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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

音楽の感性

2006-02-09 23:35:07 | Weblog
 職場の祝い事があって、今日の夜は課の全員で宴会へ。ススキノの氷祭りにはカメラを構えた観光客が群がっていました。
 天気も何とか今日まではもっています。週末までなんとか凌ぎたいものです。

 今日は
■音楽の感性 です。

【音楽の感性】
 知人が「東京から著名な音楽家の方が来るのでご紹介しますよ」というので、職場の飲み会の後に、知人を訪ねてススキノを歩きました。

 地下にあるシャンソン酒場でお会いしたのはMさんという、今テレビの主題歌など各方面で活躍中の音楽家の方でした。Mさんは音大でも学生の指導をしながら創作活動を続けられているのだそうです。 

 失礼ながらお年を伺うとなんと早生まれながら私と同学年ということが分かりました。同世代が各方面で活躍してくれているというのは僭越ながらも嬉しいものです。

 Mさんは大変気さくな方で、すぐにうち解けて会話が弾みました。そこで早速いろいろと伺ってみました。

「最近の学生さんの気質というのはどう感じますか?」
「今二十歳くらいの子たちは素晴らしい感性ですね。音楽の世界には60年周期で素晴らしい世代が登場するのですが、今の二十歳くらいの子達がまさにそうですよ」

「60年周期で二十歳の人達が素晴らしいということは、今80歳くらいの世代が素晴らしかったということですか?」
「まさにそのとおりです。古賀政男さんの指導を受けて各方面で素晴らしいメロディを作り上げた世代ですね。もちろんそれらの間の60年間に大した人が出ないと言うことではありませんが、世代として固まりで登場するということを私は感じています」

「何がそれまでと違うと思うのですか?」
「一つ思うのは、彼らの世代は物心着いた時にはもうデジタルが当たり前になっていたということで、そのデジタルである彼らがアナログの音楽を身につけていく過程のデジアナとでも言う状況が我々とは違うのだと思うのです。それとオーケストレーションのセンスが良いですね」

「オーケストレーションですか」
「そう、それはゲーム音楽のおかげだと思うのですよ。彼らに暗い音楽や怖い音楽を聴かせると、『なんだ先生、これはゲームの戦闘シーンの音楽だよ』と感じる感性ができあがっているんです」

「なるほど、そうかもしれませんね」
「彼らにはこの音楽がショスタコビッチなどと教わらなくても、どういう音楽がどのようなシーンと結びついていてどんな楽器がどんな雰囲気の音を出すか、ということが分かっています。私は学生に教える立場ですが、それを通じて学生から随分教わっていますよ」

「それは面白いですね。世界に羽ばたく音楽家が育ちそうですか?」
「世界までとなると分かりませんが、日本の中では確実に活躍するだろうな、という子は何人もいますよ」

 そんな話をしていると、壇上には少しお年を召したシャンソンの女性歌手が登場し、Mさんを招いている。ここからはMさんの伴奏によるシャンソンのひとときを楽しみました。

 シャンソンってあまり馴染みはなかったけれど、ソファに座ったお客さんは口ずさむ方もいたりして、ほぼ皆さん歌はご存じの様子。

 なんだか教養の程度も問われるような気がしました。音楽でも文学でも食わず嫌いよりは興味を持って少しでも多くのことに触れて教養を身につけたいものです。

 外は寒いけれど、心が少し温かくなりました。

    ※    ※    ※    ※

 明日は朝から釧路へ向かって、釧路駅前のまちづくりについてパネルディスカッションに参加してきます。

 この世界では重鎮の伊藤滋先生も来られるとか。掛川でお会いして以来のことで懐かしいですね。

 さて飛行機よ、お願いだから飛んでね。
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治療より予防

2006-02-08 23:19:19 | Weblog
 今日もときおり雪がちらついたものの、総じて穏やかな一日。このまま雪まつりの間だけでも持てばよいのですが。

 今日は
■歯もまちづくりも治療より予防 です。

【歯もまちづくりも治療より予防】
 私は生来歯が丈夫ではなかったのですが、大学浪人中に出会った歯科医のY先生のおかげでそれ以降は歯の健康を保ちながらここまで来ています。

 当時Y先生に治療していただいた歯は、もう28年もの間健康を保っているので、驚きです。先生の開業しているO歯科へは当時既に稚内から予約を取って治療に訪れる患者さんもいたくらいで、当時から先進的な歯科治療に取り組まれていたのです。

 転勤で長く札幌を離れている時もありましたが、札幌にいるときには歯の面倒は必ずこちらでお世話になっています。先生の方も私のことを覚えていてくれて、歯に関しては30年になんなんとする主治医でいてくださっているのです。

