WALKER’S 

歩く男の日日

5日目 (1) 慈眼寺の大師堂と納経所

2008-06-04 | 08年四国の旅
 昨日の不運を嘆いていても始まらない、今日は500mの山を三つも登り下りしなくてはならないのだ。別格3番慈眼寺は初めてなので、別の緊張感もある。5時30分に宿を出る。大きく育った左足小指のマメも朝のうちは固まっている。昨日は山登りがなかったので足の調子も良い。昨日慈眼寺に登ってきたという同宿の人の話によると、「ふれあいの里さかもと」から先は、標識が要所にあって全然迷うことはなかった、ということだったのでさほど心配していなかったのですが、「さかもと」の手前のV字路のところで、迷った上、違う道を選択してしまった。地図を出して確認していれば絶対間違わなかったはずだけに、少し落ち込む。でも、あの分岐点にひとつ標識がありさえすれば誰も地図を確認することなく迷わずに済む。88カ所のへんろみちでは、それが当たり前になっているので、どうしても地図を出すのに消極的になってしまう。13分ほどのロスで、気を取り直して「さかもと」へ向かう。「さかもと」から先は、確かに標識は多く、全く迷うことはなかった。山道の傾斜もそれほどきつくなく、最初のうちはフラットなところも多い。最後の自動車道に出る手前のところで、大きな荷物を背負った男の人が下りてきた。まだ7時過ぎだから、山の上で野宿したのであろう。
 自動車道に出てしばらく歩いていると、幼稚園の送迎バスが登っていく。こんな山の上に何の用事があるのだろうと、首をひねっていたら、しばらくして引き返してきた車中を見ると、幼稚園児と小学生が乗っていた。そうか、お寺の子供を迎えに来たのだ。あとで地図を確認してみると、慈眼寺は上勝町にある、上勝小学校は慈眼寺からたっぷり4kmはある。しかも標高差は400m。中学生でも、自転車を使ってもこの通学は相当無理がある。
 ロスした13分を除くと、慈眼寺まで9kmの道のりを1時間50分で到着、ほぼ予定通り、と思いきや境内には大師堂と納経所はあるものの、本堂が見あたらない。きょろきょろしていたら、女の人が、どうしたの、と声をかけてくれた。あの~本堂は、と言うと、「上、上」と左の方を指さす。もしやして、穴禅定と同じ所にあるのでは、だとしたらあと100m登らねばならない。穴禅定はしないつもりでいたので最後の100mは登らずに済むと思っていたのが大間違い、結局標高650mまで登ることになった。この100mがここまでの山道で最も険しい坂道だった。コンクリート舗装され、手すりも整備されているけど傾斜はすごくきつい。たっぷりもう一汗かいてようやく本堂に到着。右手には穴禅定の入り口、厳かな空気が張りつめている。思わず岩壁の方に向かって手を合わせる。ご本尊は岩壁の中に安置されているのだ。そのご本尊の前でお祈りをするのが穴禅定という修行なのだそうである。