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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

壁の時計のミステリー

2010-12-11 23:44:52 | Weblog

                 【この時計が夜中に突然…】


 昨日から札幌へ戻っていて、今日はプライベートな用足しの一日。天気予報では大荒れになりそうだったのが、それほどでもなくて助かりました。

 さて、札幌の家の寝室には壁掛け都計をかけているのですが、ある夜もう遅くなった時間に寝室の照明のスイッチを入れると、この壁掛け都計の秒針がぐるぐると狂ったように回っています。

 しかもその早さは5秒で一回転するくらいのスピードで、とても通常の時計表示ではありません。これが明かりをつけた瞬間に見えたのです。

 ポルターガイストのような心霊現象かと背筋にぞ~っと悪寒が走り、思わず辺りを見回しましたが特に幽霊の姿が見えるわけもなく、ただ不気味さが残りましたが、こんなことがこれまで何度かありました。

    ※    ※    ※    ※

 時計はなにかの記念にもらったもので、よく見ると電波時計でした。時間が狂わないはずだと思っていたところ、ネットにも同じような現象を不気味に思う人がいたようで、掲示板になぜかを相談している人がいました。

 その答えは「電波時計と言っても一日の間の狂いをある時間帯に電波を拾って調整をするので、そのときをみたのではないでしょうか」というもの。

 (ああ、そうか。なあんだ…)と思ったのですが、それが明かりをつけた瞬間に当たる確率というのはどれくらいだろう…、と思うとこれまた逆に背筋が寒くなる思い。

 こんなことってあるのでしょうか。もっともあるからこそ、その現象を見ているのですが…。
   
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幼子の旅立ち

2010-12-10 23:46:01 | Weblog
 水産課から連絡があって、養魚を育成中のソイとマツカワカレイの放流があるとのこと。これは見に行かねば、ということで大楽毛(おたのしけ)にある漁業協同組合の中間育成施設へ出かけてきました。


                 【中間育成施設は案外小さいのだ】


 施設の中では組合や道庁の人たちが出て、まずはプールで育成していた魚の平均体長と平均重量を測定中。魚自体何匹いるのか分からないので、まずは50匹ほどの平均体重を量り、あとは全部の魚の目方を量ることでプールの中の魚の数を推し量ろうというのです。


                 【ソイの稚魚のプール】


                 【稚魚の体長と体重を量ります】


 マツカワカレイの方は真っ黒な魚体で体長はおよそ10センチほど。稚魚でも姿はしっかりカレイの形をしているのでかわいらしいもの。なんだかペットとして飼いたくなってしまいますが、これが体長40センチ以上にもなるのですからとても水槽では飼えません。

 カレイにもババガレイ、ヤナギガレイ、ソウハチ、マツカワなど何種類もあって、ババガレイは煮付けに最適で、逆にマツカワは刺身の高級魚。釧路へ来るまでカレイのことなんて真剣に考えたこともありませんでした。世の中は広いなあ。

    ※    ※    ※    ※ 

 この日の放流は最初にソイで約一万匹くらいと、トラックの水槽に入れられるだけのマツカワで始まりました。

 育成場から車で五分ほどの砂浜近くまでくると、今度はタンクからバケツリレーのように穴あきのカゴにソイをいれて砂浜まで人力手渡し運搬です。


                 【ソイのバケツリレーは人海戦術】


 今日は釧路の冬らしい青空でしたが波は高め。それでもドライスーツを着た担当者がリレーで受け取った稚魚たちを最後は腰まで海に入りながらそおっと海に放します。

 波が高くて浜辺に打ち上げられてしまう魚もいましたが、元気に海に放たれて自然に立ち向かう稚魚にエールを送りたくなりました。

    ※    ※    ※    ※

 ところで、聞くところによると先週見学に行った新釧路川でのししゃもの捕獲作業では結局メスが上がって来なくて、今年はそれ以上の漁をあきらめたのだとか。

 オスは数が獲れたのですがメスが予定に達しなかったため今年は二箇所ある養魚場のうち一箇所だけを稼働してここで自然孵化させることにしたのだそうです。

 もはや漁業もいる魚を捕るだけの産業ではなく、自然相手の厳しい戦いのようです。

 今日のソイとマツカワの幼子達も大海原へ旅立って、やがて立派に大きくなって帰ってきてくれと祈る気持ちになりました。 



                 【大きくなって帰って来いよ~】 
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イメージカラーはオレンジ色

