WALKER’S 

歩く男の日日

7日目 (2) 佐喜浜のスーパー

2008-06-15 | 08年四国の旅
 国道をしばらく行くと、喫茶店のドアが開いて女性が声をかけてくれる「雨の中たいへんでしょう、がんばってね」ガラス張りで中からぼくの姿が見えたのでわざわざ出てきてくれたようだった。急なことだったので「あっ、はい」と答えるのがやっとだった、でもすごく嬉しい、本当に力が湧いてくる。普通のお接待以上のお接待だと思った。
 8時過ぎに雨は完全にあがった。海南の遍路小屋には鍵がかかっていた。ただ、鍵の手前の部分にもベンチがあって屋根もあったのでちゃんと休むことはできた。鍵がかかっていなければトイレと水道が使えるようになっている。パンをひとつ食べて、靴下を履き替える。しかしこれが裏目に出ることになる。皮膚が柔らかくなっているところに、乾いた靴下の繊維がすれて一番力のはいる中指の付け根のあたりが痛くなってくる。一番まずいパターンだ、4年前も室戸岬の手前で同じ事があった。遍路道との合流点、海部駅で手洗いと水の補給をすませる。例年ここで休憩するけれど、今回はすぐに出ていく。時間は全く同じだった、距離は短いけれど坂道があるので順当な結果だろう。
 次の休憩地、宍喰の遍路小屋の少し手前にあるコンビニで食料を仕入れる。本当ならずっと先の東洋町の役場近くのコンビニで買うのだけれど、昨年廃業していた。この5年で遍路道沿いのコンビニは10軒ぐらいつぶれている。地図に載っていても決して信用できない。宍喰の遍路小屋には同タイムで到着、寒いので15分の休憩であわただしく出ていく。トンネルを抜ければ土佐の国だ、でも足が気になって完全に意識の中から抜け落ちてしまっていた。当然写真も撮れなかった。甲浦を過ぎると前に女性二人が歩いている。この先の旅館はロッジおざきか徳増、まだ23km以上ある。今11時だから休みなく歩いても5時になる、6時までには着かないだろう。おそらく雨が止むのを待って旅館を出たに違いない。海部を7時半に出ていればもっと先に行っていなくてはおかしい。そんなことを考えている間は足のことは忘れている。生見を過ぎ、トンネルを抜けると野根の街だ。ここを過ぎるとしばらく人里はない。野根橋から2km先の遍路小屋には意外にも今までの最高タイムで到着した。気温が低いので体力の消耗が少ないのかもしれない。例年のように明後日の宿、香南市サイクリングターミナルに予約を入れる。ここでも13分の休憩、朝出るのを遅らせたのでゆっくり休んでいられない。
 室戸市に入るまでに4人の男の人を追い抜く。ここからだと4時くらいには徳増、ロッジおざきに入れる時間だ。佐喜浜小学校入木分校の側にあるバス停に着いたのは、2分遅れ。ちょっと油断したか、35km以上歩いたので燃料切れを起こしたか。16分の休憩で2時5分に出発、宿まであと7kmだから3時過ぎには着くはずだ。

