prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「12人の怒れる男」

2009年04月29日 | 映画

もとのドラマが良く出来ているのだから、舞台をニューヨークからロシアにしたって大きく外れることはないだろうと思ったら、これがなんと大ハズレ。

場所や人物設定を変えたのはいいとして、陪審員がその権限と立場を越えて犯人と目されたチェチェンの少年に「同情」して「救おう」とするのは、やりすぎ。そんなのは、陪審員が関わるべきことではない。神のようにすべてを見通せる人間などいないという法の精神をひっくり返してしまった。
もともと、あのドラマは被告が真犯人ではないと立証しているわけではない。ただ合理的な疑いがあるのを立証しただけだし、それで必要にして十分なのだ。

しかも、そういう法的逸脱、越権行為を監督のニキータ・ミハルコフ扮する陪審員長が突然すべてを見通したような口調で説くし、ラストの字幕からしても作者たちは結構本気で訴えているみたい。しかし、本気でチェチェン問題描くのだったら、別の映画にするしかあるまい。

こうなるとロシアの「民主主義」ってどうなっているのか、気になってくる。人種差別主義者が大声でわめきちらすのがうっとうしく、オリジナルみたいに一泡ふかせる場面がないのも、リアルなのではなくドラマのカタルシスがないだけだ。

1時間36分のシドニー・ルメット版に比べてなんで2時間40分もかかるのか、一時間以上かけて何描いているかというと、チェチェン情勢が挿絵的に入るのと、それぞれの人物が自分のバックグランド(映画の創作)についてながながとセリフで説明するのとで、だから社会的な厚みが出るかというと逆。画面に出したことしゃべったことしか見えなくなり、かえって薄っぺらになった。

ラストカットの人間の腕をくわえた犬は明らかに黒澤明の「用心棒」の引用。だけど、黒澤は一瞬見せただけですぐひっこめたよ。あんなに焼けただれた腕を長々とは見せなかった。
(☆☆★★★)