2010-12-09 23:48:06 | Weblog
 最近名刺の台紙を変えました。

 (社)釧路青年会議所が開催している「くしろ夕日フォトコンテスト」というイベントがあるのですが、これに応募した作品の中では市長賞を出すことになっていました。

 市長賞をとった写真は、市長の名刺に使われてあちらこちらに配られることになってそれがある種の顕彰のしるし。

 その選定のときに市長と一緒に写真を眺めていると、関係者から「もし気に入ったのがあったら版権は主催者側にありますので名刺を作ってはいかがですか」と言われたのです。

 それはありがたいと改めて素敵な写真を探してみつけたお気に入りがこの一枚。




 釧路へ赴任した当時は、道東のまちなのだから朝日が有名ならわかるけれど、夕日がきれいということがなかなか理解できませんでした。

 しかし地図をよく見ると、釧路川が河口付近でぐっと西側に曲がって太平洋にそそぎこむために、幣舞橋から下流を見ると西側をみることになるのです。

 また西を向いているだけではなく、幣舞橋の四人の乙女の像やサンマ漁船の船影などの夕日に映える添景物がこれまた良くて、実に絵になる風景なのです。

 ところで夕日と言いながら、私が釧路で見る夕日のイメージは「オレンジ色がきれい」というもの。赤や紅ではなく、オレンジ色の太陽が沈んでゆくというのが実に釧路らしいイメージ。

 写真は幣舞橋にある佐藤忠良さんの「夏の乙女」の像がオレンジ色の太陽をちょうど手に受けるように捉えたもので、私としては強くこの写真に惹かれたので、これで早速名刺を作ったというわけ。

 現在この応募者の方に一応お礼のお知らせをしようと、どなたの作品かを調べてもらうようにお願いしているところです。早く見つかると良いのですが。

    ※     ※     ※     ※     ※

 釧路はそんなオレンジ色のイメージですが、私が愛用しているミニ湯たんぽとシャープペンシルがオレンジなのは全くの偶然。


                 【もともと持っていたオレンジグッズ】


 でもオレンジ色や黄色は私の好きな色でもあるのです。風水的にはなにか良いことがあるのでしょうか。

 イメージカラーを持つ町というのは結構素敵かもしれません。
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売ることと買うこと

2010-12-08 23:45:22 | Weblog
 日本はどう考えてもデフレの真っただ中です。

 デフレというのは、生産力(供給力)のほうが需要よりも高い時に物が売れなくなって価値が下がるということ。

 物が売れないという現象は、「物がたくさんあってもういらない」、「買うお金がない」、「買う気にならない」など多様な理由があって、「買うにしても安くなければ買わない」ということからどんどん物の値段=価値が下がるというサイクルになるとこれがデフレなのです。

 そんなことを考えている「物を買う=消費」に関する興味深い記事が二本あったのでまずはこれをご紹介します。


---------------≪ 以下引用 ≫--------------
【消費を悪と考える「嫌消費」世代が市場で台頭!】田島 薫  Diamond Online
 ~景気を低迷させかねない“買わない心理”とは~
http://bit.ly/e3JqtN

経済や歴史、世代論などあらゆる観点から「嫌消費」世代を論じた『「嫌消費」世代の研究』(東洋経済新報社・定価1575円)。バブル期に青春を謳歌したビジネスマンにとっては、まさに隔世の感がある 若者がモノを買わなくなった――。最近、時折耳にするフレーズである。ファッションも食も極力節約し、自動車も買わず、旅行にも行かず、せっせと貯金に励む……そんな若い世代が、消費市場の新しい主役となりつつある。

