北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

まちづくりの果実は誰のもの?

2006-02-28 23:12:48 | Weblog
 今日も冷え込む一日でした。しかし陽射しは日増しに強くなっています。今日で2月も終わり、明日からは三月春弥生です。

 今日はあるまちづくり計画に関する会議に出席をしました。この計画を策定した区域は札幌でも歴史の古い土地柄で、地元の住民の皆さんが自分たちのまちづくりにものすごく熱心なのです。

 もう何年もまちづくり活動を続け、その結果として周辺地区を賑やかで住んで楽しい地区にするように、周辺の企業、行政、そして住民が協働で計画を作り上げたのです。

 今日はその計画を関係者が一堂に集まって共通認識を持とうという趣旨で開催されたのですが、そこである先生がこんなことを話されました。

「住民の皆さんがこの間何年にも亘ってまちづくりを一生懸命にやって下さった結果、非常にまとまった計画ができましたし、そのことに敬意を表したいと思います。しかしよく考えると、これだけ皆さんが一生懸命にやってきて外から見て住んでみたいと思われるような良好なまちづくりができると、地区の魅力も高まってマンションなどの建設も進むことでしょう。そのことは決して否定しませんが、そこに住み始める新しい人達はその町を楽しむけれど、皆さんは相変わらず我慢しているということにならないでしょうか。皆さんのまちづくりの思いが新しい住民にもつながって行くような仕組みを作らないと行けないのかも知れませんね」

 実は私もその前に「まちづくりは住民が頑張るという風に思われがちですが、地元の企業や事業者の協力も欠かせないのです。そのときには例えばマンションの建て主に対しても、購入者に地元のまちづくりの事情が伝わるような協力をしてもらうような工夫もお願いしたいものです」という発言をしていたのです。

 まちづくりはある瞬間に終わるものではなく、また決して同じ事が繰り返される静的な作業でもありません。

 いつまでも終わらず、それでいて常に新しい問題や課題、そして喜びに満ちている作業なのだと思います。

 それには一人でも多くの関係者が自分のことだと思ってくれるような仕組みや制度、決まり事、ルールが必要になってくるのでしょう。

 福岡市などでは、まちづくりを担う株式会社も誕生して、まちなかの調整ごとを一手に引き受ける組織として活動し、成果をあげているのだそうです。

 一つの町の中でも役場の縦割りに陥ることなく、ある一定の区域であればその区域内の万相談事を横串で指すような地域に根ざした行政や調整が必要になってくることでしょう。

 まさに都市内の地方分権です。ますます自分たちの身近なことは自分たちの参加と協力で決めることが出来、また逆に自分たちで決めなくてはならない時代になりつつあるということです。

 参加しない人には文句を言う資格はないのだ、というコミュニティの常識もまた一から伝え始めなくてはならないのでしょう。

 まずはルールの共通認識から、なのかもしれません。
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