 昨年の夏から奥歯が痛んで治療を始めたのですが、歯の神経の治療をするかと思いきや、「これは歯の中の痛みではなくて、歯ぐきの歯周ポケットに嫌気性の細菌が潜り込んで悪さをしているんですよ」という見立て。

 そこで細菌に侵された歯ぐきの一部を削って長期の治療に挑むことにしてもう半年以上も通院をしているというわけです。

 ここでは最新の医療器具を使っていることもさることながら、毎回歯ぐきのケアを丁寧にしてくれて、おまけに毎回写真を撮って口の中の様子を説明してくれるのが嬉しいところです。

 最近の先生の興味は、歯の様子と全身の健康ということなのだそうです。つまり歯が悪いと病気になる確率が高く、歯のない人は他の病気にもなりやすいのだそうです。

 そこで最近は整体の勉強まで始めてしまったのだそうで、歯科医も歯が悪いから歯を治療すればよいという時代から、歯は全身の健康のバロメーターであり、健康への入り口という考えになってきているようです。

「北欧の国々は昔は歯が悪い人が多かったのですが、そのことに気づいて8020運動、つまり80歳で20本の歯を残すという運動を国を挙げて行って、いまでは80歳で歯の残っている平均が24本にまでなったそうですよ」
「それはすごいですね」

「もう北欧では歯科医よりも歯科衛生士の養成に力を入れていて、悪くなってから治療するよりも悪くなる前にケアをするという方向に切り替えたんですね。その結果がまさに現れているのです」
「日本でも8020運動というのは聞きますよね」

「そう、日本でもやっと歯の健康が結果として医療費の削減に繋がると言うことに気づいて始めたんですよ。でもまだ日本では60歳を過ぎると急に残っている平均本数が落ちてくるんです。それはほとんどが歯槽膿漏で歯ぐきの病気から歯を失っているんですよ。しかも歯の毒素が全身に回って悪さをするということも分かってきました」
「定期的なケアを受けに歯医者さんに来るというのが良いと言うことですか」

「そのとおりです。アメリカなどはもう歯科医がやることがなくなってしまって、歯科医は歯列矯正か白くするホワイトニングみたいなことばかりやっています。健康で働きたいビジネスマンなら2ヶ月に一度は口の中のケアを受けるというのが常識化していますよ」
「まだ日本では意識がそこまでいっていませんね」

「そう、それが問題なのです。それと全身のバランスで言うと歯の悪い人は姿勢も悪いんです。不健康な状態というのは全身のバランスに現れるんです」
「それも面白いですね」

「最近の若い人は歩くことが少なくなって、それも歯に良くないんです」
「歩くことがですか?」

「そう、整体の勉強を始めて分かったのは、椅子に座っていても足が床に着いていないとものが噛めないということです。不思議だけど、足が地について始めてしっかりとものが噛めるんです。よく子供が高い椅子で足をぶらぶらさせているでしょう。あれではしっかりとご飯は食べられないんです。自分でやってみると分かりますよ」

 どうやら先生は西洋的な医学と東洋的な思想の融合を考えておられるようです。目先の問題を解決する連続という治療から、そもそも身体全体の健康という視点で歯の持つ役割を考えようというのです。

 歩くことが歯によいとか、歯が悪いことが全身の病気に繋がるなどというのは一見結びつかないものですが、そう言われてみると思い当たるような気もします。

 社会も同じようなもので、目先の問題や不満を解決するというやり方を取りながら、社会全体の健康を取り戻すことで問題解決を図るという治療方法も大事なのではないでしょうか。

    ※    ※    ※    ※

 最近除雪のことを考えるたびに、昔から雪は同じように降っているのに最近の社会にとって不満が増大する一方なのはなぜなのか、ということを思うのです。

 それはおそらく社会のニーズが変わってきたからで、昔は雪が降ってもきめ細かい除雪は社会が必要としていなかったのに対して、物流が高度になってきた今日、人や物の移動が安定しているということが益々重要になってきたと言うことでしょう。

 そしてそのことの解決方法をずっとインフラというハードで受け止めて効率的な社会運営をするということよりも、目先のお金のかかる除排雪で凌いできたということのようにも思えるのです。

 北国は雪という条件を当然としながら、昔とは違う高度な社会ニーズに対応したまちづくりをしなくてはならないのでしょう。しかしその解決策は、雪の降らない地方が発想してくれるようなことではなく、また同時に雪を当然と思っている人からも出にくいのかも知れません。

 雪の降る生活と降らない生活の両方をよく知っているような、一段高い視点からの発想が必要なのかも知れません。北国はこれからもわがままではない、地に足の着いた主張とまちづくりへの努力を続けて行かなくては行けないのでしょう。

 良い発想はありませんか?
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がんばれ後輩達!