 そんな現象を裏付けるような書籍が、2009年11月に発表されている。「クルマ買うなんて バカじゃないの?」――帯文のそんな刺激的な惹句が話題となった『「嫌消費」世代の研究』(東洋経済新報社)がそれだ。発売以来、順調に版を重ねている。

 著者は、ジェイ・エム・アール生活総合研究所の代表である松田久一氏。長年、情報家電産業や食品などの業界で、リサーチやマーケティング、経営戦略などに携わってきた人物だ。

 本書によれば、「嫌消費」現象とは、「収入があっても、何らかの嗜好によって消費しない傾向」のこと。80年前後生まれ、現在20代後半の「バブル後世代」が「嫌消費」世代に該当するとされる。興味深いのは、彼らの中には低収入層の非正規雇用者だけではなく、しっかりした収入もあり、正規雇用者が多く含まれることが特色であるという。

 その普通の若者たちの「嫌消費」ぶりは、我々の想像をはるかに上回る。たとえば、インポートブランドよりも服はインターネット通販で買う、クーポンがないとカラオケやレストランには行かない、外食よりは1人でも家で鍋がいい、身体に悪いアルコールはいらない、といった具合だ。

 彼らはいかにして、このような消費性向を育んできたのか? それは彼らが成育した時代背景に密接な関係があるという、松田氏の指摘が興味深い。

 精神の自立の時期として重要な10代で、「阪神・淡路大震災」「地下鉄サリン事件」「いじめ自殺」「金融ビッグバン」などを経験。とりわけ「いじめ問題」は彼らに深刻な影を落とし、「目立たず、空気を読んで、できるだけ深く関わらず」暮らしていくことを余儀なくされた。彼らは、何より仲間からバカにされることを恐れ、周囲から「スマート」と思われたい願望が強いという。

 そんな意識が「上昇志向」や「競争志向」「劣等感」を醸成し、「他人の顔色を見て行動する」「無理をしても他人からよく思われたい」という意識に繋がる。こういった時代体験から、共通の世代心理が生まれ、未来や将来への漠然とした不安が広がり、消費マインドが抑制されるというのだ。

 この嫌消費世代の消費性向は、企業や社会にも大きな課題を提示し、日本経済全般にマイナスの影響を及ぼすことが懸念されている。たとえば、自動車産業の生産額の縮小に比例する雇用喪失分は、約1万3000人に相当するという。ただの節約とは違い、消費そのものが嫌いな彼らは、産業界の脅威にさえなり得る存在だ。

 その一方で、これまでの世代の過剰消費とは対極にある無駄のない「コンパクト」な消費スタイルが、海外の人たちの目には「クール」に映っているという著者の持論も、目を引くものだ。

 周囲の空気を読みながら上昇することを目指し、ネットワークを広げながら、競争社会でサバイバルして生きていく。そんな「嫌消費」世代が、日本の市場をどのように変えていくのか?

 ただのケチではない、「クールな消費者」としての新しい日本人像が生まれたように感じるのは、享楽主義のバブル世代である筆者だけであろうか?   (田島 薫)

---------------≪ 引用ここまで ≫--------------

 そしてもう一本


---------------≪ 以下引用 ≫--------------
【消費にも「正義」が求められる時代――これからの「消費」の話をしよう】竹井善昭 Diamond Online
http://bit.ly/fGvfdo

 それにしても「正義」が大ブームである。こんなものがブームになるとは、誰が予測できただろう? 言うまでもなく、ハーバード大学の超人気教授マイケル・サンデルの著書『これからの「正義」の話をしよう』のことである。

「正義」をテーマとしたこの哲学の本が、50万部を超えてまだ売れ続けている。今年の4月にNHK教育テレビで放送されて話題となった、同教授の講義風景を収録した番組「ハーバード白熱教室」がその火付け役。12月にはDVDも発売予定で、このサンデル人気、というか正義のブームはまだまだ続きそうだ。正直に言って、筆者も世の中の人がこれほどまでに「正義」について考えるようになるとは予想してなかった。

 しかし、考えてみれば、この「正義のブーム」と「社会貢献のムーブメント」は根底のところでつながっている。「社会貢献とは、正義を問うこと」でもあるからだ。自分の生き方や生活のどこに「正義」があるのか? 社会貢献とはそんな問いに答えていく作業でもある。

