天気は晴れていたのですが、気温が低い日となりました。今日の札幌の最高気温は10℃。
肌寒くて一枚多めに着ないといけません。季節の変わり目で体調を崩す人も多いようです。風邪には気をつけてください。
ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。
さて今日は、
■「おやじの会」を理由に集う の1本です。
【「おやじの会」を理由に集う】
昨日中学校のおやじの会の知人のOさんから電話が来て、「明日うちで焼き肉やるんだけど来ないかい?おやじの会の○○さんや△△さんも来るよ」とのお誘いがあった。
寂しいことに、特に出かける予定もなかったのでほいほいと参加することにした。
おやじの会は、4月の末に総会と懇親会があって、そこで昔懐かしい草創期の人たちとも多く会えたのだが、人数が30人くらいになって、一人一人と話し込むわけにも行かなかったので、少し物足りなく思っていたところである。
集合は11時で、自宅を訪ねると一階の車が3台はいる車庫部分を開けて、焼き肉道具を広げている。参加者は私を含めて総勢5名となった。
早速炭を起こして準備開始。この年代のおとっつぁんたちは火を起こすのも手慣れたものである。あっという間に準備完了。
鳥から始まって、ほっけ、にしん、北海道名物ジンギスカンに舌鼓。これだけうまいほっけは久しぶりに食べた。
「小松さん、『川は皮から、海は身から』って知ってる?」
「ええ?しりませんねえ、何ですか?」
「あれ?魚グルメじゃなかったの?これは川の魚は皮から焼いて、海の魚は開いて身から焼くって言うことですよ。ほっけなんかは身側を8割焼いて、ひっくり返して皮を2割焼くくらいがちょうどいいんですよ。ほら、もう食べ頃」
これだけ脂ののったほっけは内地ではとうとう手に入らなかったし、それを炭で焼くとこれだけ美味しいものかとつくづく思った。炭ならば、皮も骨も全部カリカリに焼いて食べることができる。残るところなんかないのだ。
そんなことから地元料理談義に花が咲く。
北海道へ美味しいものを求めて旅行に来る観光客の、一体どれだけが本当に美味しいものに巡り会っているのだろうか?
多分それはツアーに組み込まれたホテルの料理にはなくて、思い切り腹を減らして飲む生ビールと、ほっけとニシンとジンギスカンを炭で焼いたものに勝てないんじゃないかな、と思う。
米だって、北海道には「ほしのゆめ」があったり最近では「ななつぼし」という耐冷性と食味に優れた有料品種が出回っている。
なぜ北海道まで来て「魚沼のコシヒカリ」を食べなくてはならないのだろうか?北海道なんだから地元のお米の「ほしのゆめ」を食べてもらって、同じ米でも日本の中の土地が違えば違う味がすると言うことを味わってもらうわけにはいかないのだろうか?
「もてなす」ということは、「一番美味しいものを出す努力をする」ということとほぼ同じなのだろうが、「ドラマ性のない美味しさ」よりも「ドラマ性のある現地の味」の方がよりもてなす心に近いとは言えないのだろうか?
