クリスチャン

 「ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、
 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。
 あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」(1ペテロ1:18-21)

---

 「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々」。
 この人々をキリスト者、つまりクリスチャンと定義づけた方が、使徒行伝の一節によるよりもより適切だろうと思う。
 この一文には十字架と復活が不足なく備わっているからである。

 「傷もなく汚れもない子羊」が、罪深い私たちの身代わりに十字架に架かって死に、そして三日目によみがえって現れたイエス。
 このイエスに出会って「いのち」を受けて新しく生きる人がクリスチャンである。
 だから、クリスチャンになるというより、クリスチャンにさせられるという方が近い。
 自力、金銀、行ないでどうこうなるものではなく、ただ恵みによる。
 恵みによって、むなしかった生活からこの新しい生活へと切り替わるのである。

 だから、他人からその様をどう呼ばれるかということは、信仰の有無とはまったく無関係なのである。

---

 よろしければクリック下さい。
にほんブログ村 哲学ブログ キリスト教・クリスチャンへ ブログランキングへ

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 悲しみと喜び キリストの道... »