 アフリカの饑餓や感染症撲滅のために、あるいは勉強したくても読む本がない途上国に図書館を建てるために、寄付やボランティアをすることは自分自身の「正義」の存在証明でもある。「正義」とは決して形而上学(*)的なものではなく、僕らの日々の生活行動を決定するものである。だから、社会貢献のムーブメントは人々の消費行動にも「正義」を問いかける。それがいま話題の『エシカル消費』である。

* 実在する物事の存在を決定する根本的な原理を解明しようとする研究

「エシカル(ethical)」というのは、一般的に「倫理的」「道徳的」と訳されるが、これは日本語としては感覚的に分かりにくい訳語だと思う。むしろ、「そこに正義がある」という意味だと解釈した方がピンとくるかもしれない。『エシカル消費』とは、「そこに正義のある消費」のことである。

 たとえば、フェアトレード商品を買うことは、「生産者から搾取せず適正な価格で原料を購入することは正義である」という価値観に基づいた消費行動である。児童労働によって生産された服は安くても買わないという消費行動は、「児童労働には正義はない」という価値観に基づいた消費行動である。このように、「正義」を基準とした消費行動が『エシカル消費』である。

 日本ではまだまだ聞き慣れない言葉ではあるが、ロンドンでは2007年ごろからたいへんなエシカルブームになっていたらしく、当時の英エコノミスト誌の記事にも「ethical capitalism」とか「buying ethical」がどうのこうのとか、ethicalという単語が頻出していた。「ethical consumer」という雑誌も発売されている。日本では、ethicalというわかりにくい言葉のせいかいまいち理解されてこなかったが、今年になってようやく『エシカル消費』が広まってきた。

 (以下略)

---------------≪ 引用ここまで ≫--------------




 ところでアメリカのマズローという人が、人間の自己実現への欲求には段階がある、として、五段階で考えた、「マズローの欲求五段階説」というのがあります。


                 【マズローの五段階欲求】


 これを見ると、一番下層にあるのが生理的欲求で、食べたいとか寒いといった生きるための欲求が初めで次に安全を求め、つぎに社会的な欲求、そして自我の欲求、最も高いところに自己実現の欲求があるとされています。

 これなどと併せて、上記の記事を読むと、どうやら論点は「物を売る」ということから、「物を買う」「物を買ってもらう」という点で、買う人の視点に移っているようです。

 私としては、若年層の所得が減っているのが気になっていて、所得が少ないから余計な消費もしないし、せっかく買うのだから真剣に考えるようになっている、という単純なことではないか、とも思うのです。

 もっと使えるお金があれば、外食だってしたいし車だろうがバイクだろうが趣味だろうが使いたいことはたくさんあるのに、我慢した結果が消費を嫌ったり、使うときに自分を納得させる理屈を求めるという現象となって表れているだけではなのかもしれませんし。

 もっとも、生存や安全はおおむね社会が保証している日本なので、そこからより上位の認識になっている人が増えているのだとしたら、喜ばしいかもしれないのですが、「物が売れない」ということに変わりはないようです。

 売るために大切なことは、売る側にも、商品にも、買う側にも共感できるものが必要ですが、私はそれは「正義」ではなくて「誠実」だろうと思っていて、そこに微妙なニュアンスの違いが残ります。

 買う側の人間力がついてきたのかもしれない、と思うと、ちょっと面白いのですが。
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TPPに反対です

2010-12-07 23:45:45 | Weblog
 今日も12月議会一般質問の二日目。

 議員さんには時間の使い方にそれぞれ個性があります。与えられた質問時間の30分を一気に演説と質問に使ってしまう方や、まずはジャブを打って、二回目、三回目の質問で印象的なパンチを繰り出す方など様々です。

 答弁をする理事者側としては、一回目の質問は事前に質問通告があるので、用意ができるのですが、二回目、三回目は、一回目の答弁によって事前に把握できない質問が多いので、次に何を質問するのかに全神経を集中させることになります。

