植わった木

 「その人は、
 水路のそばに植わった木のようだ。
 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
 その人は、何をしても栄える。

 悪者は、それとは違い、
 まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。」(詩1:3-4)

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 東に騒ぎあればすぐさま東に飛び行き、南の群れを見いだすや乗り遅れまいと群れに混じる…。
 あるいは世渡り上手というのかもしれない。
 根がない、というか、まさに「もみがら」だ。

 「水路のそば」というのは土が軟らかいと思うのだが、そういうところにがしっと根を張る「植わった木」。
 一本、芯があるといえばよいだろうか。
 私はこういう人間になりたい。

 根は水路の土手が崩れることを防ぐ。
 木の実を喜んでもぎ取る人がいる。
 そして葉でできた木陰で人は一息つく。
 こういうのをこそ「栄え」というのだろうと、私は思う。

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[お断り]
 本日の記事の初出は2007年5月10日、筆を入れて同年9月14日に再掲し、今回再度筆を入れて再掲しました。

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