北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

農業の話題

2008-01-29 23:50:54 | Weblog
 大学時代の同期で、今は農業大学の先生をしている友人のAさんと10年ぶりに一杯やりました。場所は経堂駅のすぐ近くの農大通りの喫茶店みたいな飲み屋さん。

  

 農業大学には農家の親の後継者となるべき若者も多く、「彼らに希望のある農業をしてほしい」とAさんは言います。

「小麦が値上がりをする傾向にあるだろう?」とAさん。
「そうだね、パンやパスタなども連動して値上がりをするんだろうね」

「その一方で米価は値下がりをしているんだよね」
「考えてみたらそうだね。菓子パン一個が120円だとすると、茶碗一杯のご飯なんて50円くらいなものだけどね」

「マリーアントワネットが、民衆がパンを求めて暴動を起こしたときに『パンがなければお菓子を食べればよいのに』と言ったとされているけれど、パンが値上がりしたらご飯を食べればよいと思うんだけどな」

 なるほど面白い。これだけ安定して取れる日本民族の主食を日本人がどうしてこんなに食べなくなったのでしょうか。

「米にもいろいろ特質があって、コシヒカリなんかはモチモチ、ネトネト系でこれが目指すべき美味しさという時代がずっと続いたでしょう?」
「北海道もあの寒冷地ながら、もちもち系の米作りのための品種改良を進めているよ」

「ところが、Y野屋の牛丼などは北海道のどちらかというとパサパサ系の米を仕入れているんだよ。それは汁だくにはもちもち系よりもパサパサ系の米の方が良く合うという嗜好からなんだ。だから僕は『家には米びつを三つ置いてはどうか』と言っているんだ」
「それはどういう意味だい?」

「東南アジアへ行くと、そこのお米はインディカ米と言って、粒が縦長でパサパサした系統の米なんだけど、これがその国の地元料理には実に良く合うように出来ている。つまり、米を使った料理のバリエーションに合わせた米を三種類くらいもっていて、使い分けるような食べ方をすると、もっとご飯が美味しく食べられるんじゃないかと思うんだ」

 なるほど、カレーにはもちもちしたコシヒカリよりも、パラパラしたご飯の方が合うしね。でも米びつを三つももてるかな。

    ※    ※    ※    ※

  

「穀物が食べ物になるかバイオエネルギーになるかのせめぎ合いが始まっているだろ?」とAさん。「牛肉は日本では脂の乗った霜降りの肉が珍重されているよね」
「そうだな。やっぱり脂が乗っていると旨いよ」

「牛のあの脂を作り出すのは実は穀物なんだ。赤肉は草が作り出す。だから牛の餌に穀物を入れることで霜降りを作ろうとしているんだ」
「へえ、そうなんだ。そんなこと初めて考えたな」

「日本人がいつまで霜降りをありがたがるのかな。アメリカのステーキは赤身の肉の旨さを味わっているだろう。穀物が高くなると霜降りはいよいよ食べづらくなるから、日本人も今から赤身の肉の旨さにもっと気付いた方が良いと思うけどねえ」

 農業の最先端には、我々の固定観念を打ち破るような新しい技術や話題が満ちあふれていました。

 もっと食べるものについて勉強をしないといけないんだなあ。

  
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