イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
古い神殿と新しい神殿
「さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。
偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、
言った。「この人は、『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる。』と言いました。」(マタイ26:59-61)
---
大祭司邸にて。
イエスは多分、かねがね言っていたと思う。
「わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる。」
神殿、ということばの解釈問題なのだろうが、この私刑状況ではまともな話し合いが行われるはずもない。
(付言すると、イエスの道にある者は、このような私刑にも遭う。あらゆることに遭う。)
神を崇める、ということについて、今までは律法を文言解釈した上でそれをすべて遵守すれば足りる、という考え方であった。
ときには律法をねじまげることもした(マルコ7:10-12)。
これでは、崇めるどころか、自分の利益のためにかえって神を利用してしまっている。
これは御利益宗教にすぎない。
神は、自分の幸福のために都合よく働いてくれる全能の僕でしかない。
今までのこの神殿は、誤った方向性で運営されていたため、壊さなくてはならなかった。
イエスが三日で建てた神殿というのは、そうではない。
恵みによって与えられた「いのち」の素晴らしさに神を崇める、そういう本来的な神殿である。
なぜ神を崇めるのかというと、神がアルファでありオメガであって全てを運行されるお方であると気付いたからに他ならない。
御子は肉を十字架に張りつけて肉を殺し、しかも三日目に復活する。
罪が宿る肉に赦しを与えるイエスの業が、三日で成し遂げられた。
罪に気付かず御利益宗教をやっていた古い神殿はイエスによって壊され、その罪の赦しが恵みによって与えられて神を崇める本来的な新しい神殿が三日で建て直された。
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偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、
言った。「この人は、『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる。』と言いました。」(マタイ26:59-61)
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イエスは多分、かねがね言っていたと思う。
「わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる。」
神殿、ということばの解釈問題なのだろうが、この私刑状況ではまともな話し合いが行われるはずもない。
(付言すると、イエスの道にある者は、このような私刑にも遭う。あらゆることに遭う。)
神を崇める、ということについて、今までは律法を文言解釈した上でそれをすべて遵守すれば足りる、という考え方であった。
ときには律法をねじまげることもした(マルコ7:10-12)。
これでは、崇めるどころか、自分の利益のためにかえって神を利用してしまっている。
これは御利益宗教にすぎない。
神は、自分の幸福のために都合よく働いてくれる全能の僕でしかない。
今までのこの神殿は、誤った方向性で運営されていたため、壊さなくてはならなかった。
イエスが三日で建てた神殿というのは、そうではない。
恵みによって与えられた「いのち」の素晴らしさに神を崇める、そういう本来的な神殿である。
なぜ神を崇めるのかというと、神がアルファでありオメガであって全てを運行されるお方であると気付いたからに他ならない。
御子は肉を十字架に張りつけて肉を殺し、しかも三日目に復活する。
罪が宿る肉に赦しを与えるイエスの業が、三日で成し遂げられた。
罪に気付かず御利益宗教をやっていた古い神殿はイエスによって壊され、その罪の赦しが恵みによって与えられて神を崇める本来的な新しい神殿が三日で建て直された。
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