敵について

 「幸いなことよ。
  弱っている者に心を配る人は。
  主はわざわいの日にその人を助け出される。
  主は彼を見守り、彼を生きながらえさせ、
  地上でしあわせな者とされる。
  どうか彼を敵の意のままにさせないでください。」(詩41:1-2)

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 テレワークの日々が続いている。
 通勤もなく1人で仕事ができて理想の環境と思いきや、これが違う。
 仕事に入り込むことがとても難しいのだ。
 週1回ほど出勤するとき、30人いるセクションは自分も含めて5人ほどしかいないのだが、それでもひとけがあって、すっと仕事に入り込める。不思議なものだ。

 その5人ほどというのは、8割出ないようにするために管理職が作成した勤務表に従って出勤しているのであるが、当たり前のことだがその5人の中には嫌なやつもいる。
 上の詩でいうところの敵といっていい。
 この前なんかは、お互い口一つ聞かなかった。腹が立ってしょうがない。

 テレワークの日々が続いて、もう一つ気づいたことがある。
 1人で居続けるので、種々の刺激がなく頭が全く働かない。これは同僚から聞いて、確かにそうだと気づかされた。本当に頭が動かない。
 そこで気づいたのが、口一つ聞かない敵というのもネガティブな刺激を与えてくれるのだから、実は必要不可欠なものなのではないだろうか。
 仮に、自分の好ましい人しか周りにいなかったとしたら、そこは黙示録の最後にあるような天国だ。天国は素晴らしいところだと思うが、今、私がいるのは、この現実の世界だ。
 この現実においては敵はいるものであり、しかも敵はネガティブであるからこそかえって頭を動かしてくれているのかもしれない。
 もしもこの世の天国だったら、あっという間に呆けてしまうだろう。それは本当の天国に行ってからでいいと思う。

 上の詩に出てくる敵であるが、詩篇を最初に読んだときには、敵がやたらと多くて、かなり違和感を感じた。
 しかし、今読み返してみると、敵はいなくなってしまえというのはあまりないような気がする。
 むしろ、敵は敵として、その敵から守ってくださいというのが多いだろう。
 神が私を造ったのであれば、敵もまた神が造ったのである。
 できることの限られたテレワークのこのしょうもない期間の中で一番の収穫は、現実を生きる上での敵のありがたみだった。

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 健やかな一日をお祈りします!

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