2006-02-07 22:47:04 | Weblog
 今日も気温は低めながら雪の降らない一日。道路は凍結で滑りやすくなっていますが雪まつり目的の観光客の皆さんには良かったのではないでしょうか。

 今日は
■学生へのメッセージ です。

【学生へのメッセージ】
 私の母校、北海道大学に勤める友人から「『えるむ』という学生向けのメッセージ誌があって、先輩からの一言を募集しているのだけれど、書いてくれないかな」という依頼があったのは年末のことでした。

「締め切りはいつ?」と訊くと
「年明けの1月9日くらいまでにお願いしたいのだけど」とのこと。

 その頃はちょうど中国出張の日程と重なる時期だったので、正月を利用して早めに原稿を仕上げて提出したのですが、それができあがって今日担当者から郵送で送られてきました。

 タイトルは「開拓者の精神で先輩を乗り越えよ」としました。折角書いた文章なので忘れないようにここに掲載しておきたいと思います。どうぞご笑覧ください。



【開拓者の精神で先輩を乗り越えよ】
 みなさんこんにちは。私は昭和57(1983)年に農学部農学科(現在は生物資源科学科)を卒業した小松正明と申します。卒業してからもう24年が経ちますが、今さらながら北大卒業生ということの恩恵を感じています。

 『社会を良くする使命感に燃えて』
 私は農学科で造園学を学んだことから、緑を通じた環境問題で社会に貢献したいと考えました。職業としては国家公務員を選択し、「造園職」という人数の少ない職種で旧北海道開発庁に採用となりました。旧建設省との間で転勤を重ね東京、茨城県、長野県などで一貫して都市公園整備に携わってきました。

 国の各省庁では縦割り行政という批判に答える意味でも様々な交流人事を進めており、外務省職員として海外へ行く人もあれば、最近では他省庁を経験することも非常に多くなりました。そんななか私自身は地方都市からの要請に応える形で静岡県掛川市へ赴き、助役として三年間地方自治行政に携わることが出来ました。

 掛川市といえば、現在NHK大河ドラマとして放映されている「功名が辻」に登場する山内一豊公ゆかりの都市であり、まちづくりに力のある市長さんと仕事をしつつ多くの市民とふれあって楽しいひとときでした。

 国家公務員を目指したのは、もともと公共施設を整備することで今の社会をより良くして子孫に渡すことを使命としたいと思っていたからです。そして自分たちの事業が市民、国民にどのように受け止められているのかを感じるためにも、多くの地方や日本の現状をつぶさに見て目を肥やすことが必要です。私はこれまで立場上多くの立派な方達にお会いして話を聞く機会を得ることができましたが、そう言う意味でも国家公務員としての立場をありがたく感じています。

 最近は国の財政状況の悪化に伴って公共事業そのものは縮小する傾向にあります。我々は残された余裕の間にどれだけの社会資本をストックしておけるのか、そしてそれを利用する国民との間にいかにして共感してもらえる関係をつくりあげることができるのかということが大きな課題になってきています。

 そこには書物を相手にして研究のような成果を残すこととはまた違った能力が必要で、それは常に変化する社会に対して時代を先読みして適応するという総合的な人間力が求められているのです。

 『北大人の誇りと責任を自覚すると言うこと』
 北大生としては、そのような人材を社会に供給する地域ナンバーワンの大学としての誇りと自分自身がそうあらねばいけないのだという覚悟を持ち続けて欲しいと思います。合格したあなたの後ろにはもしかしたらあなた以上に頑張りたかった人、あなた以上に本学で学びたかった人がいたかも知れないのです。それらの人達を押しのけて今あなた自身が恵まれた環境の中で優れた恩師や先輩のネットワーク資源に囲まれながら学べるのは、社会があなた自身の可能性に対して大きな期待を寄せているからだ、ということをどうか忘れないで下さい。

 また建学の精神であるBoys, be ambitious!を胸に、活躍のフィールドは日本全国はもちろん、広く世界までも見つめる広い視野を持って欲しいと思います。

 『常に新しいことにチャレンジする開拓者精神を』
 現代社会の進展は北海道から未開の地を失わせましたがまだ多くの学問領域や未来に向けた制度設計に、そして高度成長に慣れた現代人の心の中に開拓の余地を残しています。我々は常に開拓者として新しい分野での先駆者として、他の人がやっていないことにチャレンジし続け諸先輩を乗り越えていって欲しいものです。そしてそれこそが北大人を貫く伝統なのだと信じています。
 がんばれ北大生!

