イエスの肉への誘惑

 「さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
……
 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、
 言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
 すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。」(マタイ4:1,8-11)

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 ヨハネからバステスマを受けて、人間と同じ肉を持っていることを、イエスは自ら明らかにした。
 その「人間イエス」の肉に、誘惑が次から次へと襲いかかっている。

 私は「悪魔(サタン)」とは何かがよくわからないのだが、ともかくその悪魔が「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」とイエスを誘惑する。
 私たち罪深き人間だと、この種の誘惑には常に乗せられてしまう。日々乗せ続けられている、と言ってもいいほどだ。
 私たちの肉は、神の国よりも、「この世のすべての国々とその栄華」の方に目が行ってしまうのである。
 「すばらしい値うちの真珠を一つ見つけ」るまでは(マタイ13:46)、肉がこのマモニズムから離れることはできないだろう。

 罪なき肉を持つイエスは、そんな私たちと違い、悪魔のさまざまな誘惑に乗せられることはない。そもそも誘惑にはなっていないだろう。
 この、罪のない肉、誘惑に載せられることのない肉を持つイエスが十字架に架かって、私たちの身代わりになる。
 そのことによって、私たちは罪赦される。
 この罪深い肉が処分されるのであるから、まさしく「すばらしい値うちの真珠」なのである。

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[一版]2010年 4月 4日
[二版]2015年11月 8日(本日)

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