7日目 (1) どしゃ降りで写真撮れず

2008-06-14 | 08年四国の旅
 夜半過ぎからひどいどしゃ降りだ。警報が出ているに違いない。7日目にして初めての雨がこのどしゃ降り、運がいいのか悪いのか。出発予定の6時になっても全く弱まる気配がないので、30分遅らせることにする。6時半になっても弱まった感じはほとんどないけれど、これ以上遅らせることはできないので、仕方なく出発することにする。女将さんが見送りに出てくれる。「来年もまた来てね」と何度もお願いされる。
 ひどい雨だけど傘1本で歩き始める。風がないのでさほど歩きにくいことはない。別格4番鯖大師までは4.4km、1分遅れの43分で到着、この雨を考えればまずまずの出足だ。靴の中もほとんど濡れずに来たけれど、さすがのゴアテックスもこれだけの降りだと1時間以上保たないだろう。
 鯖大師の納経所は本堂の隣だけど人はいない。しばらく待ってもどうにもならないので寺務所へ行く。そちらの方に住職がいて記帳できるようにもなっていた。「雨でたいへんやねえ」とまず声をかけていただく。御影と花曼陀羅シールと一緒に金運のお守りを頂く「これを財布の中に入れておくといいからね、気をつけて」と最後にも声をかけてくれる。「ありがとうございます」丁寧にお礼を言って寺務所をあとにする。お寺を出る頃には靴の中はぐっしょり濡れていた。2kmちょっと歩くと遍路道と国道の分岐点だ。ぼくの持っている地図では遍路道の方が近道であると書いてあるけれど、現地の標識には国道の方が近いと書いてある。ぼくは地図の方を信じて2回目から5回目まで遍路道を歩いたのだけれど、細かく測定してみたら、国道の方がわずかだけど近かった。それで今回は5年ぶりに国道を行くことにした、海南駅の近くに遍路小屋があるので、そこで休憩することにする。

6日目 (3) 民宿あづま

2008-06-13 | 08年四国の旅
 宿に入る前に牟岐駅の電話ボックスで明日と明後日の宿に予約を入れる。昨日は全く電話ボックスに出会うことはなかったし、今日は薬王寺でかけるべきだったのが、あわただしく出発して忘れてしまった。佐喜浜の徳増、奈半利の山本旅館、いずれも受け付けて貰える。
 民宿あづまは昨年に続いて2度目の投宿。昨年は素泊まりだったけど今回は夕食付きで泊まる。食事が相当良いことをネットで見ていたからです。女将さんは車で5回も88カ所を巡っていて遍路にはとても親身になってくれるので、今回も食事を断るのは失礼になるという気持ちもあった。食堂の入り口は開いていたけれど誰もいない、昨年も同じだったから慌てずその場に座って待つことにする。15分もせずに女将さんと旦那さんとおばあちゃんがそろって帰ってきた。向かいのスーパーが定休だったので、車で食料を仕入れに行っていたそう。坂口屋から来ると言うから、こんなに早く着くとは思っていなかった、と半ばあきれ顔。昨年と同じ2階の広い角部屋に入れて貰う、荷物の整理をしていたら、すぐに風呂の用意ができましたと声がかかる。いい遍路宿の条件は何時についてもすぐにお風呂に入れること。洗濯、乾燥も無料、操作の仕方が判らないので全部お世話になる。
 食事の用意ができて下の食堂に下りていくと、おばあちゃんが、自分は足が悪くて高野山に行けないから代わりにお賽銭にして、と200円を手渡して南無大師遍昭金剛と唱えながらぼくに手を合わせて拝んでくれた。恐縮してぼくも手を合わせる。四国を歩くということはやはりお大師さんがいつもいっしょにいるのだと、思い知らされる。自分に全くその気がなくても、地元の心ある人はそう見ている。歩かせて貰う以上それだけの自覚と責任をしっかり持たねばと改めて思う。
 食事は評判通りすごく良かった。まず、自家製の梅酒、アルコールを口にするのは4ヶ月ぶりくらいだ、すごく美味い。食欲がかき立てられる。刺身は鮪とイカとハマチ、このハマチはぼくが日頃食べているものとは全然違った。変な油っぽさがなくてしっかりした歯ごたえで魚の旨みも感じられた。そしてさらに美味かったのが鰯の天ぷらだ。こんなに美味い鰯は食べたことがないといってもいいくらいだ。この鰯を食べただけでもこの夕食は大満足。あと天ぷらはイカ、かぼちゃ、椎茸、さつまいも。ほかに卵豆腐、煮物、キュウリの酢の物、シジミ汁、デザートは苺と琵琶。おかわりしたけど、しなくても十分すぎるくらいでした。夕食付き6000円。2食付きだと6500円。

