WALKER’S 

歩く男の日日

22日目 5月15日

2009-07-18 | 09年四国の旅

 5:56
22日目が始まる。今日の距離は今年の旅で一番長い46.5km、しかも札所が6つもあるから、本当なら6時前に発ちたいところだけれど、この朝食を見逃すことは容易にできない。向こうのビニール袋はお接待のせんべいやキャンディが入っている。生涯4度目の納豆(内3回がこの宿のもの)は昨年、一昨年と違って、違和感を全く感じることなくしっかり味わうことができた。3年できっちり自分のものにすることができたようだ。


 6:09
食事が終わる頃、コーヒーが運ばれてくる。だから、少々発つのが遅くなっても朝食をはずすことはできない。ゆっくり味わうことができないのは残念だけど、それでもしばしリッチな気分に浸ることができる。昨年まで2食付き5000円だったけれど、今年は5500円に値上がりしていた。それでも、十分すぎるほどのコストパフォーマンスだと思う。道後からここまで27km、そして次の仙遊寺宿坊まで30km、これ以上の選択肢はないような気がする(普通のお遍路にとって)


 6:31
6時16分に宿を発つ、15分で今治市にはいる。今は松山市と今治市は隣接しているけれど、数年前までその間に北条市と菊間町と大西町があった。これからしばらく旧菊間町を歩く。


 6:37
トンネルを避ける道もあるけれど、短いので中を歩く。


 6:56
菊間の中学生は皆挨拶をしてくれる、でも自転車で追い抜きざま急に声をかけるので、ウワッ、とびっくりさせられてしまう。挨拶を返す余裕もないくらいだった、二人にびっくりしたけれど、3人目は用心していたのできっちり返すことができた。


 7:01
菊間の町に入っていく600mくらい手前の所に新しいお接待処ができていた。少し気になったけどまだ1時間も歩いていないのでスルーするしかなかった。


 7:07
2回目から3年連続でお世話になった宿、こちらに泊まると今日の行程がずいぶん楽になるけれど、素泊まりが4500円とちょっと高いのでコスタブランカに乗り換えてしまった。


 7:42
菊間から延命寺までの間に国道を離れる脇道が4つある。本当はこの2kmくらい前にも青木地蔵までの脇道があったけれど、その後半部分は精油所の敷地内で消失してしまった。前半部分は一度歩いたけれど、少し遠回りになるので、もう歩かない。この脇道は簡単には入れない。国道の歩道が左にあるので、右側に入る遍路標識はとても見えにくくなっている。


 7:56
最後にちょっとした峠を越えて国道に合流する。向こう側にすぐ脇道2が見えている。


 8:00
脇道2が国道に合流するところで旧大西町に入る。


 8:09
こちらも意識していないと入れないことが多い、国道の左側からだとなかなかこの標識は気がつかない。事実、このすぐ先の所で国道を歩いている人を見たことがある。


 8:17
800mほどでまた国道に合流する。


 8:19
 国道から一段低いところへ下っていく、この道も何人かに一人ははずす可能性がありそうだ。ぼくも最初の時少し行き過ぎてから気がついた。


 8:45
一番長い脇道が国道に合流するところにコンビニがあった。買い物はしないけれどトイレを借りる。脇道を全部歩くと菊間のコンビニからここまで10kmの間にトイレが全くない。4つ目の脇道を行かなければ国道沿いに公園やコンビニはある。心得ていないとちょっとした難所になる可能性もある。


 8:56
昔の大西町と今治市の境。ここまで来ると延命寺も近い。


 9:10
ここから500mくらい先に左に入るへんろ道があるけれど、なかなか入れない。ぼくは3回か4回はずしている。1度うまく入れたのに翌年はずしたということもあった。


 9:15
この手前を左にはいる、前よりは判りやすい遍路シールも見える。


 9:18 延命寺
宿から18.6kmを177分で到着、昨年より6分遅れ。昨年が6.5km、今年は6.3km。確かに出だしは食事の直後だったので体は重かった。
 納経所の若い坊さんは超高速の墨書、おそらく88ヶ所一のスピードと思われる。早すぎるのもありがたみが薄いような感じがしたけれど、団体が来るとこの早さが生きてくる。必要に迫られた早さだといえる。
 3時間休みなしに歩いてきたからゆっくり休めばいいようなものだけれど、今日は長いし札所も多いので、納経のあと水を補給してすぐ発つことにする。