    *   *   *   * 
 
 ちょっと気負ったかなあ。でもこれは我々の後に続く世代全員へのメッセージでもあるつもりです。

 がんばれ後輩たち!
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雪まつりの始まり、氷の造形はいかが

2006-02-06 23:22:08 | Weblog
 週末の悪天候が嘘のように今日は良い天気。その分気温も低いのですが、今日からはいよいよ雪まつりの始まりです。期間中の好天を祈りますよ。

 今日は
■氷の造形デビュー です。

【氷の造形デビュー】
 知人のKさんから電話が来て「小松さんとやってきた氷の造形がデビュー出来そうです」という喜びの声。

 話を良く聞けば、Kさんが魅せられるように取り組んできた氷の造形を面白がって、「うちの駐車場で展示してみませんか」と言ってくれた駐車場のオーナーがいたというのだ。

 Kさんとは私が滝野公園の所長だったときに初めて会って、冬期の公園を飾る氷造形として五角形と六角形の氷を組み合わせた氷のドームを制作してもらったのだった。

 Kさんはその後氷を使う造形がすっかり面白くなってしまって、江別に寝泊まり出来る小屋を求め、さらに小屋の中に六畳間ほどの冷凍庫まで導入して氷で何が出来るかについて試行錯誤を繰り返してきたのだ。

 基本的にはいろいろな形の型枠を作ってそこに水を少しずつ入れて凍らせて立体の形を作るというやり方で、ハートや雪だるまならぬ氷だるま、氷の樹木などを作ってきた。

 Kさんは元々広告代理店でパソコンで映像を作る事を商売にしていたのだが、いつの間にか重たい氷を扱って造形を作る事にのめり込んでしまったのだ。

 可哀想なのは彼の下で働く同僚職員で、普段はパソコンのマウスしか持っていないような人たちが突然一個400kgもあるような氷の固まりを運ばされたり組み立てたりさせられるのだ。

「普段は軽いものしか持っていないので、全員ばててしまいましてね。今日はみんな休んでもらっていますよ」とKさんは笑う。

 Kさんの得意技はコンピューターなので、単なる氷の造形の中にほとんど電気を食わずに連続して色の変化をつけられる発光ダイオードを組み込むことなど朝飯前。さらには氷にスピーカーを組み込んだりして、氷の形に音と光を加えた造形作家並みの作品に仕上がっている。

 ノウハウを売ってくれないでしょうかという会社もあったというのだが、それでは自分の楽しみもなくなってしまうと思い、「丁重にお断りしました」と笑う。

 今回の作品は中央区南8条西4丁目の駅前通に面した駐車場の前に飾られている。二人して「『いつかは大通り』の合い言葉で行きましょう」と夢ばかりは大きい。

 この場所はすすきのとすればもうはずれの方で、すすきのの繁華街に近い道路上ではたくさんの腕利き達が氷をチェーンソーで削ってこれまた鮮やかな氷の彫像を数多く製作する真っ最中だった。透明の氷を積み上げて細部まで削り込む氷の造形は、これはこれで立派なもので見応えもある。

 氷で遊べるのは北国の特権のようなものだ。氷をエネルギーとして即物的に考えるだけでなく、その形や色までが楽しめればもう立派な観光の要素になるだろう。

 いよいよ今日から週末の12日までは雪まつりが開催される。すすきのを訪ねる機会があったらちょいと足を伸ばして中島公園方面まで歩いてみてくださいな。

 ちなみに展示期間は2月28日までです。
 
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雪かきで骨休め

2006-02-05 23:47:59 | Weblog
 今日は朝から夫婦で雪かき。三日いない間に60センチほどの雪が降っていました。いやはやご近所との挨拶で「また降りましたね」、「雪はもういりませんね」と何度言葉を交わしたことか。

 今日は
■雪かきで骨休め です。

【雪かきで骨休め】
 今日は朝から雪かき三昧の一日となりました。まあたまにはあまり頭を使わずに肉体労働でストレス解消というところでしょうか。

 それにしても雪かきは肉体労働と言いながら使う部位が限られているのです。二階デッキに60センチも積もった雪を下ろす作業では、雪ハネを持つ腕や手の筋肉を酷使します。

 終わった後にパソコンに触ろうとしたところ、マウスを持つ手がぶるぶると震えてきました。

 家の敷地の中にうずたかく積んだ雪山を踏みつけて小さくしている私に、妻がいたずらに雪を投げかけて来るので避けてはお互いに笑いあっているという、まあ雪かきにも探せば楽しみはあるもので。

 妻からは「筋向かいのTさんに『せっかく主人が帰ってきたのにちっとも雪かきが楽になりません』と言ったら『いや、奥さん、現役で働かれている時はそれは無理ですよ。私なんぞは体を動かすためにはこれもいいか、と思っていますがね』と旦那さんをかばってくれていましたよ」と言われました。

