悩む者への恵み

 「主はご自身を恐れる者と親しくされ、
 ご自身の契約を彼らにお知らせになる。
 私の目はいつも主に向かう。
 主が私の足を網から引き出してくださるから。

 私に御顔を向け、私をあわれんでください。
 私はただひとりで、悩んでいます。
 私の心の苦しみが大きくなりました。
 どうか、苦悩のうちから私を引き出してください。
 私の悩みと労苦を見て、
 私のすべての罪を赦してください。」(詩25:14-18)

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 引き続き、ダビデによる25篇。

 全ての者はアダムの故に、罪にまみれている。
 悩む者も、何も悩まない者も、等しくそうである。
 詩人は、ひとり悩み苦しみ、「私の悩みと労苦を見て、私のすべての罪を赦してください。」と神に懇願する。
 じっさい、神は悩み苦しむ者にあわれみをかけられ、そうでない者には目も掛けない。罪の自覚が皆無の者に、あわれみは掛けようがない。

 心の苦しみの大きい者、苦悩のうちにある者にこそ、神は救いの手を差し伸べてくださる。
 具体的には罪の赦しだ。
 新訳時代の今は、キリストの十字架と復活とによる救いの契約が、その罪の赦しをもたらす。
 主は、ただ恵みによって、悩む者にその契約を伝えてくださる。
 それも、その悩みが頂点に達したときにこそ、聖書越しに直接知らせてくださるのである。
 それはおそらく、聖書を通読した回数とは何の関係もない。

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[おことわり]
 更新が滞ってしまっていますが、しばらくこの調子が続くものと思われます。
 土日祝はできるだけ更新しますが、平日は難しいです。
(昨日土曜は、疲れで一日中寝てしまいました。)
 申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

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