間違いのある神

 「イエスはこのたとえを彼らにお話しになったが、彼らは、イエスの話されたことが何のことかよくわからなかった。」(ヨハネ10:6)

---

 イエスのしたたとえ話は、どうも理解されなかった。そこでイエスは話を仕切り直す。
 受肉した神イエスは、間違うこともあるのである。
 間違うこともある神、というよりもそれは肉を持つ者の不完全さの顕れなのだろう。
 まして、アダムの肉の子孫である私たちが間違いひとつないなど、あるはずがない。

 いったい今まで私は、どれだけの間違いをし続けてきたことだろう。どれだけ多くの人を傷つけ、悲しませたことだろう。
 それにもかかわらず、周りからどれだけ許され続けてきたことだろう。
 だが私には、どうしても許すことのできない人が1人いる。
 こんな私の大きな間違い、どうにもならなさをも、イエスは理解してくださる。ご自身にも間違いのあった神なのだ。
 そして完全な存在である復活のイエスは、ただ恵みによって私を救ってくださった。
 上に書いてきたことからして、私が救いに預かるような者とは到底言えないにもかかわらずである。

---

[一版]2017年 5月 7日
[二版]2019年 1月 5日
[三版]2020年11月22日(本日)

 健やかな一日をお祈りします!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )