サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

音の心

2008-02-03 | ロシアコラム
S先生のお誘いを受けて、来日ロシア人研究会の定例会へ。
いつもながらバラエティに富んだ興味深い発表の数々。
なかでも、戦前ニコライ堂で聖歌指揮者を務めたポクロフスキー氏が
ロシア語の聖歌を日本語に訳すにあたっていかに苦労したか、
というMさん発表のお話が面白かった。
いわく、ロシア語では重要な言葉が語尾にくる。
そのため語尾を強調するようなメロディがつく。
なのにそれをそのまま日本語に訳すと語順が転倒。
「○○なり~」「なり~」と意味のない言葉が強調されてしまう。
そこでポ氏はさまざまな工夫を凝らしたという……。

そうそう!そのとおりなり~!
歌詞の大意は伝えなければならない。
けれど音そのものにも、その音でなければならない意味がある。
当然、先行させなければならないのは音である。
ここ1年ほど子供音楽スタジオ「ヴァルシェブニキ・ドヴァラ」の
歌を訳してきて、常々そう感じていたので、
先人のご苦労に共感すること大であった。

さて定例会後の懇親会では、若いロシア人夫妻と同席。
プロコフィエフの日記や小説を訳していることを話すと、
「プロコフィエフといえば『ピーターと狼』!
学校の授業でやりました。それぞれのパートを聞いて、
何をイメージするか答えるんです」と美人の奥様。
その授業がひどく印象に残っているらしいのだが、
「音を聞かせて子供たちに自由に想像させる」という
指導のしかたはいかにもロシア的。
日本でも音楽の授業で『ピーターと狼』が題材になることはあるが、
のっけから「これはピーターの旋律、これは狼」と
説明して終わってしまうのが関の山ではあるまいか。
音楽は解説するものではなく感じるもの。
ここが日露の教育の分かれ目だ。

さまざまに、「音の心」について考えさせられた夜だった。
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