 そうね、あまり平日にはやってやれないものです。土日に雪が降るようにせいぜい祈っていて下さいな。

  
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美瑛のコアなファン

2006-02-04 23:47:07 | Weblog
 今日は朝から美瑛~旭川巡り。東川で蕎麦を食べたりして観光三昧。ところが旭川から帰りの電車が大雪のために大幅に遅れる羽目になりました。
 とんだ旅の終わりになりました。

 今日は
■美瑛のファン です。

【美瑛のファン】
 夕べは美瑛に一泊したのですが、宿泊先で朝食を取っていると、若い男性の二人連れが同じように食事を取っています。

 その風体が、どうもスキーに行くようではないしビジネスでもなさそうなのです。そこで勇気を出して声を掛けてみました。

「あのう、お二人は観光でいらしているんですか?」
 すると、「ええ、冬の美瑛を見たくて来ています」とのこと。

「珍しいですね。春から秋にかけての作物や花でパッチワークになる頃の美瑛には観光客もたくさん来ますが、敢えて冬の美瑛を見てやろうという方は少ないものですから」
「そうですか、私は冬はもう6回目です。友人の方は3回目だそうですが」

「今日はどうされるのですか?」
「白金でネイチャートレイルに参加してみようと思っています」とのこと。

 よくよく話を聞いてみると、どうやら一人は写真を趣味にされているようで、冬の美瑛を被写体としても面白く思っているようでした。

「美瑛まではどうやってこられたのですか?」と尋ねてみると、
「新千歳空港に降りてそこからはレンタカーで来ました。ナビもありますしね」ということでした。なんとまさに今我々が考えているような観光パターンではありませんか。こういう特定の地方へのコアなファンもいるのですねえ。

 「それでは道中お気をつけて」と一度は別れたのですが、宿を離れる支度をしてロビーで友人の迎えを待っていると、先ほどの写真好きとお見受けした方が駆け寄ってきてメモを渡してくれました。

 そして「美瑛について私なりの考えをメモにしてみましたのでご覧になって下さい」と言う。
「実は私は観光振興や地域づくりも担当しているのです」と言うと、「どうもそのような気がしましたので、これをお渡しします」とのこと。

「私は写真が趣味なのですが、美瑛にはいろいろな写真家の方の写真館がありますよね」
「そうですね、だいぶあると思いますが多くは無料ではないでしょうか」
「そうなんです。私はこの地の写真家さん達の代表的な作品を一堂に集めるような場所があればそれは有料でも良いのではないかと思うのです.
そこで好みの写真家さんの当たりをつけてそれから写真館を巡ってもらうようにしてはいかがでしょうか」

「なるほど、私も美瑛には美しい丘の風景はあるし、マイルドセブンの丘のように風景スポットも多いのですが、あまりその風景がお金に変わる仕掛けが少ないように思っているのです」
「私もそう思います。この美しい風景をいつまでも守れるような仕掛けを作って下さるようにお願いします」

 なるほど、社会に対する考え方も立派だし、企画されたツアーではない自分自身の旅というものに対する考え方も立派なものです。

 こういうしっかりした考え方を持ったコアなファンがいるということはこれからも美瑛町は夢が広がりそうですよ。



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美瑛でインフラとは何かを考える

2006-02-03 23:46:01 | Weblog
 今日は朝から美瑛町へ移動して調査ものの委員会に出席をしました。

 今日は
■美瑛町創発調査でインフラを考える です。

【美瑛町創発調査でインフラを考える】
 上越市から今日は北海道の美瑛まで向かわなくてはなりません。朝6時の直江津駅発の電車に乗って越後湯沢駅で上越新幹線に乗り換え東京へ向かいます。

 なんとか羽田空港へたどり着いて旭川空港へと向かいます。旭川上空で着陸待ちの飛行機のため旋回を繰り返し、10分ほど遅れて空港へ着陸。一時前にやっとのことで美瑛に到着しました。地方同士の移動というのはなかなかに手間のかかるものですね。

 美瑛町の創発調査は、地震で被災した長岡市などを中心に「山の暮らし再生」を中心テーマとしてその方向性を探ろうというものです。

 美瑛町は中山間地の暮らし再生という切り口で連携調査として関わっているものです。ここでは「日本で最も美しい村連合」という自治体間連携事業を行っていて、世に問うた時には反響も大きかったそうです。

 今はこの連合に加盟する場合の基準作りなどを進めているそうで、うねりが大きくなるような予感がします。「美しい村」というのがいいですね

 私としては地元の住民はもちろんですが、いかにここに住んでいない外部の人がこの町に関わってくれるかということに興味があります。

 住んでいてもいなくても関わって支えることはできますし、それにはIT技術を上手に使うということが考えられるでしょう。

 そのためにはブログや掲示板のような共通に語り合える場の提供と多くの人達の参加が求められますが、そのような連携は今日どんどん当たり前になりつつあるように思います。気張らずに楽チンに情報を発信する姿勢と実践が大事になるのです。