 6日目の歩行距離 42.4km
       歩行時間 6時間55分
       平均時速 6.13km

6日目 (2) 山頭火

2008-06-12 | 08年四国の旅
 平等寺で、残しておいた最後のパンを食べる。これで薬王寺までの20kmを歩かねばならない。手洗いで水500ccを補給して出発。国道に出る5kmの間に4人の歩きの人を追い抜く。彼らは山茶花かみゆき荘を出た人だと思われる。薬王寺までなら20km、その次の宿だと35km歩かねばならないからそこまで行く人はいないはずです。
 国道に上がって最初のトンネルを抜けたところにある遍路小屋に着いたのも2分遅れ、自覚症状はほとんどないけれど、やはりまだ疲れが残っているのか。遍路小屋に自作の遍路宿情報30部を残していく。これで800g荷物が軽くなる。次の休憩地は4.5km先のバス停、ここまでもやはり2分の遅れ、今日は1日これくらいのスピードしか出ないかもしれない、とはいっても時速6.35kmは出ているから目立って遅いということもないのだけど。
 薬王寺のすぐ手前のローソンで食料を仕入れる、41時間ぶりだ。あと15km歩くための燃料を確保する。薬王寺までも2分の遅れ。都合27kmで8分の遅れになった。時速にすると、昨年が6.25km、今年が6.07km。
 薬王寺でお参りを済ませ、昼食を摂ったあと、ベンチで休んでいたら知らずの内に眠りこけてしまった、予定の休憩時間を10分オーバーして12時30分、今日の宿牟岐に向けて出発する。牟岐までの15kmの間に適当な休憩所はない。遍路小屋は5kmまでの所にあるので、とてもそんな所で休んでられない。だから1回目と2回目は歩道に座って休んだけど、3回目から5回目は一度も休まず15kmを歩き抜いた。今回も休みを入れるつもりはなかったけれど、7kmぐらいの所に思いがけず休憩所ができていた。手作りのベンチに屋根も付いている。おまけに谷川の水がホースで引いてきてあって飲み放題だ。10分の休憩でまた歩き始める。牟岐に着く1km手前で歩きの人を追い抜く、牟岐で泊まる人は珍しい、彼は民宿杉本の方へ歩いていった。牟岐駅前の交差点に着いたのは3時9分、驚いたことに昨年より早く、今まで一番早かったときと同じタイムでした。栄養と休養がようやく効いてきたのか、あるいは昼過ぎから曇って気温が上がらなかったからか。

6日目 (1) 平等寺の接待所

2008-06-11 | 08年四国の旅
 夕方から雨の予報だけれど、朝は快晴。昨日の夕食はパン1個、今朝はチーズ3個とチョコしか食べていないのでなんだか力が出ない。昨日は山の中ばかり歩いていて、食料を買える場所が全くなかったのだ。マメはカチカチになっていたものの歩き始めると痛みを感じるようになった。峠越えの山道は昨日までのようにいかない。何となく体が重い、下りに入っても足首から下が安定しなくて思い切りよく下ることができず、おそるおそるという感じがつきまとう。里に下りてすぐ接待所のテントがあった。もちろんこの時間(7時)なので人はいなくてお接待もして貰えない。平地に下りてからは相当がんばったものの平等寺へは2分遅れで到着。食事が不十分でタイムが出なかったのは初めて、これもひとつの教訓です。

