イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
復活のイエスに会う喜び
「あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。」(ヨハネ16:22-23)
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復活のイエスに会うことについて。
復活のイエスに会った人は、もはやイエスに何も問わない。
いっさいを了解するからだ。
そして、それゆえに私たちの心に喜びがわきあがる。初めて体験するほどの強い喜びに満たされる。
その強い喜びはやがて収束してゆくのだが、喜びの種火とでもいうべきものが灯り続ける。
世であくせくやっていると、実に様々な困難に出会うしいろいろな感情に襲われる。
アダムの肉を持つ者としてしかたのないことだが、そうしたさ中にあっても、この喜びの種火が消えることはない。
イエスを介して御父に支えていただいているのである。求めていたものが、与えられたのだ。
私たちの祈りは、常にかなえられている。
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[一版]2014年 9月28日
[二版]2017年 6月17日(本日)
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その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。」(ヨハネ16:22-23)
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復活のイエスに会うことについて。
復活のイエスに会った人は、もはやイエスに何も問わない。
いっさいを了解するからだ。
そして、それゆえに私たちの心に喜びがわきあがる。初めて体験するほどの強い喜びに満たされる。
その強い喜びはやがて収束してゆくのだが、喜びの種火とでもいうべきものが灯り続ける。
世であくせくやっていると、実に様々な困難に出会うしいろいろな感情に襲われる。
アダムの肉を持つ者としてしかたのないことだが、そうしたさ中にあっても、この喜びの種火が消えることはない。
イエスを介して御父に支えていただいているのである。求めていたものが、与えられたのだ。
私たちの祈りは、常にかなえられている。
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