
作家塩野七生さんの「日本人へ 国家と歴史篇」(文春新書)を読みました。
塩野さんと言えば、大著「ローマ人の物語」で一世を風靡した女性小説家。
「ローマ人の物語」は新刊本で全15巻の大部で、最初のうちは新刊本一冊を三冊ほどに振り分けた文庫本で買っていたのが、10巻あたりからはもう文庫本になるのが待ちきれずに新刊本で買うようになったのでした。
だから家にはローマ人の物語の文庫本が30冊ほどと新刊本が5冊ほどある状態。おまけに私は新刊本へも落書きはするは角は折るわでとても古書として売れるような形でもありません。もっとも売る気もありませんしね。
今でも「私もローマ人の物語を読みました」という人に会うと、それだけで人柄が信じられるという、私にとってはそんな書物です。
このシリーズの最終巻を読み終えたときのことは2007年1月6日の私のブログ記事がありました。読み終えて寂しく思った自分がそこにいました。
【「ローマ人の物語」第15巻~寂しいなあ】2007年1月6日ブログより
http://bit.ly/f4woUD
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で、そんな塩野さんですが、ローマ人の物語を通じてローマ帝国とそこに生きた英雄や庶民の姿から導き出される歴史観や国家感が実に深くて味わい深いのですが特に国家と歴史について書かれたエッセイをまとめたのがこの本。
なんとこの中に『ローマ人の物語を書き終えて』というエッセイがありました。
曰く「…全巻を書き終えた瞬間はどんな気持ちになるのだろう、と想像していたのである。机の上に泣き伏すか、それともガッツポーズでもし、ヤッタ!と叫ぶか、と」
「ところが実際のその『瞬間』は、実にあっけなく過ぎたのである。『完』と書いた瞬間の私を誰かが見たら、キョトンとした顔をしていたに違いない…」なのだそう。読み手の方がよほど感情を込めていたに違いありません。
そしてローマ時代を見つめ続けた塩野さんの感想は、「衰亡に近づいても、そこは人間世界のすべてをやってくれたローマのこと、情けなくもだらしない男ばかりではない」
「亡国の悲劇とは、人材が欠乏するから起こるのではなく、人材はいてもそれを使いこなすメカニズムが機能しなくなるから起こるのだ、と痛感するほどにイイ男は、興隆期に比べれば数は少なくてもいることはいる。この男たちに照明を当てていくのは、歴史を科学と思っている学者には味わえない妙味かもしれない」というもの。
さぞイイ男たちの傍で夢を見たことでしょうね。
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彼女にかかるとリーダーとは、「たとえ自分は地獄に落ちようと国民は天国に行かせる、と考えるような人でなくてはならない。その覚悟がない指導者は、リーダーの名にも値しないし、エリートでもない」ということになる。
そしてマキャヴェッリの言葉を借りて「天国に行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである」と言います。
およそ世界最高レベルのリーダーであったカエサルを最も身近な男の一人として見続けた彼女のメガネにかなうリーダーはいそうもありません。
優れたリーダーを出すのは国民も優れていたからと考えるのも塩野さん流。本のタイトルは「日本人へ」となっているのはそのため。
優れたリーダーにはなれなくてもまずは優れた国民であるよう努力したいものです。