5日目 (3) 太龍寺の額縁

2008-06-10 | 08年四国の旅
 鶴林寺は車遍路の人でにぎわっていた。11時過ぎだから金子やから来た人はすでに太龍寺に向かっているだろうし、立江寺を出た人はまだここまで来られないはず。歩きの人はまずいないだろうと思っていたら、井戸寺で会った野宿の若者がいた。あのときアドバイスしたとおり今日は太龍寺下の道の駅で泊まるという。太龍寺までどれくらいかかるかと訊かれたので、3時間前後、道の駅までは1時間半前後と答えたら、それならもう出発しなくてはと、納経所の方へ急ぎ足で行った。ぼくはゆっくり40分の休憩、11時50分に出発する。
 鶴林寺からの下りは急な山道が続く。膝の負担が大きいけれど、今回は比較的順調にこなすことができた。橋の手前の遍路小屋で休憩を入れる、例年だと休みは入れず一気に登ってしまうけれど、今日は時間の余裕がある。20分ほどまどろむ。休みを入れたせいか、太龍寺への登りは快調、細かい休止を度々入れながらも今までの最高タイムで到着。
 太龍寺でお参りを済ませると、まずすることがある。写真の額縁から鶴林寺の塔を眺める。昨年までこの額縁はなかったはずだけれど、とにかくあんな遠いところから、こんなに深い谷を、2時間もかからず下って、登ってきたことが本当に信じられない。我ながらよくやったなあと感慨にふける。例年だとあと4km下るだけだけれど、今回は初めて舎心ヶ嶽に登る。ロープウェイ駅の所から700m、標高差70m、大したことないと思っていたのですがどうしどうして、御宝号を唱えながら登るように書かれてあったのですが、最初の2~3回で完全に息が上がって声など出せたものではない。今日登ってきた3つの山と同じくらいきつい。おまけぐらいに思っていたのが大間違い、完全に4つ目の山だったのです。そして、そこにお大師様がおられました。写真や、映像、切手などで何度も見ていたのですが、想像以上に近いところにおられました。その存在感の大きさにしばし立ちつくす。
 舎心ヶ嶽で予想以上に時間がかかってしまいました。太龍寺では都合56分の滞在になり、予定していた3時に宿に着くことはできなくなってしまいました。でもこの下りは、非常に快適でした。調子のいいのがはっきり実感できる、4つの山を踏破してきた自信が漲っているという感じ。しばらく行くと登ってくる人がいた、慈眼寺の手前ですれ違った人だ、歩きの人がこの道を登ってくるわけがないので、どうしたんですか、と訊いたら、「鶴林寺で、車のお接待を受けたのよ、何回も断ったんだけれど、あまりにしつこくいうからこの下の坂口屋さんの所まで乗せて貰ったの、まあこれもご縁だと思うしかないよね」と苦笑混じりに言われました。今日は仕方ないからロープウェイ駅で泊まる、ということでした。車のお接待というのは本当にありがた迷惑です。でも、歩きにこだわらず、乗り物を使いながら歩いている人も多いので、本当にありがたいという人も結構いる。だから総て否定することもできないのです。
 坂口屋さんに着いたのは3時14分、4年ぶり2回目の投宿です。前回は本館2階の角部屋だったのですが、今回は新館。新館には個人風呂が二つあるけれど、本館の大浴場にも入れるというので、迷わず本館に行く。洗濯、乾燥機無料。6畳、布団は敷いてくれるが、4年前と同様当番の人が来る前に自分で敷く。素泊まり3000円。山登りの疲れか8時半に就寝。