 質問であれば答弁をしなくてはならず、「答弁漏れ」は叱られてしまうのですが、中には質問と思って用意していると「これは意見です」で終わる方もいます。意見であれば答弁はいらないのですが、気を張っている分、気が抜ける場面でもあります。

    ※     ※     ※     ※     ※

 今日の質疑応答の中では、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に対する市長の姿勢が問われました。

 TPPは、原則として締結した多国間の間で農産物や水産物を含むすべての品目で原則関税を撤廃して互いの貿易を自由化するという協定です。

 日本では車や電子製品などを輸出するときには相手国に関税をかけてほしくないのですが、その逆に安い農産物が入ってくるのを防いで国内農業を守るためには海外の農産物に関税をかけてバランスを取っています。

 輸出産業を中心とする経済団体は、TPP協定に加わることを推進したがっていますが、逆にそうした産物の関税が自由化されるとなると、農業が大きな産業の位置づけを占める北海道にとっては大打撃です。

 道庁の試算では、仮にTPPが発行された場合の道内における影響額は約2兆1千億円でそのうち農業産出額では5千5百億円とのこと。

 そこから推計すると釧路市では農業での影響が約53億円となり、これは釧路市農業生産額70億円の75%に相当します。  

 議員さんはTPPに対して全員が反対ということですが、市長も当然反対の立場で行動をしてきています。

 こうした貿易の自由化は、一つには輸出産業と国内農業との産業間の分断を起こし、一方で関東や中部など輸出産業に長けた地域と北海道や東北など農業を主たる産業とする地域同士の分断も招きます。

 慎重なケアが必要に思うのですが、唐突に出てきたTPP話に地方は翻弄されています。これまた予断を許さない社会問題なのです。 
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がんばれ「あかつき」!!

2010-12-07 23:33:33 | Weblog
 今日一日中気になって仕方がなかったのが「金星探査機あかつき」のこと。

 今年5月に打ち上げられた「あかつき」は、五億キロという長い旅の目的地である金星に今日到着の予定でした。「あかつき」はものすごい勢いで金星を追いかけているので、金星の人工衛星としてとどまるためには一気に減速をして金星の引力圏内にとどまらないといけません。

 その一瞬のすれ違いチャンスを得られなければ、次に出会うのはもう不可能という状況だったのですが、なんと一時通信が不通になり、現在どうなっているかがわからない状態なのだとか。

 通信が不通と言っても、距離が離れているため逆噴射などは全て「あかつき」のプログラムによって自動的に制御されるはずなのですが、現在は余計なことをしない「退避姿勢」にあるのだとか。

 今は通信速度が遅いアンテナが生きているので、Jaxaではそれを利用して状況の把握に全力を挙げているとのこと。

 うむむ、がんばれ「あかつき」! はやぶさもその退避姿勢から何度も蘇っているのです。はやぶさのマインドを思い出すのだ! 世界中が応援をしているぞー!



【金星探査機あかつきの冒険】
  http://bit.ly/gEm8cc

【<あかつき>「退避姿勢」で航行】毎日新聞
  http://bit.ly/hXUNsT 
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思春期保健事業~守れ十代の性

2010-12-06 23:44:50 | Weblog
 いよいよ今日から12月定例議会の始まり。

 初日から5人の一般質問を受けますが、話題は障碍者福祉の問題から合併した町の今後の活性化方策、ゴミ行政の今後やTPPに対する姿勢を問うものまで幅が広い。

 さらに事業仕分けで「廃止」とされたものの今後の対応方針を問うものから市民協働に防災など、各議員さんが足で集めた地域の課題、問題意識を問うのです。

    ※    ※    ※    ※
 
 ある議員さんから「釧路市思春期保健事業」に関して、どのような事業をしているのか、という質問がありました。

 釧路市の思春期保健事業は釧路市の特徴的な事業で、全国的な性交経験の前傾化、性感染症にかかる患者の増加はもとより、釧路管内の10代の人工妊娠中絶率の高値などの背景を踏まえ、平成12年度国保健康ヘルスチェック事業に加算されたエイズ予防普及事業の一環として始まって以来今日まで続いています。

