いのちを与える光

 「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:4-5)

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 「いのち」を与える光、それは確かにこの闇の中を通っている。
 「やみはこれに打ち勝たなかった」。
 聖書はもっぱら、そのことを約束するために編まれたものだといえる。
 光とは、ここではイエスを例えている。
 イエス・キリストが放つ「いのち」を与える光は、どんな闇にあっても消えることがない。

 その光は、探そうとして探すことのできる類のものではない。
 恵みによって当たったときに、はじめてそうとわかる。
 だから、光を探し続ける忍耐というより、光という恵みを待ち続ける忍耐が信仰ではないかという気もする。

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