 そんな話をしたところ、地元の方からは「そうなるとネット環境がまだ立ち後れていることが課題になりますね」という話になった。まだまだ美瑛町のような小さな町ではブロードバンド化が進んでいないのだそうです。

 委員の一人で参加して下さっていたあるネイチャークラブの代表の方は、「うちではまだISDNですからね」と苦笑い。通信環境やインターネットで住んでいるところによらずに情報が平等になると思われたのは昔のことで、今はまた逆に情報格差が進みつつあるのです。

 これもまた中山間地の現実的な悩みでもあるのです。通信事業を民間にして効率化したのはよいのですが、結果として儲からないところへはサービスは行き届かないというのが現実なのです。

 道路はタダなのに通信は有料です。生活に欠かせないインフラとは何なのでしょうか。

     ※    ※    ※    ※

 ちょうど今塩野七生さんの「ローマ人の物語 第10巻」を読み始めていますが、この10巻は9巻までと全く異なり、ローマ人が整備してきたインフラに焦点を当てて、彼らのインフラに対する考え方を塩野さんなりの解説を加えながら説明するという趣向で作られています。

 手に汗握る人間ドラマはほとんどないのですが、塩野さんは「全十五巻を予定している『ローマ人の物語』中の一巻をローマ人が築きあげたインフラストラクチャーのみに捧げたいという思いは第1巻の『ローマは一日にしてならず』を書いていた当時から私の頭の中にあった」と書いています。

 「ローマ人はインフラの重要性への認識ならば共有していると言っても良い現代人から、『インフラの父』とさえ呼ばれている民族なのだ」とも書いています。

 しかし面白いことにローマ人の言語であるラテン語には「インフラ・ストゥルクトゥーラ」という言葉そのものがなかったのだそうで、それゆえ「下部、基盤」を意味する「インフラ」と、構造とか建造とかを意味する「ストゥルクトゥーラ」を現代になって合成した単語として作らざるを得なかったのだそうです。

 著者の塩野さん自身が「あれほどの質と量のインフラをつくっておいて、それを表現する言葉がないというのはおかしい」と不思議に思うくらいなのです。

 そこで、(ではローマ人達は現代のインフラに該当するものとしてどういう単語を使っていたのか)と思い探してみたところ、どうやら「モーレス・ネチェサーリエ(moles necessarie)」という言葉を見つけたのだそうです。

 それは日本語訳では「必要な大事業」とでもなるような単語ですが、しかもこの言葉を用いた文章の一つには「必要な大事業」の前に「人間が人間らしい生活をおくるためには」という一句があったのだそうです。

 これを見て著者は「ローマ人はインフラを『人間が人間らしい生活をおくるために必要な大事業』と考えていたのではないか」という思いに至ったのだそうです。

 まだこの10巻は最初のほうしか読んでいないのですが、インフラ整備に携わるものにとっては必読の書であることは疑いがありません。

 この巻だけは時代を追った作りではなくて、古代から現代まで、ヨーロッパから中国までを股にかけた一冊になっており、しかも写真と図が満載というそれまでとは性質の違う一冊になっています。

 これを改めて読みながら、現代日本にとってのインフラとは何かを考えてみることにしましょう。

 いや、本当に面白い、すばらしいシリーズです。この巻のご紹介はいずれまた。
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0202の二話目 ゆきみらいシンポジウムにて

2006-02-02 23:42:57 | Weblog
 今日の二話目はゆきみらいシンポジウムです。


【ゆきみらいシンポジウム】
 午後1時から上越市内のホテルで始まった「利雪・克雪シンポジウム」では、基調講演として小千谷の関広一市長から「中越地震~私たちが問われたのは何か~」という題で基調講演が行われた。

 一昨年秋に長岡市周辺を襲った中越地震では、小千谷市は全壊家屋220戸、家屋の半壊465戸、死亡者5名の被害を被ったという。

 冒頭で「自助、公助で『自分の命は自分で守りなさい』と良く言っていたのですが、自分が助かって余裕があるのなら地域を助けるということも考えて下さい。市内では地震の時に干し柿を剥いていた男の人が思わず家から飛び出して助かったと思っていたら、家から奥さんが老いた母親を負ぶって脱出してきて、それ以来すっかり信用を落としたという笑い話がありました」と聴衆を笑わせてくれました。

 しかしそこから先は地震の実態をスライドで説明してくれたのですが、橋はそのものは壊れなくとも橋と道路をつなぐ部分の橋台が陥没してやはり渡ることが不可能になってしまったといいます。どの一部が欠けても機能を果たせなくなってしまうということに、インフラ関係者は頭を巡らすべきでしょう、と語ってくれました。