  5日目の歩行距離 31.2km
        歩行時間 6時間26分
        平均時速 4.85km

5日目 (2) 鶴林寺の鶴

2008-06-09 | 08年四国の旅
 本堂でお経をあげ、程なく境内へ下る。穴禅定をする団体の人が次々登ってくる。車で巡っている人は、穴禅定より、この坂道の方がよほどたいへんな修行だろう。境内に下りると、団体の人は総て上に行って閑散としている。大師堂でお経をあげ、すぐ隣の納経所へ向かう。納経所の天井に近いところの壁面にかわいい絵が3枚飾ってあった。さっき送迎バスで下りていった園児が描いたものに違いない。それだけで、いいおじいちゃん、いい住職、いい納経所だということが判ろうというもの。その通り、記帳が終わって「ありがとうございました」と言うと、「お気をつけて」と声をかけてくれた。ぼくの前に記帳して貰っていた自動車遍路の人にはそういう風に声をかけなかったから、ぼくが歩いているのを判ってのことだと思われる。
 境内でパンをひとつ食べ、トイレで水を補給する。太龍寺まで水を補給できるところはない。本堂への登り下りが予想以上に時間がかかったので休憩もそこそこに下り始める。それでも滞在時間は50分近くになった。下りはさらに軽快な足取り。スピードの乗りやすいちょうどいい具合の傾斜が多い。宿の近くにある銀行で休憩をとるつもりにしていたけれど、その少し手前にちょうどいいバス停があった。バス会社の事務所のようなものがあってターミナルのようになっている。トイレと水道もある。20分ほどの休憩で最大の難所鶴林寺へ向かう。鶴林寺は500m、それ以上高い山はあるけれど、この山は休みどころがない。1時間半急な山道が続く、焼山寺の最後の登りよりも時間も標高差も大きいのだ。今回はいつも登っている道とは別の道を登ることになる。別とはいっても、標高差は同じだからしんどさに変わりはないはずだ。行程が全く読めないだけに精神的な負担は大きくなるだろう。勝浦川を渡ってすぐ右へ折れる、500mほど行くと登り口だ、遍路標識も目立つところに立っていた。時間の比較をしなくていいので焦らずゆっくり登ることにする、息が上がれば立ち止まる、10歩歩いて10秒休憩、それくらいしないと先へ進めない。半分くらい登ったところで、前を行く男の人が見えた。慈眼寺の登りですれ違った人だ。「早いなあ」と決まりの一言をかけられる。山の上で泊まったんですか、と訊くと「慈眼寺を少し下りてきたところに小屋があったのでそこで泊まらして貰った」ということでした。予想通り全部野宿で巡るそうです。
 鶴林寺の山門が見えたのは登り口から50分、金子やの所から登るのとほぼ同じ時間でした。

5日目 (1) 慈眼寺の大師堂と納経所

2008-06-04 | 08年四国の旅
 昨日の不運を嘆いていても始まらない、今日は500mの山を三つも登り下りしなくてはならないのだ。別格3番慈眼寺は初めてなので、別の緊張感もある。5時30分に宿を出る。大きく育った左足小指のマメも朝のうちは固まっている。昨日は山登りがなかったので足の調子も良い。昨日慈眼寺に登ってきたという同宿の人の話によると、「ふれあいの里さかもと」から先は、標識が要所にあって全然迷うことはなかった、ということだったのでさほど心配していなかったのですが、「さかもと」の手前のV字路のところで、迷った上、違う道を選択してしまった。地図を出して確認していれば絶対間違わなかったはずだけに、少し落ち込む。でも、あの分岐点にひとつ標識がありさえすれば誰も地図を確認することなく迷わずに済む。88カ所のへんろみちでは、それが当たり前になっているので、どうしても地図を出すのに消極的になってしまう。13分ほどのロスで、気を取り直して「さかもと」へ向かう。「さかもと」から先は、確かに標識は多く、全く迷うことはなかった。山道の傾斜もそれほどきつくなく、最初のうちはフラットなところも多い。最後の自動車道に出る手前のところで、大きな荷物を背負った男の人が下りてきた。まだ7時過ぎだから、山の上で野宿したのであろう。
 自動車道に出てしばらく歩いていると、幼稚園の送迎バスが登っていく。こんな山の上に何の用事があるのだろうと、首をひねっていたら、しばらくして引き返してきた車中を見ると、幼稚園児と小学生が乗っていた。そうか、お寺の子供を迎えに来たのだ。あとで地図を確認してみると、慈眼寺は上勝町にある、上勝小学校は慈眼寺からたっぷり4kmはある。しかも標高差は400m。中学生でも、自転車を使ってもこの通学は相当無理がある。
 ロスした13分を除くと、慈眼寺まで9kmの道のりを1時間50分で到着、ほぼ予定通り、と思いきや境内には大師堂と納経所はあるものの、本堂が見あたらない。きょろきょろしていたら、女の人が、どうしたの、と声をかけてくれた。あの~本堂は、と言うと、「上、上」と左の方を指さす。もしやして、穴禅定と同じ所にあるのでは、だとしたらあと100m登らねばならない。穴禅定はしないつもりでいたので最後の100mは登らずに済むと思っていたのが大間違い、結局標高650mまで登ることになった。この100mがここまでの山道で最も険しい坂道だった。コンクリート舗装され、手すりも整備されているけど傾斜はすごくきつい。たっぷりもう一汗かいてようやく本堂に到着。右手には穴禅定の入り口、厳かな空気が張りつめている。思わず岩壁の方に向かって手を合わせる。ご本尊は岩壁の中に安置されているのだ。そのご本尊の前でお祈りをするのが穴禅定という修行なのだそうである。