北海道のお米を食べてもらって、美味しいと思ってもらえればそれでよいし、仮に「これが北海道の米かい。うちの地元の米はもっと美味いよ」ということになれば、「それは羨ましいですね。地元の美味しいお米を大事になさってください」となって、観光客が自分の故郷に対する誇りを感じるということになりはしまいか。
掛川の人たちは旅行に行くときに必ず自分たちの愛飲のお茶を持参して行くのだが、それとても、現地で「やっぱりこっちのお茶はまずいねえ」ということを実感する方が良さそうだ。
そうして改めて「お茶の美味しい掛川で良かった!」と心底思うことだろう。
保存と運搬の技術が進みすぎて、日本中から名物と地場でなくては味わえない本物の味が消えてしまったのではなかろうか。
選択の不自由があるからこそ、それを超えたときの喜びもひとしおのはずで、普段から日本中の美味いものを食べている東京の人たちは、実は本当に美味しいものには巡り会っていないのだとも言えそうだ。
* * * *
一緒に焼き肉を楽しんだ仲間にAさんという方がいて、この方はラーメンに関してなかなかの通で、ラーメン食べ歩きでは一家言ある方である。
私の蕎麦論と意見交換して、お互いの考え方に似たものがあって意気投合した。
実は札幌のラーメン界は、美味しい店がどんどんフランチャイズ化して店を増やしている一方で、新しい店もどんどん誕生していて、なかなか活況を呈している。
我々の住んでいる地区の近くにも、札幌のラーメン店ランキングベスト10~ベスト20くらいに入るお店が結構ある。
そういう店だと話の種に一度くらい行ってみるのだが、「どうしてこの店の味でランクが高いのかな」と思うような店もしばしばである。
特に豚骨系でこってりした味が最近は流行っていて、そう言う店がランキング上位に位置づけられる傾向にある。
私が「どうしても、S島とかG源なんかはついていけないんですよ」と言うと、一人が「小松さん、それは年ですよ、年。若い人はあれが美味いって言うんだから。年を取ると特にこってりした味について行けなくなりますよ。そうだなあ、あと5年もすればてきめんですね」と言う。
半分は納得できるが、それにしても味にばらつきもあるのも事実だ。
件のAさんによれば、「有名店が新しい店を出したというので行ってみましたけど、前の店で茶碗を洗っていたような人が作り手として出てるので、『ああ、その程度か』と思いました」とか、「××にいた作り手が独立して新しい店を出しましたけど、そこは美味しいですよ」と言う。
そこまで行かないと食べ歩きも説得力を持たないんだろうな。
私も3年ぶりに北海道に帰ってきて、改めて蕎麦店の食べ歩きでもしようかと思った。なにしろこの3年間に蕎麦店の増えたことといったらないのである。
モダン和風のこじゃれた店構えが多く、さすがに札幌は食べ物の世界で群雄割拠という状況のようだ。
久しぶりの仲間の会合に時間の経つのも忘れて、飲んで食べてしていたけれど、真っ昼間からの日本酒は効いたなー。
ほしのゆめ
肌寒くて一枚多めに着ないといけません。季節の変わり目で体調を崩す人も多いようです。風邪には気をつけてください。
ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。
さて今日は、
■「おやじの会」を理由に集う の1本です。
【「おやじの会」を理由に集う】
昨日中学校のおやじの会の知人のOさんから電話が来て、「明日うちで焼き肉やるんだけど来ないかい?おやじの会の○○さんや△△さんも来るよ」とのお誘いがあった。
寂しいことに、特に出かける予定もなかったのでほいほいと参加することにした。
おやじの会は、4月の末に総会と懇親会があって、そこで昔懐かしい草創期の人たちとも多く会えたのだが、人数が30人くらいになって、一人一人と話し込むわけにも行かなかったので、少し物足りなく思っていたところである。
集合は11時で、自宅を訪ねると一階の車が3台はいる車庫部分を開けて、焼き肉道具を広げている。参加者は私を含めて総勢5名となった。
早速炭を起こして準備開始。この年代のおとっつぁんたちは火を起こすのも手慣れたものである。あっという間に準備完了。
鳥から始まって、ほっけ、にしん、北海道名物ジンギスカンに舌鼓。これだけうまいほっけは久しぶりに食べた。
「小松さん、『川は皮から、海は身から』って知ってる?」
「ええ?しりませんねえ、何ですか?」
「あれ?魚グルメじゃなかったの?これは川の魚は皮から焼いて、海の魚は開いて身から焼くって言うことですよ。ほっけなんかは身側を8割焼いて、ひっくり返して皮を2割焼くくらいがちょうどいいんですよ。ほら、もう食べ頃」
これだけ脂ののったほっけは内地ではとうとう手に入らなかったし、それを炭で焼くとこれだけ美味しいものかとつくづく思った。炭ならば、皮も骨も全部カリカリに焼いて食べることができる。残るところなんかないのだ。
そんなことから地元料理談義に花が咲く。
北海道へ美味しいものを求めて旅行に来る観光客の、一体どれだけが本当に美味しいものに巡り会っているのだろうか?
