御子を信じる者とは

 「御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
 そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。
 悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。
 しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。」(ヨハネ3:18-21)

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 真理を行う者か、それとも悪いことをする者かは、イエスを信じるかどうかによる。
 悪いことをする者はやみを愛する。イエスという光を避け、イエスが与えようとするいのちを拒み、生きているようで実際には死んでいる者である。
 しかしイエスを信じる信仰は、自ら選ぶのではなく、イエスによって与えられる。「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない」(ヨハネ3:8)のであり、信仰するのではなく信仰させられるのである。このときイエスからいのちを与えられ、死人が息を吹き返す。
 すべての基準は御父と御子によるのであり、すべての権限もまた御父と御子にあるのである。

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 健やかな一日をお祈りします!

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