 この事業の目的は、正しい性に関する知識の普及とエイズ予防等の性感染症予防に努めると共に、具体的な避妊法等を啓蒙し、10代の望まない妊娠の回避、人工妊娠中絶率の上昇を防ぐことにより、青少年の健全育成を図ることを目的とする。

 実際は人材の育成や冊子の配布、関係者の連携による共同作業など多岐に亘っていて、実に斬新な取り組みと言えるでしょう。

 人工妊娠中絶率の現状と変化で言うと、ピーク時の平成14年度に女子人口千対で、全国12.8、全道21.9、釧路管内27.9だったものが、平成20年度に置いては全国7.6、全道10.6、釧路管内13.0と大きく減少しています。

 まだ全国に比べると高いと言わざるを得ませんが、減少率は大きなものがありこの取り組みの成果であると考えているところです。

 一般質問は明後日まで続きますので、今日は深夜まで明日の答弁調整を行いました。市行政が多面的に語られるのが市議会なのです。
 
【釧路市思春期保健事業】
  http://bit.ly/g85Xaa
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産地限定ビールの戦い

2010-12-05 23:56:59 | Weblog
 うちの奥さんが急きょ釧路へ遊びに来ることになって、今日は一緒に先日ブログにも書いた山下清展を見てきました。

 12月3日に行われた開会式後も観せていただきましたが、短期間に再度見てみると前回の観覧では気づかなかったこともあって、(一度よりは何度も見てみることだなあ)と思った次第。

 お客さんの出足も良いようです。最初は素朴ながら、晩年は精緻な芸術の高みに至る山下清ワールドをぜひ楽しんでください。

    ※     ※     ※     ※     ※

 夕方になってお酒を買いに行ってお店の方から勧められたのが「サッポロクラシック 富良野ビンテージ」でした。

 これは北海道限定販売の「サッポロクラシック」シリーズの缶ビールの仲間で、特に『北海道富良野で収穫する、摘み立ての生ホップを一切加工せずに、そのまま使用するなど、季節感あふれる、北海道ならではの商品としました』

『香味の特徴では、一切加工されない、摘み立ての、富良野産の生ホップを使用することで、フレッシュで芳醇な香りと、クラシックならではの爽快な後味を両立させました(サッポロビールホームページより)』という製品。

 お店の方によると、北海道限定ということを知っている道外からの観光客が地元に送るのに好んで買いに来るとか。

 限定販売なのでお店に入ってくる数にも限りがあってすぐに売り切れなんだとか。とりあえず一缶ゲットです。

    ※     ※     ※     ※     ※

 ところが商品棚には隣にキリンの「とれたてホップ」という製品があって、こちらも「岩手県遠野産ホップ使用」というやはり産地限定こだわりのビールです。

 こちらは遠野産の生ホップを凍結させたうえで細かく砕いて使用することでホップの味わいを引き出しているのがウリなんだとか。

 どちらのシリーズも2008年から始まったライバル同士ですが、サッポロクラシックの方は北海道限定販売なのに対して、キリンとれたてホップシリーズの方は全国販売。

 全国販売の方が売れるのかもしれませんが、北海道民だけはサッポロクラシックの限定ビールを楽しめるというのは面白いことです。

 メーカーが応援してくれる地産地消の問いかけに応えて、北海道をもっと楽しむ一つのネタにしてみてはいかがでしょう。

 道民が北海道を思い切り楽しむことこそ最大の地域起こし・地域活性化に違いありません。



                 【札幌とキリンの産地限定ビール対決】


【「サッポロ クラシック’10富良野VINTAGE」新発売】
  http://bit.ly/dXDcSr

【キリン 一番搾りとれたてホップなまビール】
  http://bit.ly/fKDWmU
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マイケル・ムーア監督「sicko」を見る