多分それはツアーに組み込まれたホテルの料理にはなくて、思い切り腹を減らして飲む生ビールと、ほっけとニシンとジンギスカンを炭で焼いたものに勝てないんじゃないかな、と思う。
米だって、北海道には「ほしのゆめ」があったり最近では「ななつぼし」という耐冷性と食味に優れた有料品種が出回っている。
なぜ北海道まで来て「魚沼のコシヒカリ」を食べなくてはならないのだろうか?北海道なんだから地元のお米の「ほしのゆめ」を食べてもらって、同じ米でも日本の中の土地が違えば違う味がすると言うことを味わってもらうわけにはいかないのだろうか?
「もてなす」ということは、「一番美味しいものを出す努力をする」ということとほぼ同じなのだろうが、「ドラマ性のない美味しさ」よりも「ドラマ性のある現地の味」の方がよりもてなす心に近いとは言えないのだろうか?
北海道のお米を食べてもらって、美味しいと思ってもらえればそれでよいし、仮に「これが北海道の米かい。うちの地元の米はもっと美味いよ」ということになれば、「それは羨ましいですね。地元の美味しいお米を大事になさってください」となって、観光客が自分の故郷に対する誇りを感じるということになりはしまいか。
掛川の人たちは旅行に行くときに必ず自分たちの愛飲のお茶を持参して行くのだが、それとても、現地で「やっぱりこっちのお茶はまずいねえ」ということを実感する方が良さそうだ。
そうして改めて「お茶の美味しい掛川で良かった!」と心底思うことだろう。
保存と運搬の技術が進みすぎて、日本中から名物と地場でなくては味わえない本物の味が消えてしまったのではなかろうか。
選択の不自由があるからこそ、それを超えたときの喜びもひとしおのはずで、普段から日本中の美味いものを食べている東京の人たちは、実は本当に美味しいものには巡り会っていないのだとも言えそうだ。
* * * *
一緒に焼き肉を楽しんだ仲間にAさんという方がいて、この方はラーメンに関してなかなかの通で、ラーメン食べ歩きでは一家言ある方である。
私の蕎麦論と意見交換して、お互いの考え方に似たものがあって意気投合した。
実は札幌のラーメン界は、美味しい店がどんどんフランチャイズ化して店を増やしている一方で、新しい店もどんどん誕生していて、なかなか活況を呈している。
我々の住んでいる地区の近くにも、札幌のラーメン店ランキングベスト10~ベスト20くらいに入るお店が結構ある。
そういう店だと話の種に一度くらい行ってみるのだが、「どうしてこの店の味でランクが高いのかな」と思うような店もしばしばである。
特に豚骨系でこってりした味が最近は流行っていて、そう言う店がランキング上位に位置づけられる傾向にある。
私が「どうしても、S島とかG源なんかはついていけないんですよ」と言うと、一人が「小松さん、それは年ですよ、年。若い人はあれが美味いって言うんだから。年を取ると特にこってりした味について行けなくなりますよ。そうだなあ、あと5年もすればてきめんですね」と言う。
半分は納得できるが、それにしても味にばらつきもあるのも事実だ。
件のAさんによれば、「有名店が新しい店を出したというので行ってみましたけど、前の店で茶碗を洗っていたような人が作り手として出てるので、『ああ、その程度か』と思いました」とか、「××にいた作り手が独立して新しい店を出しましたけど、そこは美味しいですよ」と言う。
そこまで行かないと食べ歩きも説得力を持たないんだろうな。
私も3年ぶりに北海道に帰ってきて、改めて蕎麦店の食べ歩きでもしようかと思った。なにしろこの3年間に蕎麦店の増えたことといったらないのである。
モダン和風のこじゃれた店構えが多く、さすがに札幌は食べ物の世界で群雄割拠という状況のようだ。
久しぶりの仲間の会合に時間の経つのも忘れて、飲んで食べてしていたけれど、真っ昼間からの日本酒は効いたなー。
ほしのゆめ