 また「棚田が修復されない写真を見て『予算はたくさんつけているのになかなか修復しないのはなぜか?』とお叱りの電話もいただきました。しかし国道が復旧を果たしたのが昨年末の12月でした。棚田へ行くには国道の次に県道が来て、市道、農道が修復されてやっと機械が入れるんです」という地域の説明の後、「しかも雪国では雪の降る間は工事ができないということを東京の方はおわかりにならないようです」と続くのです。

 「阪神淡路大震災はやはり真冬の1月に発生しましたが、雪が降らない地方であれば復旧もある程度進んで行くに違いありません。しかし雪の降るこの地方では12月から4月の実質5ヶ月間工事ができません。秋につけていただいた予算は年度内に消化できずに明許繰り越し、しかし繰り越しした予算も翌年使えずに事故繰り越しでさらに翌年に回さないと行けないのです。そのために随分と理由を説明することになりました。予算制度はそのようなときにスムーズな運用が出来ないものか。やはり積雪地の事情は分かっていただけないのです」という悲痛な声でした。

 最後に関市長は「どんなに寒い冬でも花咲く春は必ず来る、しかし小千谷の春は待っていては来ない。市民みんなの力で春を一日も早く引き寄せよう、と言っているのです。皆さんご支援をよろしくお願いします」と締めくくられました。

 雪国に生活するものならば常識であることも、雪の降らない地方にとっては全く想像がつかないものです。


    ※    ※    ※    ※

 後半はパネルディスカッションで、かつてNHKで防災関係の解説委員をしていた伊藤和明氏をコーディネーターに迎えて各界の有識者のお話を聞きました。

 合併前の安塚町長矢野さんがこちらにも登場していて、「雪国の暮らしは雪下ろしと道路除雪が出来れば楽になります。だから私は町の補助で各戸に機械化を進めました。その結果安塚区ではほぼ全戸が除雪機を有しています。そうしないと暮らしていけないと思いましたが正しかったと思っています」と述べられたのが印象的だった。

 雪の暮らしを卑屈に思うことはありません。しかし雪国の暮らしは、エネルギーも手間もお金も掛かる生活で、そのかわり春には豊かな水と美味しいお米が取れるのだということをもっと世の中に伝えたいものです。
 

 雪国の声をもっともっと発信して行かなくてはなりますまい。
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これが雪ビジネス

2006-02-02 23:40:25 | Weblog
 連続出張のために更新がままならずすみません。今日は出張で参加してきたゆきみらい2006の様子を二話お届けします。

 第一話は
■ゆきみらい2006オプショナルツアー 雪利用ビジネス です。

【ゆきみらい2006オプショナルツアー 雪利用ビジネス】
 今日は午前中が雪を利用している施設を見学するというオプショナルツアーで午後がゆきみらいシンポジウムという日程です。

 そもそも「ゆきみらい」というのは、雪を克服したり利用する技術の課題や研究、雪に強い街づくり、雪国の自然環境・歴史・文化の継承などの様々な取り組みについて意見交換や情報交換をしようというイベントです。

 そして、それら雪国の情報発信を行うことで雪国の未来を展望し、雪降る町の活性化を図ることを目的として年に一度、北海道や東北、北陸を舞台にして開催されていて、今年は新潟県上越市で開催されているのです。 

 日本の雪の現状はと言えば、豪雪地帯が24道府県の962市町村にわたり、国土面積の51%を占め、総人口の16%が居住しています。特に北陸地方(新潟県・富山県・石川県・福井県)は世界有数の豪雪地帯で、全ての市町村が豪雪地帯に指定されています。

 これまでも雪国では雪を克服するための、道路の除排雪、消雪施設や流雪溝の整備などが行われ、地域づくりに雪国の豊かな自然を活かしたり利用したりする試みが展開されています。

 また、「21世紀の国土のグランドデザイン」では、豪雪地帯においては、克雪対策を充実し、雪や文化を活用した産業振興と地域活性化等を図りながら雪国の特性を活かして広く海外までも含めた交流と連携を進めすることを提唱しています。

 東京を始めとする太平洋側に住む人たちには実感が全くないと思うのですが、日本の半分は雪国であるというこのことは、雪国に住む人間が発信していかないと行けない事なのですから。

    *   *   *   * 

 さてオプショナルツアーですが、まず全館雪冷房を取り入れている安塚中学校を視察。ここでは大きな雪室を作り春先にここに雪を入れて溶けた冷気を冷たい水の形で取り出して熱交換器で全館に循環させているのです。

