事は成就した

 「そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
 また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。
 勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」(黙示21:3-8)

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 大きな苦しみの後に、事は成就する。
 神と共に住む者たちと第二の死を受ける者たちとに二分される。
 このことは、公生涯でのイエスが何度も私たちに伝えている。

 この世では涙を流すことの多かった者に対しても、神は慈しんでくださり、私たちの涙をすっかりぬぐい取って下さる。
 違う言い方をすると、少なからぬ者にとってこの世は涙の谷、嘆きの谷なのだということを意味する。
 そうは感じない者たちが少しいて、彼らは世を謳歌している。
 私たちの涙や嘆きは彼らによって引き起こされることがきわめて多いから、彼らは神にどう取り扱われるだろう。

 大切なことは「乾く者」であるということだ。
 言い換えると、涙の谷、嘆きの谷にいて、この神を慕い求めている者のことである。
 求めれば与えられることは、イエスが約束している。

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