死刑制度の最大のアキレス腱である冤罪で死刑を執行してしまったらどうするのか、というモチーフをどんと中心に置く。
そこからの発展させ方、そしてクライマックスが義理の弟と姿を現さない義父の女性に対する冷酷な態度(子供を平気でもぎとっていく)の扱いと相まってすごい盛り上がりを見せる。特に自動車の前面に置いたカメラの長回しの効果。
ヒロインが勤めるのがパック牛乳の製造工場で、娘や招待した男にも牛乳を出す。それが何か人に命のもとを与えているような象徴的なニュアンスを狙っているのだろう。
二回にわたって登場する刑務所の庭の真ん中に白い牛がおり、左右に男女が分かれて群れているというイメージカットがそれを補完する。
日本の裁判制度だと(日本に限らずだろう)被告の妻が担当判事を知らないというシチュエーションはありえないので、イランでの法制度での死刑判決を下すまでのプロセスがどういう風になっているのかと思った。
ややわかるようには描いているのだが、総体としてはわかりにくい。
国が人を冤罪で死刑にしていいのだったら、個人は私刑で仇をうっていいのではないかという論理につながる。
日本で死刑が廃止されないのは仇討ちが復活するかもしれないからだ、という説を昔、星新一のエッセイで読んだことがある。
およそ日本では死刑廃止は論議されないのだが、その理由としては国民の大勢として、
1.冤罪の可能性をあまり考えない
2.国が代理として人を殺した奴は殺すべきという応報感情を満たすのを求める
3.国を対象化して考えず、自己と一体化して考えることが多い
といった理由が考えられる。