 10:08 南光坊
南光坊までの間に大谷霊園があってその階段を登るみちがはずしやすい。太い舗装道路が右側にカーブして登っていくから、その手前でいきなり階段を登るとはあまり考えにくいようだ。ぼくも1回目2回目ははずしたし、はずしている人を見たこともある。でも今回その階段の登り口にこれでもかというほど多くの遍路標識が付いていた。それだけ今まではずす人が多かったということだろう。これではずす人は・・・、でも意識が前に向いていたら気がつかない人も希にいるかもしれない。
 例年通り33分で到着。足の調子は伊予の国に入ってから全く問題はない。いくらか遅くなるのは撮影のロスタイムが大きい。この間は1枚も撮らなかった。
 納経所の年輩の坊さんはとても気のいい人で、一人一人に声をかける。ぼくが納経帳を手渡すと、「栃木から?」「いいえ姫路です」「さっき栃木の人が二人続いたんでね、さらに続くことがあるんだよ」栃木の人はコペンおじさんだ。納経帳の最後のページを確認して住所氏名を書いておくようにと注意された。なくすことはないと思うけど、尤もなのでその場で書き入れた。納経所の前のベンチで軽食を摂る、お参り、納経を含めて30分の休憩。


 10:55
民家の庭先に建っている不動産会社の事務所、5年前ここでコーヒーを飲ませて貰った。


 11:07 泰山寺
 3.1kmを28分、例年と同タイムで到着。
 ぼくが納経して貰っている間中、そのすぐ横でわんこが寝そべっている。ぼくが納経料の三百円を差し出すと、その上でじゃれ始めた。納経所ではいつも緊張して直立不動だけれど、その仕草を見ていると自然に緊張がほぐれていく。納経が終わるともう一匹が現れて、二匹並んで受付の所に並んでいる。ここは納経帳を提出するところであり、墨書御朱印を頂くその上、でも不謹慎という感じは全くしなくて、かわいいから全部許せてしまう。


 11:25
休憩なしで泰山寺を11時23分に発つ。泰山寺を出て50mで左へ折れるあぜ道がある・・・はずだったけど?それが10倍近い幅のある農道に変貌しようとしている最中だった。なぜだ、と言いたかった。せっかくの雰囲気が台無しな上に、この広い道の用途が全く見えなかった。


 11:26
工事中の農道は100mくらい、そのあとは前のままのあぜ道が続く。100mだけの農道、ますますその意味が分からない。


 11:45
栄福寺の手前には二つの道がある。八幡神社の山越えの道は昔の白黒の地図に赤線はなかった。距離的には大差ないようだけど、登り下りが大変なのは判っていたので今まで気にもかけなかったけど、四元さんがこの道を歩いたので、歩かないわけには行かなくなった。


 11:48
初めての道には遍路標識シールは一切見えなかった、確信の持てないまま石段の下に到着、四元さんが登っていたのはこういう感じだったからたぶん間違いないと思う。


 11:49
前の写真ではこの石段がどれだけ急角度か判らないので、こういう写真で証明。45度まではいかないけれどそれに近い急斜面であることが判る。こういうものすごい急坂を登ってまで遠回りをするへんろ道はあり得ないという感じ、白黒地図が正解だと思う。


 11:58
神社の上へ登ってから、下へ下りる階段はすぐ前にあったのに、社の方へ行ってしまったので、下りる道がわからず山の中へ入ってしまった。山の中をぐるっと回ると下り階段の前へ出てきた。思わぬ遠回り、これだから初めての道は怖い。迷った分も含めると泰山寺から35分かかる。例年より8分遅れ、迷っていなかったら4分ぐらい遅かったと思われる。
 お参り、納経に15分、水屋で水を補給して休憩なしで出発。


 12:15
栄福寺を出るとすぐ、これから登る山の上に仙遊寺の宿坊が見える。


 12:31
だいぶ高いところまで登ってきたので、しまなみ街道、来島海峡大橋を見ることもできた。


 12:38
栄福寺から2.1kmを25分、例年より1分遅れで仙遊寺に到着、到着といっても山門から境内まで標高差45mのものすごい階段を登らねばならない。でもタイムチェックは終わっているのでこの登りは人が言うほどぼくには苦にはならない。余裕を持って登るから滞在時間はかなり長くはなってしまうけれど。
 お参り、納経のあと建設に1億円を要したという自慢のトイレを使わせて貰い、その横のベンチで軽食を摂る。でも休憩は5分ほどですぐ発つことにする。この時間であと16kmも残しているのでゆっくりする気にはなれない。再び山門まで下りてきたのは30分後だった。


