イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
旧約と新約
「どうか、悪者どもや不法を行なう者どもといっしょに、
私をかたづけないでください。
彼らは隣人と平和を語りながら、
その心には悪があるのです。」(詩28:3)
---
「旧約の枠」でゆくと、上の一節のようになる。
悪者は悪ゆえに片付けられ、律法に照らして善を行う者が救われる。
これは旧い契約である。
だが、人となったキリストは、悪人扱いを受けていた取税人達を訪ねていった。
取税人達は自らの罪深さを嘆き悲しみ、救いを切に求めていたからではないだろうか。
一方で、旧約の原理で動くパリサイ人は、自らは行わないのに他人に律法を強要する。キリストと彼らパリサイ人とは、激しく対立する。
本来律法は、およそ全ての者が悪であり罪人なのだ、という地点にまで突き落とす。
そこまで好き落とされて初めて、人間は罪を自覚する。
そしてその罪は既に、キリストの十字架と復活によって清算されているのだ。
これが新しい契約である。
肉の罪を認めざるをえなくなるのに、悪人も不法な者も王様もない。
救いの門は、恵みによってどの人にも開かれている。
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私をかたづけないでください。
彼らは隣人と平和を語りながら、
その心には悪があるのです。」(詩28:3)
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「旧約の枠」でゆくと、上の一節のようになる。
悪者は悪ゆえに片付けられ、律法に照らして善を行う者が救われる。
これは旧い契約である。
だが、人となったキリストは、悪人扱いを受けていた取税人達を訪ねていった。
取税人達は自らの罪深さを嘆き悲しみ、救いを切に求めていたからではないだろうか。
一方で、旧約の原理で動くパリサイ人は、自らは行わないのに他人に律法を強要する。キリストと彼らパリサイ人とは、激しく対立する。
本来律法は、およそ全ての者が悪であり罪人なのだ、という地点にまで突き落とす。
そこまで好き落とされて初めて、人間は罪を自覚する。
そしてその罪は既に、キリストの十字架と復活によって清算されているのだ。
これが新しい契約である。
肉の罪を認めざるをえなくなるのに、悪人も不法な者も王様もない。
救いの門は、恵みによってどの人にも開かれている。
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