prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「伝説の映画監督 ―ハリウッドと第二次世界大戦―」

2020年04月19日 | 映画
Netflix製作の、第二次世界大戦中従軍した四人の大監督(ジョン・フォード、ウィリアム・ワイラー、ジョージ・スティーブンス、フランク・キャプラ)を描くオリジナルドキュメンタリー。
毎度ながら豊富なストック・フィルムを自在に編集し、スピルバーグ、コッポラ、デル・トロ、ポール・グリーングラス、ローレンス・カスダンといった現代の監督たちのインタビューが挟まる。

ワイラーがイギリスを舞台にした「ミニヴァー夫人」にとりかかった時はアメリカはまだ参戦しておらず、ユダヤ人であるワイラーはまだナチスドイツ贔屓の勢力が強かった風潮と戦わなくてはならなかった。

「メンフィス・ベル」撮影中のイギリスにいたころ同作で初のアカデミー監督賞受賞。
爆撃機に同乗して撮影中、もし撃墜されていたら戦闘員ではないので捕虜としては扱われず、収用所送りになっていた可能性があった。

ドアマンにユダヤ野郎と罵られて殴り倒したので懲戒処分か軍法会議かを選ぶよう軍に責められ、懲戒処分を選んだという温厚なイメージとは違う激しいエピソードが紹介される。
スピルバーグの父親はワイラーに乗っていたB25に乗り込んでいて、とんでもなく騒音がひどいと聞かされていたという。
ワイラーはあまりに騒音がひどいので聴力を失い、一度は監督生命が絶たれたかと思われたというエピソードには驚いた。
フランス・ドイツの境界にある生まれ故郷のアルザスを訪れたら村人はナチスに連行されたのか逃げたのか、誰もいなくなっていたというエピソードも息をひそませる。

「サン・ピエトロの戦い」でジョン・ヒューストンが巧みなセミドキュメンタリー調の演出で撮った映像を実写だと思い込んでいたスピルバーグはあとでやらせと聞いてがっかりしたと語る。
スティーブンスがパリ解放の会談が暗すぎて映らなかったので、外に出て撮影し直した。
やらせと真実性の問題。

ヨーロッパ戦線に従軍していたジョージ・スティーブンスは解放されたユダヤ人収用所を訪れて、カメラを使って記録する自分の役割を、プロパガンダから「記録しなくてはいけないもの」を記録することへと変えた。
それまでホロコーストはうすうす知られていても本当に知られるようになったのはその映像が公開されてからだ。日本の原爆も同じ。
記録され、人の眼に触れないと、ないのと一緒にされてしまう。記録・保存の重要さ。

フォードが撮ったノルマンディー上陸の実写はあまりにむごたらしいので、プロパガンダには使えなかった。内蔵が甲板にぶちまけられているカラーのワンカットが入る。
収用所の記録もそうだが、Netfixでは地上波では放映できないようなむごたらしい映像も放映される。それでもところどころ黒みが入ったりする。国によっても基準は違うらしい。

監督同士の確執があったこともあけすけに現代の監督たちによって語られる。

観客が望んだのは戦争の最新映像であって、軍は併映の短編として上映されるのを望んだ。

キャプラはプロパガンダとしてのナチスの「意思の勝利」を見てほとんどうちのめされたが、あれこれ考えた末敵国の姿を見せればいいという方針を固める。そしてさらにアニメを使ってわかりやすくする技法を採用し、軍にも観客にも大いに受け入れられた。
ディズニーとワーナーの両方のアニメ版と仕事したが、軍でしか上映されないので思い切った下ネタを使ったアニメを作るのには、より一般的で下世話な感覚のワーナーを選ぶ。
今見ると「汝の敵を知れ 日本」の人種差別的な描写、アニメでのメガネに出っ歯といったカリカチュアぶりはひどいものだが、番組としてきちんと指摘する。

記録とプロパガンダ、作家性と国策、戦場で見てきたものを作品として昇華する才能と使命感、などさまざまなテーマを豊富な資料と多彩な角度から迫るすぐれたドキュメンタリー。

戦争の前と後の映画と、戦争中の映画の質のレベルの違い。

これと同じテーマをおそらく日本でもできるはず。アーカイブ映像がどの程度使えるかわからないが。




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