アダムの園の回復

 「もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、
 神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。
 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。」(黙示22:3-5)

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 そこでは、しもべである私たちはもっぱら神に仕える喜びにあふれる。
 キリストを介した、この神と私たちひとりひとりとの関係が、ここでのすべてであるかもしれない。「のろわれるものは何もない」のだ。
 ここでは私たち人間の罪深い肉は、脱ぎ捨てられている。
 だから、人から死は、もうなくなるだろう。
 死なない、ということは、生殖の必要もまた、ないだろう。
 性別自体がないかもしれない。
 少なくとも、陰部をイチジクの葉で隠す必要を感じなくなるだろう。

 まっくらな夜もない。
 不安も恐怖も、もはやない。
 私たちのこの肉はなくなりもはや疲れないので、休んだり眠ったりする必要もない。
 眠って夢を見るのとは違い、ここが夢なのだ。
 その中で、私たちおのおのは、万物の創造主である神に仕える喜びを味わい続ける。
 これは人間にとって、アダムの園の回復を意味する。元に戻れるのだ。

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