北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

集合住宅~みんなで住むというモノとコト

2007-07-20 23:51:35 | Weblog
 今日の午後は職員を対象としたセミナーに参加です。会場は横浜の奥にある我が組織の研修センター。セミナーのタイトルは「集まって住む・集合住宅を考える」です。

 集合住宅を造っている我々にとって、集まって住むということについてしっかりとした意識と見識を持つことは重要です。今日も興味深いお話が聞けました。

 今日の講師は、愛知産業大学の延藤安弘先生と、東北大学名誉教授の近江隆先生のお二人です。

 まずは延藤先生から。延藤先生は分譲マンションの持つ匿名性や他人と関わらない日常生活に対して、コーポラティブ住宅という社会実験で一石を投じた方です。

   

 コーポラティブ住宅をインターネットで調べると、「まちづくり関連用語集」にはこう書かれていました。

 ** 以下引用 **
 住宅の購入を考えている人たちが集まり、共同で土地を購入し、自分たちで設計と工事を発注し、住む側の要望に沿って作られる住宅のことをコーポラティブ住宅といいます。日本では、昭和40年代に提唱された方式で、約30年の歴史があります。住都公団でも公団がコーディネーターとなってコーポラティブ住宅を建設する制度があります。

 メリットとしては、まず、一般の分譲マンションよりも安く購入できることが挙げられます。一般的な分譲マンションの価格には、モデルルームの建設費、折り込みチラシ等の宣伝広告費が含まれています。その分をカットできることで、価格を原価に近づけることができます。また、自分のライフスタイルや感性に合わせて設計を進めることができる点も大きなメリットです。さらに、そこに住む人たちが共同で事業を進めますので、入居後のコミュニティ形成がスムーズになり、管理もしやすくなります。

 そうしたメリットの一方で、住宅完成までの期間が長期になりやすいことや、住む側(組合)に資金調達力がないことなど、問題もあります。

 いずれにしても、コーポラティブ住宅は、住む人による、住む人のための住宅ということができます。既成の住宅タイプから「選択」するのではなく、自分のライフスタイルや哲学、感性等を反映させた住まいを「作る」わけです。「選択」にかけるエネルギーと「作る」ことにかけるエネルギーとではその量は大きく異なることは自明の理です。ですが、あらゆる分野でニーズが多様化していくこれからの時代にとって、この方式は今後も注目されていくでしょう。
 ** 引用終わり **

 はじめから住もうと言う人たちが集まって共同で集合住宅を建てる試みを、延藤先生は京都のユーコートという取り組みで始めました。ユーコートの完成は1985年のことで、住民がそこに住み始めてからもう22年が経過しています。
 
 延藤先生は建物ができてからもずっとここで定点観測を続けて、その後の住人たちがどのような化学変化を起こしたかをつぶさに観ています。

 今回は、観察で得られた多くのネタの中から、当時ユーコートに移り住んできた子供達に着目して、今成長した彼らに「ユーコートでの生活はどうだったのか」というインタビューを行い、そこから近隣のコミュニティの価値を伝えてくれました。

 延藤先生のやり方は、スライドを二台使って交互に映像を展開して笑いを誘いながら物語を聴かせてくださいます。

 「ユーコートが完成したとき、大人たちはうれしさのあまりダンスを始めました…」

  

 「○○のおっちゃんはあまりにうれしくなりすぎて池にはまってしまいました」

  

 「このおっちゃんはその後何回こうして池にはまったことやろう…」会場の笑いを誘うスライドが繰り広げられます。

    ※    ※    ※    ※

 子供達も小さい頃からのユーコートの中庭でい年齢の友達と遊んだ日々を印象的に思っていて、「いつかは自分がここで住みたいので、お父さんお母さんには出て行ってもらいたい(笑)」という夢を持っています。

 子供達に「地域の人たちの顔が見えることのマイナスはあっただろうか」という問いをしたそうです。するとある男の子が「試験を受けて駄目だった、と思うときにもおじちゃんおばちゃんに会ってしまう。『試験どうだった?』と言われるのがいやだったなあ…」という答えが返ってきたとか。

 そういう人たちのユーコートというコーポラティブ住宅はまだ成長の途上です。

    ※    ※    ※    ※

 もうお一人の近江先生は、集合住宅が抱えている「区分所有」という法的仕組みの限界と落とし穴についてお話をしてくださいました。

  

 近江先生は、分譲マンションを「中途半端な財産だ」と考えます。持ち家ではあるが、柱や壁などは共有でもあり、自分の思い通りにはならないのです。
 共同社会を維持する義務を有していながら、その構成員は選択が不可能。財産の価値を一人で維持したり拡大することが難しく、かつまた財産の形を変えることも難しいのです。

 マンションをして「建て替わって永遠に存在する、という思想を持つ宗教的な建物ではないか、とさえ思うのです」
 「おまけに集団自決を強要されるのです。自分だけ(1戸)では死ぬこともできず、全体がもうだめだ、となったら死ぬしかないのです」

 そこで先生は、建て替えと大規模修繕の間にある建物の延命の道を探るべきで、区分が個別に死ぬことを認められるように、また建物の部分建て替えという新しい概念を加えるべく、法律をしっかりと変えて行かなくてはならないと力説されます。

「いまの区分所有法は民法の特別法なので、区分所有法に書かれていないことは民法で判断することになります。建て替えという最も大きな権利に関することは住民の4/5の賛成という多数決で可能となるのに、部分建て替えには規定がないので全員合意が求められています。これがいかにもアンバランスなのです」

 マンションという形態の財産についてこれだけまじめにお話を聞いたのは初めてだったので印象的でした。また勉強しなくてはならない分野が増えました。

    ※    ※    ※    ※

 今日の講義は集合住宅について、みんなで住むという「コト」を大事にしたコーポラティブハウスのお話と、それが自分と、みんな共有の両義的な財産性をもつ「モノ」という面から観たお話のように思いました。

 どちらも奥が深い。勉強になりました。
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