2010-12-04 23:56:01 | Weblog
 マイケル・ムーア監督の「Sicko」のビデオを借りてみました。

 以前から社会保障問題に痛烈に切り込む慶応大学教授の権丈善一さんが「社会保障に経済原理を入れると絶対に変になる。その実例を映画『sicko』に見た」と書いておられたので気になっていたのでした。

 sickoというのはsick(=病気)の変化したスラングのようで、「この国(=アメリカ)の健康保険制度は病気だ!」というのがタイトルの意味のようです。

 アメリカは先進国で唯一国民皆保険を果たしていない国です。そこでは2億5千万人が健康保険に入っているものの、5千万人が健康保険に入っていないと言います。

 この健康保険に入っていない人たちは、ひとたびケガをしたり病気になって病院にかかろうものなら高額の治療費を請求されることになります。映画の冒頭に登場した男性は、木工作業中の事故で丸鋸に右手の中指と薬指の第一関節を切り落としてしまいますが、健康保険には未加入。

 そこで迫られたのは、「中指を元に戻すのに6万ドル、薬指は1万2千ドルだがどうする?」という選択でした。結局男性は中指はあきらめて薬指の治療だけを行いました。「ロマンチックな選択だ」というナレーションが皮肉です。

    ※     ※     ※     ※     ※

 アメリカには低所得者と65歳以上の高齢者には公的な保険があるようですが、それ以外の勤労者はHMO(=Health Maintenance Organization:健康維持機構)と呼ばれる民間の医療保険に加入することが多いのです。

 ではこの医療保険に加入している人は安心なのか、というとこれまたそうでもないらしい。なにしろアメリカの健康保険は数ある民間会社が競い合っているもので、加入者を増やして払い出しは少なければそれだけ儲かるという仕組みはまさに資本主義そのもの。

 そこでは患者が病院にかかって治療を受けようとするときに、病院から保険会社に「○○という治療をします」という申請をすることになっているのですが、これに対して保険会社(の中の判定医)が「それは認められません」と治療を拒否することがしばしばあると言います。

 その理由は「その治療は実験的な治療と判断されます」だとか「その薬はこの症例には効果が薄い」などといったもので、挙句の果てには交通事故のため救急車で運ばれた患者からの治療費申請に対して「事前に許可なく乗った救急車の費用は払いません」などというのもあるとか。
「気を失っている状態でどうやって事前に申請しろというの?」と患者の怒りがおさまりません。

 また、子供が急病で連れて行った病院から「この病院はあなたが加入している保険会社の系列ではないので治療はできません」と治療を拒否され、系列の病院に回った時には手遅れで亡くなってしまった子供の親も登場して涙を誘います。

 そしてアメリカ政府の公聴会で、かつて医療保険の判定医として勤務し、治療拒否の判定を多く出したことで給料が跳ね上がったものの、いまではそれを後悔しているという女性医師の証言まで出され、いかにアメリカの医療保険がゆがんだ資本主義におかされているかを多くの患者の涙で訴えます。

    ※     ※     ※     ※     ※

 これに対して、資本主義の悪弊を断ち切って国民皆保険を実現しようと活動を続けてきたのが民主党のヒラリー・クリントンでした。

 税金や加入費用によって誰もが医療サービスを低廉に受けられるようにしようという政治スローガンは、それに反対する保険会社のロビー活動によって「社会主義」というレッテルを張られて徹底的に攻撃されます。

 そしていつしかヒラリーにまでHMOからの選挙資金が流れるようになっているのでした。

 映画の後半は、そうしたアメリカの惨状と対比させる形で、無料かごく低廉な価格で医療を受けられる隣国カナダや遠くイギリス、フランス、はてはアメリカの仮想敵国の一つであるキューバの医療サービスを紹介してその素晴らしさを持ち上げます。

 尤も、サービスはそうだろうとしてもそれを支える税金がどれくらいなのかとかキューバの政治情勢などには触れていないので、あえてアメリカをこき下ろすために使われたのか、という気持ちもします。

 マイケル・ムーア監督の鋭い批判は多少割り引いたとしても、それにしてもアメリカの医療保険の異常な点は十分に伝わってきます。これはかなりsicko!(ビョーキ)です。

