天という資産

 「また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。」(1ペテロ1:4)

---

 天に蓄えられている資産とは、何だろう。
 それは天に行きそこで報われるという事に他ならない。

 天に行くことができるというのは、確信というよりは自明の理の類のもので、根拠を伴っている。
 その根拠とは、キリストの十字架と復活だ。
 キリストの復活があるから、その罪なき肉の死と復活に恵みによってあずかった私たちは「いのち」をいただくことが叶い、それで終わりの日にもこころ安らかなのである。

 それはもはや自明のことなので、朽ちることも消えることもない。
 また、汚れようもない。
 どんな逆境であっても天が見えなくなることはない。むしろ逆境の時にこそ、その希望が強い支えとなる。

 十字架と復活は私たちに、このような資産を与えてくれる。
 その資産はほかのものとは交換不能であるから、お金では手に入らない。
 労働、行ないによっても、手に入らない。
 それは神の御恵みによってのみ、与えられる。

---

 よろしければクリック下さい。
にほんブログ村 哲学ブログ キリスト教・クリスチャンへ ブログランキングへ

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 福音の全て 悲しみと喜び »