4日目 (2) 恩山寺

2008-06-03 | 08年四国の旅
 二軒屋までは一昨年より早く来ることができたけれど、恩山寺までは調子が出ない。まだ昼前だけれど相当気温が上がっているようだ。国道に出る道を間違えてしまった。2年前に一度来ただけとはいえ、方角を失うなんて考えられない事だ。おかしな事はこれだけではなかった。恩山寺に着いたのは2分遅れ、ちょっとショックを受ける。休憩の時水を飲んだら気管に入って大いにむせかえる。井戸寺でお接待して貰ったおにぎりを気管に入れたのがまだ響いている。涙がポロポロこぼれてグラスをはずす。そのはずしたグラスをベンチにおいたまま、歩き始めてしまった。忘れたのに気がついたのは山道に入ってしばらく行ったところ、距離にすると300mくらいだけれど、このダメージは大きかった。でも、グラスなしで歩けるわけないし、宿は予約しているし、気力を振り絞って戻るしかなかった。
 立江寺まではさすがに気落ちしたか1分の遅れ、お参りのあと境内の電話ボックスで明後日の宿、民宿あづまに予約を入れる。そのあとベンチで休憩していると、隣にいた年輩の女性が、牡丹がきれいに咲いたねぇ、と声をかけてくれた。本当だ、それまでは全く目に入っていなかった。時間ばかり気にして、歩くことだけに懸命になっていた。

  4日目の歩行距離 42.2km
        歩行時間 6時間35分
        平均時速 6.41km

4日目 (1) 二軒屋

2008-06-02 | 08年四国の旅
 朝から快晴、今日はさらに暑くなりそうだ。今日はフラットな所ばかりで、距離は昨日と同じくらいだけど、時間は1時間以上少なくて済む。楽だと思ったときに落とし穴が待っている。宿を6時に出発。昨日の疲れはすっかりとれて快調な出足、予定通り常楽寺に23分で到着。納経が始まっていないこの時間には誰もいない、と思いきや、二人の女子中学生が境内の掃除をしていた。自主的にやっているのだろうか、それとも当番で決まっているのだろうか、いずれにしてもこんな早い時間にするというのはちょっと理解できない。
 国分寺へも予定通り7分、観音寺へは1分早い17分で到着、さらに調子が上がってきた。境内にはぼく一人、落ち着いてお参りすることができる。井戸寺へも予定通り25分、ここまで来ると車遍路の人を含め、境内はにぎわっている。水屋の横のベンチに大きなリュックがおいてある、野宿遍路に違いない。お参りが終わって戻ってくると、そこに若い男の人が座っていた。話を聞くと、やはり全部野宿で巡るということだった。荷物の重さは14kg、ぼくの倍だ、とても考えられない。それだけの重さだと下りの時の負担は相当なものになる。彼はへんろみち保存協力会の地図を持っていなかった、コンパクトなガイドブックの地図を見ていた。
 井戸寺から恩山寺までは18km、2回の休憩を入れるのが普通だと思うけど、ぼくは1回で済ます。中間地点にあるのが写真の二軒屋駅。徳島の市街地では適当な休憩所は見あたらない。コンビニの前にベンチはない。そこでようやくみつけたのがこの駅。屋根があって、ベンチがあって、トイレもあって、自動販売機もある。理想的な遍路小屋です。