北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「あの発言」の裏側

2007-02-21 23:11:48 | Weblog
 午前中は10m先が見えないほどの雪が降っていました。まちなかにも少し雪が積もったようですよ。

【榛村語録の続き】
 昨日の榛村さんとの話で出た、エピソードを一つ。

 「産む機械」発言で、世間から随分とバッシングを受けた柳沢厚生労働大臣は、地元が掛川なのです。そこで「柳沢大臣は大変ですね」と訊いてみました。

 すると、「うん、あの発言には僕も少し責任を感じているんですよ」と榛村さん。

「責任…とはどういうことですか?」
「少し前に、柳沢さんと僕とで天竜川の上流のある町に行ったんですよ。そこに11人子供を産んだ女性がいるというので会いに行ったんです」

「11人とはまたすごいですね」
「うん。それで四方山話をずいぶんしたんだけれど、その女性がいうには『私はお産が軽いので楽でした』というんだ。あげくには、昔の農家には米と籾を分けるのに、足で踏んで米をつく米搗きというのがあったんだけど、臨月のときにそれを踏んでいるうちに、産気づいたんだそうだ。それでちょっとそこを離れて子供を産んで、また戻ってきて米搗きをやったというんだよ」

「それはまたすごいことですねえ」
「そうだろう、それで僕がつい戯れ言で『それは随分高性能の機械だなあ』と言っちゃったんだよ。それで、柳沢さんの頭の中にはその言葉があったのかも知れないと思ってね、ちょっと責任を感じているんですよ」

 なんと!世間を騒がせた「産む機械」発言のルーツはもしかしたら榛村さんだった(のかも知れない)のです。

 しかしその言葉は決して女性を見下すような意味ではなく、私などは、その生命力に対するある種の尊敬の念を込めた発言のように感じられました。

 榛村さんはまた、「日本から、おっかさん、おふくろさんが消えかけているのは残念だ」とも言っています。

 私も「おっかさん」や「おふくろさん」という単語には、生き方を貫くある種の品格を感じます。 
 反対語の「おとっつぁん」「おやじさん」というのとは、あきらかに違うニュアンスがあります。

 こういう言葉のニュアンスがだんだん消えかけているのも寂しいことですね。
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