    ※     ※     ※     ※     ※

 日本では現在、保険診療と保険外診療を同時に行う混合診療を認めていないのですが、混合診療を認めろ、という圧力が高まっています。そのときのセリフが「患者が高くても効果的な診療を認めているのだからそれをすることは医療技術の進歩に繋がる」というものです。

 しかし権丈先生は「それをすると、結果的に所得によって受けられる医療に格差が生じることになる。」と懐疑的な立場を貫いています。

 病気にならなければ病院のことも医療費のことも考えないものですが、健康な時だからこそ、医療費や健康保険、富めるものが貧しいものを支えるという社会保障とは何かについて考えたいものです。

 ビデオでぜひ「sicko」をご覧になってみてください。


【混合診療全面解禁めぐり波紋】毎日新聞 2007/12/03
 http://bit.ly/equnNr
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山下清展はじまる ~ 釧路芸術館

2010-12-03 23:55:15 | Weblog
 釧路芸術館で開催されている「山下清展 放浪の天才画家 歩き描いた49年」を見てきました。

 山下清は大正11(1922)年に東京浅草で生まれました。幼い時に重い消化不良を起こして、その後遺症から軽い言語障碍と知的障碍障碍をうけます。

 その障碍のために周りの子供たちにいじめられたりしたことから、彼は千葉県の八幡学園に入りますが、障碍がありながら鋭い記憶能力を手にしていて、それが後に彼が絵を描く上での一つの特徴になっていきました。

 八幡学園では園の教育方針として貼り絵をすることになっていました。初期の頃こそ蒸しを題材とするなど子供らしい素朴な作品でしたが、やがて学園内ののびのびした雰囲気に慣れて、学園生活を題材とした作品も増えてゆきました。

 そんな彼の作品にスポットライトが当たったのは昭和12(1937)年のこと。早稲田大学で行われた小展覧会で彼の作品は大きな注目を浴び、それが第一線で活躍する巨匠たちから評価を得たことで世間から絶大な賞賛を手にしました。

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 貼り絵を習得した山下清は、次々に貼り絵作品を作りましたが、昭和15年に突然学園を飛び出して放浪の旅に出ました。一説では戦争に行きたくなかったから、という説もありますがどうでしょう。昭和18年に清の母は彼を徴兵検査に無理やり連れてゆき、結果的に不合格になったという出来事もあったそうです。

 彼は旅先でアルバイトをしたり物乞いをしたり気の向くままに旅をつづけ、旅に飽きたらまた学園に戻るという生活をするようになりました。

 山下清と言えば、古くは小林圭樹に始まって、芦屋雁之助やドランクドラゴンの塚地武雅さんなどによるドラマの中の姿の印象が強いことでしょう。

 ドラマの中ではしばしば放浪先で絵を描いてプレゼントをするシーンがあったような気がしましたが、実際は旅先で絵を描いたりすることはなくて、放浪の旅を終えて帰ってきてから旅先でのシーンを思い出して描いていたのだとか。

 ある種の障碍を持った人には時折、音楽や絵画などの芸術分野で特異な才能が与えられることがありますがまさにその手の天才であったわけです。 
  
 また、山下清と言えば貼り絵ばかりが浮かびますが、実際はペン画といって油彩のペンで下書きなしで頭に浮かぶ像を描くやり方や、版画、陶芸の下絵などにもその才能を発揮しています。

 また、帰ってきてからの貼り絵などの作品のほかに彼は放浪記を書いていて、それもまた人気となりました。

 その後彼は雑誌「Life」でも紹介されてすっかり有名人になり、放浪ができなくなりました。その代りヨーロッパへも旅行をしながらその風景をペン画や版画で残してくれています。

 それにしても彼の生涯はわずか49歳。今の私よりも若くして亡くなっているのですね。一日一日を大切に生きたいものです。

 
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 今回の山下清展は北海道新聞釧路支店主催で会場は釧路芸術館。

 展示は二部構成で行われ、前半の一部(12月3日~28日)はペン画・版画が中心で後半の二部(平成23年1月4~23日)は貼り絵が中心の展示となります。

【放浪の天才画家 山下清展 歩き描いた49年』
  http://bit.ly/gMrAjK


 
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