死を心底恐れる神

 「それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。「わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」
 それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。
 そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」
 それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」(マタイ26:36-39)

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 ゲッセマネ。

 人間誰しも、死ぬのは恐い。
 今、ゲッセマネで、死を目前にしたイエスが、ひどく狼狽し恐怖に取り付かれている。

 では、その恐怖はどこから生じているのか。
 肉である。私たちと同じ肉である。
 肉をまとった神の子イエスは私たち人間同様、死を恐れるのである。

 イエスはこの直後、十字架に架けられる。
 神の子イエス、大祭司イエスは、自らの体験があるので、私たち肉を持つ人間の恐れ苦しみをよくご存じなのである。
 肉の弱さを知悉する神。
 だから、私たちがどれだけ恐れようと下手を打とうと、イエスはどこまでもあわれみ深く、その私たちを恵みによって罪の救いに導こうとされる。

 今度は私たちの番で、イエスがこのようにして切り開いた道によって、恵みにより「いのち」によみがえるのである。

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