヴァン・ホーン。「ダーティファイター」と、その続編の監督。キャリアからすると逆戻りみたいだが、いずれにしてもイーストウッドがボスで、雇われ監督もスタントもさほど変わりないということか。
(☆☆☆★★★)


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