ほんとうに求めているものは何か

 「姦淫してはならない。」(出エジプト20:14)

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 この「姦淫してはならない。」について、イエスは山上の説教の中で、次のように言っている。
 「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」(マタイ5:28)
 私は、しばしば情欲をいだいて女を見るから、最初この聖句に接したときのショックはとても大きなものがあった。
 このように、律法は自分の罪を罪と気付かせるためのものだ。

 この罪深さというのは、自身の内面への責めである。
 この責めによってイエスと同様に死に、イエス同様復活する。
 そして御父に義と認められて、御父と和解でき、魂に安らぎが訪れる。
 だからこそ、罪を罪と気付かせる律法はすばらしい。

 今はまさに姦淫の世だ。芸能ニュースには、その手のものがあふれている。
 知らずに姦淫して、そして罪の苦しみを感じることもない。
 彼らはきっと、魂のやすらぎよりも刺激そのものを求めているのだろうと私は思う。
 本当の満足感がないので、刺激でごまかし続けているのであろうか。
 どちらがいいのかよくわからなくなってくるが、自分にとってどちらがいいのかは明白だ。

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[一版]2019年 8月 4日
[二版]2021年11月21日(本日)

 健やかな一日をお祈りします!

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