 13:59
いつもは仙遊寺から3.4km、国道196号の交差点にあるローソンで食料を仕入れるけれど、ローソンはぼくの希望する袋菓子を置いていないので、予讃線を越え、頓田川を渡ったところにあるこのコンビニで買うことにする。この先には買う場所がないのでもしこのコンビニがつぶれていたら大変なので、早めに買うことにしていたけれど、宿のそばにも新しいコンビニができたので、ここまで我慢することができた。例によってパン3つとかりんとうと芋けんぴを購入。大体これくらいの熱量で動けているので迷うこともなくなってきた。そして、このすぐ先の国分郵便局で明日の納経料のための百円玉10枚をおろす。明日の札所は5ヶ所。


 14:14 国分寺
仙遊寺から6.1kmを57分(正味歩行時間)、ベストより1分遅れで到着した。昨年は記録が出なかっただけに少し意識したけれど、やはり下りの山道は思い切れない部分もあったようだ。
 ここから宿まで10km休めないので、納経のあと軽食を摂って少し休憩する。車遍路の人がお大師さんと一緒に写真を撮って欲しいというので、シャッターを押してあげた。握手はしなかった。ぼくも、7回もここに来て一度も握手をしていない。毎年通しで四国を歩くことができて、それ以上のなにを望めばいいのかと思う。


 14:37
国分寺を出たすぐの所にあるタオル屋さん、昨年タオルハンカチを頂いた。今年はそれを使わせて貰っている。今年も声をかけられるかと思ったけど、お兄さんは店の中だった。声は聞こえていたけどね。


 14:54
1回目の時はこの駅まで歩いて、電車で今治まで引き返して、駅前のホテルに泊まった。少し先には湯ノ浦温泉があるけれど、当時は今の地図を持っていなかったので、そういう宿があることは知らなかった。知っていたところで温泉の宿は料金が高いから泊まる気になれなかったとは思うけれど。湯ノ浦の付近に安価な宿があれば今でも泊まりたいと思うけれど、ないので仕方なく46kmも歩くことになる。この少し手前で、国分寺を先に出た年輩の男性を追い抜いた。彼はかなり足を痛めているような感じだったから、湯ノ浦までかもしれない。


 15:19
この道の駅の手前、国道に合流するところで、野宿の人を追い抜く。こちらは大分速く元気そうだった。


 15:32
国道を離れ予讃線の踏切を渡る。


 15:34
踏切を渡り、今治小松自動車道をくぐると、西条市に入る。ここから宿までは静かな道が続く。1日の最後を楽しみながら歩ける。


 15:58
農道を抜けて三芳の町に入った所で下校中の小学生が大きな声で「こんにちわぁ~」と叫びながら駆け抜けていった。もちろん同じくらい大きな声で挨拶を返す。1日の最後に気持ちのいいお接待を頂いたという感じがする。心の中が暖かくなる。


 16:07
今日の宿はへんろ道から外れたところにある。ここを左折して三芳駅方面へ向かう。


 16:14
国分寺から10kmを96分、例年より1分遅れだった。誤差の範囲で満足。今日は出足以外はほぼ例年通りの快調な歩きができた。
 敷島旅館は5回目の投宿、ぼくにとってはここ以外は考えられない都合の良い宿だけれど、普通のお遍路はあまり利用することがないようで、5回泊まってお遍路の同宿は一人だけだった。多くの人は仙遊寺の宿坊に泊まって、栄屋旅館まで行き、そこから横峰を目指す。栄屋から横峰を越えると次の宿まで23km、敷島旅館からだと29km、山越えのこの距離は相当ハードになる。
 玄関に置き手紙があった。「外出中なので、左の部屋に入って下さい」ということだった。前にも同じことがあった、でも従うことはできない、1階の部屋は4200円、2階の部屋は3500円なのだ。昨年は予約の時に2階をお願いしたけれど、今年は忘れていた。しばらくして、女将さんが帰宅、2階の方がいいのですが、と言うと快く受けて貰えた。女将さんは足の具合があまりよくなくて、1階の方が都合がよかったようだけど。1階の部屋に用意されていたお茶のセットは自分で持って上がる。


 16:41
お風呂の用意をして貰っている間に、お接待の豆御飯が運ばれてくる。おかずはインスタントのお吸い物だけだけれど、ぼくにとっては十分なごちそうだ。洗濯も出しておくだけで物干し、取り込みまですべてやって貰える。この宿はお遍路が泊まる機会は多くないはずだけれど、普通の遍路宿以上に遍路宿だと言ってもいいくらいだ。

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