 おまけに雪室の屋根にはソーラーパネルをとりつけて、水循環のためのポンプの電力も発電させてしまっているというのです。その結果、子供達には「冷房はマメに止めないと雪がなくなってしまう」という省エネ感覚が身に付いているのだそうです。

 まさに雪のエネルギーと密着した学習が出来ているのですね。

 続いては日本のワイン発祥の地と言っても良い、岩の原ワインを訪問しました。ワインはブドウを搾ってから一年間を樽で熟成させ、その後はビンに詰めてビン熟成をします。ここではそのビン熟成のときに雪室による低温熟成を行ったものを商品化しています。

 その意味をお尋ねすると、「一つには味がまろやかになるという低温熟成の味わいの差を差別化してお出しするという事です。そしてもう一つは創始者で『日本のワイン葡萄の父』と呼ばれる川上善兵衛がワインの発酵温度調節に雪室から切り出した氷を活用した低温発酵技術を確立したという雪との関わりというブランドを再認識するということです」とのこと。

 雪がエネルギービジネスだけでなく、ワインとそれにまつわる物語としての価値を上手に活かしている事例と言えます。
 ただでさえ美味しいものに物語が加われば魅力は倍加することでしょう。

 北海道でも純粋な美味しさに加えて、物語のドラマ性を上手に使いたいものです。

 ガンバレ雪ビジネス!
 
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がんばれ安塚

2006-02-01 23:38:57 | Weblog
 今日と明日は上越での会合です。北海道からわざわざ雪を見に来ました。

 今日は
■安塚の定点観測 です。

【安塚の定点観測】
 今日と明日は新潟県上越市で行われる「ゆきみらい2006in上越」という雪国を主張する大会に参加する。

 これは北海道開発局と東北地方整備局、北陸地方整備局という、国土交通省でも雪のあるところで地域づくりを行う部局の持ち回りで、地方自治体を舞台にして行われる催しなのだ。それが今回は北陸地方整備局の上越市で行われるのである。

 上越市は約30年前に直江津市と高田市が合併してできた市なのだが、昨年1月の13市町村にまたがる大合併で新生上越市となって一年を経過したところである。

 今日はゆきみらい2006のプレイベントということで、上越市に合併され安塚区となった旧安塚町で身に講演会と交流会が開かれるということで参加しているのである。

 旧安塚町は人口3800人という小さな町だが、十数年前から雪深い町を逆手にとって「元気のある雪の町」として地域活動を盛んに行ってきたことで有名な町だったのだ。

 一番安塚町を有名にしたのは、東京の後楽園球場が東京ドームに変わるときの「サヨナラ後楽園球場」という催しに、雪を大量に東京まで運搬して後楽園球場で雪イベントを行ったことだ。そのことで「安塚という小さいながら元気のある町がある」ということが全国的に話題になったのである。

 その後、当時そのイベントを総務課長として指揮した矢野学さんがその後町長となり、雪を中心とした地域づくりを熱心に行ってさらにネームバリューが増したのだ。

 安塚では雪氷を冷熱エネルギーとして早くから冷房などに利用することを実践している町で、

 安塚町は、掛川がスローライフを提唱したときにいち早く「わが町もスローライフだ」として賛同してくれた町で、その縁で榛村市長とともに町で行われたイベントに参加した思い出があるまちだ。

 その後安塚町は上越市と合併し、上越市安塚区となり矢野町長は市議会議員としてまだ政治面で活躍をしているところだ。

 今日はプレイベントとして安塚のキューピッドバレーというスキー場のロッジでミニ講演会と交流会が行われた。交流会の前にお会いして「掛川の前助役です」と挨拶したが、矢野さんは覚えていてくれて相変わらず眼光鋭いながら「懐かしいね」と言ってくださった。

 安塚町は合併に当たって全町で地縁によるNPOをつくり、地域活動の拠点にしている。また雪をまちづくりに利用するために雪だるま財団という財団法人を作って雪の利活用や宣伝に努めている。

 町の中学校などいくつもの施設で雪冷房を導入したりして雪の利用と話題づくりに熱心なのだ。

 夜には「スノーライフとスローフードの夕べ」として矢野前町長の講演と雪だるま財団の伊藤さんのお話を伺った。もてなしは地域の女性たちの手による地域で取れた食材によるスローフードのおもてなしに舌鼓を打つ。

 3年たって安塚町はなくなってしまったが、地域の営みはそう変わらずに営々と続いている。

 こうしてひとつの町を数年おきに定点観測することで日本社会の変化を見届けるということは面白いことだと思う。

 夜は安塚区キューピッドバレーのコテージに宿泊し、積雪深4mの世界を楽しんだ。

 高齢化も進んでいるが、まだまだ元気な安塚区。これからもこういう小集落の行く末を見守りたいものだ。


 
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